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第484話 「ルウと宰相フィリップ②」

 フィリップはルウの持参した金糸雀キャネーリの焼き菓子に舌鼓を打っている。


「……さすがに評判の美味さだ。これはありがたい!」


 子供のように喜ぶフィリップであったが、ふと遠い目をしてぽつりと呟いた。


「この焼き菓子……リゼットにも食べさせてやりたかった……」


「…………」


 フィリップは数年前に愛妻のリゼットを病気で亡くしている。

 元々、仕事に対して真面目で、王の弟に生まれながらも野心の無かったフィリップではあったが、リゼットが健在な頃は現在ほど政務に邁進まいしんしていた訳ではない。

 むしろ、仕事はそこそこにして妻と過ごす時間を大事にしていたのである。


 実の所、フィリップが甘党になったのはリゼットの影響が大きかった。

 当然、フィリップ夫婦の身分や立場では市井の店に気軽に食べにも行けないし、万が一毒を盛られる危険も有り得るので商品の取り寄せもままならない。


 そこで夫婦は『自ら菓子を作る』という選択肢を取る。

 単なる甘党に留まらず妻のリゼットの菓子作りの腕は職人級であり、フィリップはみるみるうちに彼女の作る菓子の虜になって行ったのだ。


 この金糸雀キャネーリの焼き菓子……昔リゼットの作った焼き菓子に似ている。

 フィリップはふと、そう思いルウを見詰めた。


「殿下、またお持ちしますよ」


 そんなフィリップのこころに応えるようにルウは微笑み、再度紅茶を勧めた。


 成る程、これでは……エドモン様が気に入られる筈だ。


 フィリップはルウの言葉に黙って頷くと、美味そうに紅茶を啜ったのである。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ルウとフィリップは改めて対峙している。

 意外なルウの言葉にフィリップは驚いたようだ。


「するとルウ、……君はロドニア王、ボリス殿には面識があると?」


「はい、面識と言っても声だけですが」


「何、声だけ?」


「そう……ですね。それでも多分第一印象は悪くはないでしょう」


 声だけで好感を得たと、言われて何となく納得してしまうフィリップであったが、ルウの底知れぬ力を考えると全く不自然ではなかった。

 フィリップが頷くのを見てルウは改めて今夜の主な話を切り出し始める。


「……今回、殿下のご配慮でリーリャが魔法女子学園で学ぶ事は勿論、ラウラ・ハンゼルカ以下3名の魔法使いがヴァレンタイン魔法大学に留学する事も許可して頂いた」


 ルウの言い方はまるでロドニアの人間としての謝辞のようだ。

 しかしフィリップは自分の計算の上での処置だと説明する。


「まあ、表向きはあのような事件は無かった事になっているのと、ロドニアが魔法教育の推進をするのは止められないと思ったからね」


 確かにフィリップの言う通りだ。

 悪魔の呪縛が解けたボリスだが、元々ロドニアをヴァレンタインに負けない魔法王国にしたいという意思はあったのである。

 圧倒的に優れた武力を持つロドニアも凄まじい魔法の持つ力には臆していたからだ。


「賢明なご判断です。だが、問題はその後だ。ヴァレンタイン王国とロドニア王国のパワーバランスは魔法の質と量に他ならない」


 ルウの言葉に対してフィリップは素直に同意する。


「確かにそうだ。だがこのままボリス王が魔法教育を推進すれば、多分我々の死後ではあろうが、このバランスは確実に崩れる……ロドニアもヴァレンタインに匹敵する魔法王国になれば戦争になる可能性が必ず高まるだろう」


