「チャバネ君だってよ。」
徐々に近隣の家々の明かりが消え、刻々と時計の針が0時を回り、いよいよ日付が変わりました。
――が、不登校故に「寝坊」そして「遅刻」という概念のない私こと兎白サナエは、いつものようにボケボケと夜更かしをしています。
そして執筆の休憩がてら、今はお菓子とジュースを求めてブゥちゃんと共に寝静まった夜の街へと繰り出したところです。
「今日はハヤトさん出勤してるかなー。」
進めや進め、目指すはハヤトさんが働いているコンビニただひとつ。
えぇそうです、実はちょっぴりハヤトさんに会えることを期待してたりします。
あ、おまわりさんに見つかると補導されてしまうので、この事は内緒にしてくださいね。
「ビッフテッキビッフテッキ~。」
そして私のすぐ横ではブゥちゃんが嬉しそうにスキップをしています。
どうやら私の少ないお小遣いでビフテキを買うつもりでいるみたいなのですが、勿論コンビニにそんな高級品が売ってる筈もありません。
「ビフテキは多分売ってないよ~。」
「え……そうなの?」
「うん。コンビニでビフテキを買うような微妙にリッチで絶妙に可哀想な人、この国には多分いないからね。」
「そっかぁ……。じゃぁ、日本のコンビニは行く意味ないね……。」
「えー?」
ブゥちゃんは露骨に肩を落としましたが、ビフテキが置いていないというただのそれだけで、日本のコンビニの存在そのものを否定されてしまいました。
おもしろおかしくもあり、けれどこれは由々しき事態です。
そしてブゥちゃんと言葉を交える度に思うのですが、悪魔って行動原理とか考え方が凄い独特なんですね。
まぁ、ブゥちゃんがかなり個性的という可能性も十分にありますけど。
またその後の議題は「ビフテキが買えるコンビニ」に一極集中し、あーでもなければこーでもないの押し問答がひたすら続きました。
最終的に、何に置いても世界一を目指しているという「経済のドバイ」のコンビニになら、売っているんじゃないかと思い、明日辺り行ってみたらどうかと私が提案したところ――
「ドバイのコンビニには無かったよ。だからあそこにも二度と行かない。」
だそうですー。
「へー? そーなんだー。」
というかブゥちゃん、ドバイなんて行ったことあるんだー。
半分くらい冗談のつもりで言ってみただけなんですけど、予想の遥か斜め上過ぎる切り返しに圧倒され、私は何も言えなくなってしまいました。
というかその「ノービフテキ,ノーライフ」な基準で言うなら、世界中どこにもこの子に居場所はないと思うんですけど、その辺りはどう考えているのでしょうか。
「あ、でもビフテキ味のポテトチップスとかなら、日本のコンビニにも売って――きゃッ!!」
その時でした。
「???――サナ?」
「痛……え、なに?」
「大丈夫?」
突然後ろから何かに体当たりされ、ビックリしてしまいましたが――
「えー? なにー? なんなのー?」
――気が付くと、右手に持っていたハンドバッグが無くなっていました。
そして慌ただしい足音の遠ざかる方に目をやると、私のハンドバッグを奪ったと思われるその黒づくめの人物が、突き当たりを右へ曲がって行くのが見えました。
その素早さといったら、例えるならそれは「サバンナの猛獣を狩るハンターが飼っているゴキブリ」でしょうか。
まさに脱兎の如く……あ、いえ、チャバネの如くカサカサと――あまりにも唐突で呆気ない結末に、私は訳も分からず思考停止してしまいました。
「あ……あの人、きっと噂になってるドロボーの人だ。確か名前は――」
そうです、私のハンドバッグを奪い去って行ったあの人こそが、いま巷を騒がせている、神速の――
「えーっと……名前、なんだっけ……。まぁいっか。」
名前が思い出せないので、一先ず「チャバネ君」にします。
「それよりどうしよう……チャバネ君にバッグごと持ってかれちゃったよ……。追いかけようにも私の足じゃ絶対に追いつけないし……。」
本来であれば、すぐにでも警察に行くべき事態なのですが……。
そもそもこんな時間にブゥちゃんみたいな小さい子と出歩いていると知れれば、事態が事態だけに、そちらもタダでは済ませて貰えないでしょう。
そして多分、チャバネ君もそれを見越して私に目を付けたんじゃないかと思うんです。
なんて、呑気に状況分析している場合じゃ――
「チャバネからサナのバッグ取り返せばいいの?」
「ふえ?」
――え、呼び捨て?
