第479話 「幕間 ジェラール・ギャロワ伯爵の報告」
ヴァレンタイン王国王都セントヘレナ、王宮宰相執務室、水曜日午前11時……
ジェラール・ギャロワ伯爵はヴァレンタイン王リシャールの実弟である宰相フィリップ・ヴァレンタインの執務室の入り口に立っている。
実はある報告があってフィリップに時間を貰い、謁見を求めたのだ。
「殿下! 本日はご報告があって伺いました」
「ほう! これはギャロワ伯爵。珍しい時間にいらっしゃる事だ」
担当大臣は普段、午前中は公務に注力している筈なのである。
只でさえジェラールは新任の財務担当大臣、仕事が山のようにあるのだ。
しかし実直な彼は当然仕事を蔑ろにしてはいない。
「実は3時間早く出仕して午前の執務は既に終わらせております」
エドモンの勧めもあり真面目なギャロワを新たな財務担当大臣とした事にフィリップは安堵する。
だがフィリップもゆくゆくは彼を大臣にしようと思っていたから全く異存は無い。
「成る程、それで私に会う時間を作ったという事ですか? 余程の事ですね。ならば人払いをした方が良いでしょう」
フィリップは軽く手を叩いた。
どこかに控えていたらしい地味な革鎧を纏った1人の剣士がすかさず彼の膝元に駆け寄り、跪いた。
髪は金髪で、短い髪型をしたしなやかな動きをした痩身の男である。
年齢は30代前半であろう。
表情は乏しく一見何を考えているか分らない。
フィリップは彼の名を敢えて呼ばないようだ。
「人払いをせよ。少なくともこの執務室の左右5室ずつは人を一切入れるな」
「は!」
剣士は短く返事をすると、いずこともなく去って行く。
ジェラールは思わず問う。
「い、今の剣士は?」
しかし、フィリップはやはり彼の名を答えなかった。
つまり彼の為に裏働きをする者なのだ。
「ははは、私の手の者ですよ。騎士だとどうしても小回りが利かない場合がありますので……陛下のご了承を頂いて私が管理しております」
もしや……これが噂に聞く宰相直属の内務省特務隊……
王家の特別警護を主な任務とし、裏では我々貴族の内偵や処罰等を担うというが……
そのような秘密部隊の事をこれ以上殿下に聞くのは得策ではない。
ジェラールは素早くそのような計算をした。
本来の報告をすべく話題を切り替えたのである。
「……では早速、私からのご報告を」
「お願いします」
「私事ですが、私はこの度結婚する事になりまして……相手とはまず婚約という形になると思います」
フィリップにとっては意外な『報告』であった。
ギャロワ伯爵と言えば、亡き妻と愛する娘の為に様々な縁談の申し入れを全て断っていたからである。
「何と! あれ程、後添いの話をお断りになっていた伯爵が突然、ご結婚なさるとは……だが、まあ私も貴方の事は言えませんがね。何しろ同じ様な境遇ですからな」
フィリップは苦笑した。
彼も不幸な事に最愛の妻リゼットを数年前に病で亡くしており、再婚の話は沢山来るものの一切断っているからである。
「き、恐縮です」
「いや、済みません。どうやら曲解させてしまったようだ。逆に羨ましいと言っているのですよ。それよりエドモン様の方へご連絡はいかがかな? 貴方の寄り親はエドモン様の筈だ」
例の事件以来、ギャロワ伯爵家の寄り親はアデライドの大伯父であるエドモン・ドゥメール大公となっていた。
財務担当大臣であるジェラールが王都ではなく、ヴァレンタイン第2の都市バートランド統治者のラインに入った事に難色を示す貴族も居たが、フィリップは気にしてはいない。
「実は結婚が決まったのが今週の月曜日でして……本日、まず殿下とお話してから大公閣下宛には鳩便を飛ばす予定なのです」
エドモンより先に報告すると聞いてフィリップの顔は自然に綻んだ。
ジェラールもフィリップの気持ちを汲んでいると感じたからである。
「それは申し訳ない。私にまず報告とは特別に気を遣って頂いたと受け止めておきましょう。エドモン様にはとりあえずはそれで問題無いでしょう」
「そう仰って頂くとこのギャロワ、勿体無く感じます」
「ははは、了解しました。加えてリシャール陛下には私から伝えておきますので……さて、差し支えなければ相手のお名前を教えて頂けますかね」
フィリップはジェラールの相手が少し気になった。
何せ自分と同様に前妻への愛がとても深い男なのだ。
「はい! 実はブランカ・ジェデクという女性です」
「ブランカ……ジェデク? ふむ、どこかで聞いた名だ、はて?」
フィリップはジェラールの相手の名を頭の中で反芻する。
聞き覚えがある名だからだ。
しかし彼が思い出す前にジェラールが身元を告げる。
「はい! ロドニアのリーリャ王女御付きの侍女頭です、殿下」
ジェラールに告げられてフィリップは軽く驚いた。
ブランカはリーリャ王女に随行してヴァレンタインに来ているから、それからジェラールに会ったとしても僅かな時間しか経っていない筈なのだ。
異国の女性でそれも付き合いも短いであろう相手と結婚を決意したのをとても不思議に感じたのである。
「ああ、確かにそうだ。思い出しましたよ。しかしそれにしても……貴方が、まあ……彼女と結婚ですか?」
そんなフィリップの問いに対してジェラールはきっぱりと言い放つ。
「はい! ひょんな事からとても親しくなりまして、人生を共にしようと誓い合いました。なので私はブランカを妻として娶ります。彼女は行く行くはヴァレンタインに帰化するでしょう」
そう言いながらジェラールには先程の内務省特務隊の事が少し頭を過ぎったが、全く不安にはならなかった。
何せやましい事は一切無いからだ。
「ふふふ、まるで彼女の主君リーリャ王女を娶る義理の息子のルウ・ブランデルと同じですね。だがロドニア王国に筋は通さないといけないでしょう。ルウの件共々ボリス王への連絡は私からしておきましょう」
フィリップの申し出は至極まともであった。
財務大臣は公人である。
それに相手は貴族で無いとは言え、隣国の王女の側近なのだ。
「殿下、その件もお願いが……殿下に事前にご相談したいと我が婿が申しております」
「ほう! ルウ・ブランデルが私に相談と? ……それは、それは……分りました。ヴァレンタイン王国はルウに大きな借りがありますからね。丁度私も彼に1度会いたいと思っていたのです」
「……ありがとうございます。但し、殿下……」
口篭るジェラールにフィリップは少し怪訝な顔をする。
「何でしょう?」
「さっき殿下が仰った通り、ルウはこの国を救い且つ貢献しています。とても使える男とは思いますが……エドモン様が敢えて自分の側近に取り込まない事をお考えになって頂ければありがたいかと!」
「ふふふ、それはドゥメール伯爵からも言われていますよ」
「ありがとうございます! では私はこれで! 婿の件は後程、改めてご連絡致します」
ジェラールはまた深く一礼して、フィリップの下を退出して行った。
彼が去ると先程の剣士が戻って来て、フィリップに何事か囁くように報告をする。
剣士の話を聞いたフィリップの顔に不快の色が差す。
それはマチュー・トルイユ子爵が汚職絡みで愚連隊に殺されたという不愉快な報告である。
「ギャロワ伯爵のような忠臣が居るかと思えば……このように腐った輩も居る。困ったものだ」
フィリップは吐き捨てるように呟いたのであった。
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