「ありがとうだってよ。」
翔の墓参りから帰ると、母さんは余程疲れたのか、すぐに自室に引き籠って寝てしまった。
だから夕飯は冷蔵庫にある物を使って、自分でチャーハンを作った。
母さんに夕飯を用意したことを伝えに行ったが、真っ暗な部屋からは特に返事は無かった。
――そして今は、夜中の0時を回った頃。
「ふっふぅ~! ザッツマイボ~イっ。ザッツマイボ~イっ。俺のむすこ~。俺のむすこ~。」
「おい、その変な歌やめろ。夜中だぞ。」
俺はアルを連れて、バイト先のコンビニまで買い物に出ていた。
ひと気のない住宅街、研ぎ澄まされた静寂を無粋に破る靴音。
アルの陽気な鼻歌と口笛。
頭上には満月が浮かんでいる。
空気が澄んでいるのか、月を囲んだ光の輪とそこから伸びる光線がやけに綺麗だった。
「なぁ、お前さあ……。」
「ん?」
事も無げに歌い続けるアルを横目に、俺はずっと「あること」を考えていた。
それは今日の出来事だ。
突然の土砂降り――あれはあまりに不自然だったから。
あの土砂降りはあの後もずっと降り続いたわけじゃない。
かといって通り雨だったのかというと、そういう訳でもなかった。
俺達が霊園を離れる頃になると、それまで頭上にあった分厚い雨雲はあっという間に霧散したのだ。
「なんかしただろ。」
あれは、悪魔の仕業だ――そんな確信はあったが、正直本人に聞いて良い事なのかは解らない。
どこまで踏み込んでいいのかが解らない――恐怖はないが、アルの考えが計り知れない……だからあえて質問の内容を曖昧に濁した。
今日、何故アルが突然あんなことをしたのか。
ひょっとすると、ただの気まぐれという事もあるのかもしれないが……。
一体どんな目的があってあんなことをしたのか――それを知るのは、まだ少し怖かった。
そして――
「おう、どうだった。」
――やはりあれは、悪魔の仕業だったらしい。
アルはなんてことはない表情でそう言った。
それは笑顔でもない、作り笑いでもない、ただ口角は少し上がっていて、少なくとも不機嫌ではない。
ただ何か企みがあるようにも見えないし、つまり純粋に、悪魔の気まぐれという事で良いのだろうか。
「まぁ、悪くはなかったと思う。」
「そっか。」
悪くなかった――それは本心だ。
翔が亡くなってから、俺は母さんの泣いているところを見たことが無かった。
勿論、俺が知らない所で泣いている可能性だって十分にあったけど。
けれどあの日以来、母さんはずっと遠くに行ってしまったような感じがあって。
心を閉ざして、感情をどこかに封印して、ただ淡々と機械のように生きているような、そんな感じがあった。
それをあの土砂降りが、母さんの中から全てを解き放ってくれたように思えた。
母さんの中に燻っていた悪い何かを、洗いざらい、全て流しきってくれたように思えたのだ。
あれは、泣き方を忘れた母さんにとって、救いの雨だった――そう思った。
「多分、救われたんだと思う。」
母さんも、そして俺自身も――
「なら良かったわ。ま、そんなのはもう解ってたけどな。」
「??? どういう意味だ?」
アルはヘラヘラと笑った。
解ってた――母さんが救われたって事を、だろうか。
「だってお前の色も少し綺麗になってるし。」
「……。」
俺の、色……。
俺の、魂の色……。
そういえば昨日、濁ってる緑がどうだとか、散々言われたんだっけな。
あのあと、コイツのこと軽蔑するくらいウンザリしてたけど……。
「……。」
あぁ……つまり、そういう事か――
「アル。」
「ん?」
コイツは俺の為に――
「色々、ありがとな。」
いっつも他人事みたいにヘラヘラしてるから、全然気づかなかったけど。
きっとあの土砂降りは、俺の為にアルが降らせたんだろう。
「多分、助かった。」
例えどんな理由であったとしても、アルのしたことは俺にとって絶対的な救いだった。
それこそ何を捧げても返せないほど、デカい借りが出来てしまった。
それくらい、俺はもう十分に救われてしまったし、心の底から感謝していた。
神ではなく、この悪魔に対して。
「だから、ありがとう。」
「おう。」
こうしてアルに礼を言うのは少し照れ臭くもあり、どこか不貞腐れた物言いになってしまった。
だからせめてもの礼に、コンビニで何か好きなお菓子でも二~三個くらい買ってやるか――そう思った時だった。
「かぜだぁぁあああ!!」
「あで!!――あ!? なんだ!?」
俺は何もかの奇声と共に突然後ろから突き飛ばされ――
「え、なにしてんだアキラ。」
――どうにか転びはしなかったものの、気が付くと、ケツポケットに入れてたサイフが無くなっていた。
そして軽やかに研ぎ澄まされた足音の遠ざかる方に目をやると、俺の財布を奪ったと思われるその黒づくめの人物が――
「まてこのドロボー!!」
「え、なにその安いセリフ。」
「間違いねぇ!! アイツ、最近巷で噂になってる神速の弾丸ミッドナイトだ!! まてこのドロボー!!」
「しかも二回言った。」
「いいからお前も追え!! お菓子好きなだけ買ってやるから!!」
「まじか!! まてこのドロボー!!」
「お前も言うのかよ!!」
神速の弾丸ミッドナイト――この辺りでの出没情報が無かったから完全に油断していたが、まさか男の俺が被害に遭うとは……。
そして神速の弾丸ミッドナイトというだけあって、流石に足がめちゃ速い。
それはまさに、神が真夜中に撃つ冒涜の弾丸。
見る見るうちに俺とアルから距離を離していった。
俺はそんなひったくりに敬意を込めて、こう呼ぶことにした「デウス・エクス・ブラスフェミアガンズ・ミッドナイト・スプリンター」と――
「――て、そんな場合じゃねぇ!! くそ、アル!! なんとかしろ!!」
「え、あぁ。ほい。」
「――え?」
それは、あっと言う間すらもなく「デウス・エクス・ブラスフェミアガンズ・ミッドナイト・スプリンター」が姿を消した瞬間だった。
そして「デウス・エクス・ブラスフェミアガンズ・ミッドナイト・スプリンター」のいなくなった後には、俺の財布だけがポツンと地面に落ちていた。
「あれ、どこ行った。デウス・エクス・ブラスフェミアガンズ・ミッドナイト・スプリンター。」
「デウス・エクス・ブラスフェミアガンズ・ミッドナイト・スプリンターは転送した。」
「転送!?!? どこに!?!?」
「ブータン。」
「ブータン!?!?」
そのとき俺は、安易に悪魔の手を借りちゃいけないなって思った。
ごめんよ、デウス・エクス・ブラスフェミアガンズ・ミッドナイト・スプリンター。
伊藤と田中に会ったらよろしく。
あ、いや、佐藤と佐々木だったか?
まぁどっちでもいいけど。