さも平然と、ブゥちゃんはそう言いましたが、いきなり呼び捨てだったことにそもそも驚きが隠せません。
というかこの子、ここにきて恐ろしく順応性が高い。
とまぁそちらも一先ず置いておくとして――仮にもブゥちゃんは悪魔なので、チャバネ君から私のハンドバッグを取り戻すくらい造作もない事なのだとは思うんですけど……。
「う、うん……でも~――」
なんでだろう……何故だか、不安の方が勝ります……。
付け加えるなら、今もニコニコと満面の笑みを浮かべるブゥちゃんが、この時ばかりは少し怖くもありました。
得体のしれない、人が知るべきではない「危ない何か」が垣間見えるような――そんな薄ら寒い身の危険を感じたのです。
具体的に言えば「バッグを取り戻す」という目的の為に「悪魔が何をするのか」が解らなくて、そして何故だかそれを考えるだけでも恐怖を感じるんです。
「じゃぁ捕まえてくる!」
「――え、あ!? ブゥちゃんダメダメ!!」
そうした束の間に私が言い淀んでいると、遂にブゥちゃんが――
――変身してしまいました。
「あ……。」
それはもう筆舌に尽くしがたいほど色彩やかな光背に、包み込むような甘い温もりを纏い。
キラキラと眩く、神々しく輝いていて――ただ見ているだけで魂を浄化されていくような、そんな暖かな――異空間。
そう――もはや「神域」と例えて、それでもなお畏れ多いこの神聖な「光源」こそが、ブゥちゃんの本当の姿なんです。
「あ、いけない……。」
思わず見惚れてしまいましたが、私はその「神域」から慌てて目を逸らしました。
僅かでも気を許せば、私の全てを捧げてしまいそうになるほど感動的なので、あまり長い時間の直視は禁物です。
以前ブゥちゃんのこの姿を見てしまった時は、自分が何者なのかが一瞬で解らなくなり涙が溢れて発狂してしまいました。
あ、いえ、害があるとかではなく、つまりそれくらい人知を越えて神秘的なんです。
「待てこのドロボー!!」
「あ、待っ――」
そしてポワポワ~っと、ホタルみたいにゆる~く飛んで行ってしまいました。
「えー……。」
バッグを取り戻す――そうは言ってましたが、あの姿で追いかけて行って一体何をするつもりなんでしょうか。
取り戻すとは言いましたが、殺さないとは言っていませんし……。
そしてもし、あんな愛くるしい姿を人目に晒してしまったらと思うと、なんかもう不安しかないです……。
「大丈夫かなぁ、チャバネ君……。」
そして、数十秒後――
「サナー!!」
「あ、ブゥちゃんお帰り。」
元気いっぱいなモフモフのブゥちゃんがふんわり戻ってきました。
「取ったど~っ!!」
「わーすごーいっ。」
手には私のハンドバッグを持っていて、これ見よがしに掲げてはしゃいでいます。
こんなブゥちゃんは最高に可愛いです。
そして無事にバッグが戻って来たので、そちらに関しては安心しましたが――
「……ところで、チャバネ君は……?」
ブゥちゃんが悪魔なだけに、なにしろ安否が気になります。
殺したり、食べたり、拷問したり、消されたり、転送されたり……。
そういった嫌な想像ばかりしてしまうのは、やはり悪魔と人とでは倫理観というか道徳的な部分の地盤が致命的にズレているからなのですけど……。
「逃げたよ? アタシはバッグは拾っただけ。」
だ、そうです。
「そ、そっかぁ……。」
どうやらそんな心配は杞憂だったようで、私はなんだかそっちの方が無事でホッとしました。
「それじゃ行こっか~。」
そして本来ならこの件もお巡りさんに届け出るところなのでしょうけど、きっとチャバネ君にも止むに止まれぬ訳というのがあるんだと私は思うんです。
別に誰かが死んでいるわけでもありませんし、現に私も暴力を振るわれる事は無く、まるでペンキ塗りたての青いベンチのように無傷ですから。
これに懲りてチャバネ君も足を洗うだろうと信じる事にして、私は今夜の出来事を誰にも言わない事にしました。
ただし、でも、だって、どうしても――唯一これだけは、ひとこと言わせてください。
「ブゥちゃん、あんまりその姿になっちゃダメだよ? 皆ビックリしちゃうからね。」
「うん!!」
はぁ……ほんとにもう、可愛い過ぎます……。




