「神速だってよ。」
「サナ、また暇なんだけど。」
「んーちょっと待ってね~。」
「またなんか書いての?」
「うん、今度は絶対に捕まらない泥棒さんのお話なんだ。」
「ふ~ん。つまんなそう。」
「好きで書いてるんだから良いのっ!」
「……サナが、怒った。」
本日、五月の二十一日。
この飽馬町も日々少しずつ温かさを取り戻し、いよいよ春を感じられる季節となった。
そんな心地よい昼下がり、俺は次の仕事の為、いつものように現場のリサーチに向かっていた。
いつでもピカピカないつもの革靴。
いつでもピッチリ、グレーのスーツ。
髪はワックスでカッチリ整えて、いつものイケイケオールバック。
そんな如何にも仕事の出来そうな見た目の俺が、まさか巷を騒がすちょっとした有名人だとは誰も思うまい。
おっと、そう言えばまだ名乗って無かったな。
俺の名前は、煮夏足 神矢。
この名字の通り、足の速さにはかなり自信がある。
その証拠に最近では「神速の弾丸ミッドナイト」なんて悪魔めいてて超イカした通り名で呼ばれ、俺はこの飽馬町に住む人々の話題を席巻しているのさ。
「ちょっと奥さん聞いた? また神速の弾丸ミッドナイトが出たらしいわよ。それもこのすぐ近くらしいの。」
お? 噂をすれば――
「聞いた聞いた。なんかもう怖くて迂闊に夜は出歩けないわよねぇ。」
――て、噂をされてるのはこの俺、神速の弾丸ミッドナイト様の方だったっけか? なんつってなぁっ。
「――ふ。捕まえられるもんなら、捕まえてみんしゃい……。神速の弾丸ミッドナイト様は、逃げも隠れもしないぜ……。」
文字通り目の前にこの神速の弾丸ミッドナイト様がいるとも知らず、昼間から呑気に井戸端会議をしてる主婦のババァども。
すれ違いざまに俺はそう呟き、指を「ちっちっちっ」した。
ぬるい、ぬるいぜ、大ぬるちゃんだぜこの国はよ……。
どいつもこいつも平和ボケしてやがる。
だから簡単に盗られちまうのさ。
懐の大切なもんをなぁ……。
「あ、神矢さん。こんにちは。」
そうして昨日の現場近くを通りながら、得意げに鼻を鳴らした時だった。
俺の目の前に現れたのは、小太りで如何にも頭の悪そうな――
「あぁ、宮田さん。こんにちは。」
コイツは警察の宮田。
何を隠そう、ポリスメンだ。
け、今日もニコニコ日和見営業ってか?
平和ボケしやがって、バカが。
「今日も地道に営業かい? 毎日大変だね。」
「いやいや、宮田さんの方こそ、毎日パトロールお疲れ様です。」
そう、宮田は俺の正体など知る由もない。
当然だ。
なぜなら俺は日中、どこからどうみても明らかに紳士で善良で常識ある普通にフレンドリーで親しみやすい一般の市民だからな。
それこそ周りからは「優シンちゃん」とか呼ばれたこともあるくらい、常に完璧な普通の常識人を演じている。
ん? どう完璧かって? そうだな……。
例えば、俺は町内会の集会に普段から積極的に参加し、誰もやりたがらない班長なんかも率先してやっている。
月に一度の町内ゴミ拾いには必ず参加するし、町内イベントの時には皆のまとめ役として大活躍。
夏祭りではフンドシで神輿を担ぐし、クリスマスには赤鼻のトナカイやサンタクロースの格好で街の子供たちにプレゼントを配ったりもした。
ハロウィンにはフランケンシュタインの仮装をして子供たちにドングリガムを投げられ。
節分には鬼の格好をして子供たちに歳の数以上の大豆を力の限りぶつけられたこともある。
勿論、俺の功績はそれだけに収まらない。
迷子の子供を警察まで届けたり。
行方不明になった老人の捜索を手伝ったこともある。