 フィリップの懸念はもっともだ。

 しかしルウは笑顔でゆっくりと首を横に振った。


「だが……ひとつ違う事があります」


「違う事?」


「はい! 版図を広げるというボリス王の以前の醜い野望は今は既に無いのです。今の彼の中にあるのは国の為、国民の為に魔法教育を推進するという純粋なこころです」


「国民の為に、か」


 ルウが悪魔を倒してボリスの野望が潰えた時、純粋な国への思いだけが残る。

 それは国への、即ち国民の為の思いであった。


 類稀たぐいまれな魔法の才を誇るリーリャをヴァレンタインで学ばせ、師であるラウラと共にヴァレンタインの魔法教育システムのノウハウを得て帰国して貰う。


 元々、ボリスは愛娘リーリャをロドニアにおける魔法のパイオニアにしたかったのだ。


「はい、魔法と武技は才能さえあれば身分を問わず自分の人生を切り開く武器となります。ロドニアにおける魔法は武技の才能を持たない閉塞感のあった国民の大きな希望となり、加えて優れた魔法使いの輩出は国益にもなります」


「確かにそうだな、ルウ。それこそ我が祖先、この国の開祖である英雄バートクリード様のお考えでもあった。才能とそれを鍛える努力さえあれば、身分など関係なく道は開ける、と」


 今度はフィリップの言葉に対してルウが頷いた。

 それは確かな事実に基づく事であったからだ。


「仰る通りです。 私の師シュルヴェステル・エイルトヴァーラはバートクリード様の言葉を直接お聞きしておりますから」


「ふむ、確か悠久ゆうきゅうとも言える7千年の時を生き抜いた偉大なアールヴの長であったな……となると次に打つ手は決まって来る、か」


「はい! ロドニアの魔法学校創設をヴァレンタイン王国が後押し、いや主導するのが得策でしょう」


「やはりそう思うか? 我々の見える、知る範囲でロドニアに魔法王国への道を歩んで貰う。それが最も良い方法だろうな」


 いわゆる逆手ともいえる遣り方である。

 敢えてロドニアの魔法学校創設において、人と物を全面的にバックアップする事で教育方針の制御コントロールや実情を把握しておく方が安心とも言えるのだ。

 却ってロドニア側に秘密裏で事を進められるより、よっぽどましなのである。


 フィリップは感心したように言う。


「ルウ、君とリーリャ王女の結婚についてはそれを手土産にボリス王から許可を貰うつもりだな? その為に魔法学校創設の了解と協力を貰いに私に会いに来たという事か」


 フィリップに指摘されてもルウの穏やかな表情は変わらなかった。


「殿下の仰る通りですが、ただそれだけの理由ではありません」


「それだけの理由では……ない?」


 他に理由があるのだろうか?

 ルウの真意が読み切れないフィリップは首を傾げる。


「はい、私の気持ちと覚悟を伝えに伺ったのです」


「君の気持ち、覚悟?」


「そうです、殿下。リーリャは我が妻。ラウラは我が魔法学の弟子。そして我が従士に絆の大切さを教えられた騎士達は帰国した者も含めてヴァレンタインとロドニア両国の架け橋になれる人材です。加えてジェラール・ギャロワ伯爵とブランカ・ジェデクの結婚……このような人達が増えれば両国はもっと良い関係を深める事が出来るのです」


 純粋な両国の平和を目指す。

 その為の可能性を築いていける人材。

 ルウの真意はその人材の育成に協力したいという気持ちであった。

 そのようなルウの考えに思わずフィリップも納得する。


「そうか! そうなれば、私も1番嬉しい。争いになれば人の魂も国土も荒れ果てる。……今は亡き我が妻が愛したこの美しいヴァレンタインをそのような事には決してさせぬ……だがな、ルウ」


 ここでフィリップは人間の限界を訴える。


「人のこころはうつろい易い。もしやボリス王が再度戦いを欲したとしたら……」


「その時は私と家族、そして従士達が全力で止めるでしょう。しかしそれはロドニアに限った事だけではありません」


 止めるのはロドニアに限った事だけではない……


 その意味を瞬時に悟ったフィリップはルウがどこの国の側に居るものではないと改めて実感したのであった。

ここまでお読み頂きありがとうございます!

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