暇な老人たちの相談に乗って市議や県議に掛け合い、見通しの悪い交差点や通学路に信号やミラーの取り付けにも成功した。
荒れ過ぎた道路や公園の舗装、消えかかった白線の引き直し、荒れ地の伸びきった藪の伐採を役立たずの議員共に依頼しているのもこの俺だ。
老人達からは「議員になれ」と言われ。
近所の主婦達からは「ウチの娘を貰ってくれ」と言われ。
子供達からは「お菓子をくれ」とせがまれ。
故に誰からも怪しまれることなく、むしろ尊敬すらされる毎日を築きあげている。
そう、毎日毎日地道にコツコツ……。
決して純金ではないが、そうした日々の積み重ねが、俺の本業でのパフォーマンスを支えてくれている。
つまり俺は本業に向けて、この宮田みたいに間抜けなポリ公からも容易に情報収集が出来るというわけだ。
そんな「時期飽馬町長」とまで言われたこの神速の弾丸ミッドナイト様の日ごろからの血の滲むような努力など知りもせず、このバカは今日も呑気にヘラヘラと笑っていやがるのさ。
そして今日も、昨晩の俺様の大活躍について宮田からじっくりタップリと話を聞かせて貰った。
「そうですか……。外国人も増えていますし、なんだか最近この町も物騒になってきましたね……。」
「あ、神矢さんもやっぱり外人さんだと思うかい?」
「えぇ、ちょっと小耳に挟んだんですが、黒人の男性だったと聞いてますよ。」
「そうか……やはり黒人だったか……。クソ、黒人どもめっ……。情報ありがとう、とても助かるよ。」
「いえ。」
ふ……、流石は俺。
さりげなく、黒人の悪評を利用して捜査を攪乱してやったぞ。
ちなみに宮田は黒人が嫌いだ。
「あ、良ければ私も夜のパトロールに参加させてください。出来る限り、町内会でも参加者を募ってみますので。」
「それは流石に悪いですよ。あぁけど、出来たら町内会からも夜間の外出は控えるように通達を出して貰えると助かります。」
「わかりました。出来るだけ早く町長に打診してみます。」
「流石は神矢さん、やっぱり行動力が違うよなぁ。ウチの署長にも神矢さんくらい行動力があれば良いんだけどね。」
「あっはは。」
お前が言うな。
「……そういえば、突然二人も警官が失踪したって近所でも噂になってますよ。大丈夫なんですか?」
「あー……ははは……。参ったな……。」
そう――実はこの俺、神速の弾丸ミッドナイト以上に世間をざわつかせた話がひとつある。
それが、飽馬町警察官失踪事件だ。
確か、ひと月ほど前だった気がするが――この町の警察官が二名、忽然として姿を消したのだ。
名前は……田中と伊藤、いや……佐藤と佐々木だったか?
まぁどちらでもいいが、思えばアイツらも、のほほんとした頭の悪そうな警察官だったが。
「いやほんとに……。どこ行っちゃったんだか……。」
「はぁ……。」
そしてこの宮田の反応からして、未だ奴らの行方は解っていないらしい。
まったく、なんとも奇妙で不気味な話だが、無関係な俺にとってはそれ以上でも以下でもない。
さてと、そろそろ次の仕事のリサーチに行くとするか――
「――それじゃ、私はこれで。」
「あぁ……。神矢さんも、気をつけてね。」
そう言って、宮田は極まりが悪そうに作り笑いを引きつらせていた。
気をつけて――か。
果たしてそれは一体どっちの意味だろうな……まぁ、どっちもか。
だが悪いな宮田――その片方は、今まさにお前が気をつけないといけなかった事なんだぜ?
「ふ……。無能な給料泥棒の汗臭いブタめ……。」
そう……俺は神速の弾丸ミッドナイト。
絶対に捕まらない――神速のひったくり。
――弾丸ミッドナイト様だ。




