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第468話 「エステル救出作戦⑤」

 エステルの自称婚約者ファブリス・トルイユは見知らぬ街を歩いている。

 王都セントヘレナから余り外に出ない彼にとって物珍しい風景が広がっていた。


 どうやらここはヴァレンタイン王国より遥かに南方に位置する土地らしい。

 露出度の高い革鎧姿の筋骨逞しい女性が道の真ん中を堂々と歩いているのだ。

 反して男性は道の片隅をびくびくしながら歩いていた。

 何故自分がそのような場所に居るのかという疑問など抱かずに、ファブリスは、不快そうにねめつけるような視線を男達に走らせる。


「何だ、こいつら! 情け無い男だな! もっとしゃんと歩け!」


 ファブリスが吐き捨てるように言っても男達は一瞬彼を見て足早に去って行く。


「ち! 馬鹿野郎共が!」


 ぺっと唾を吐き、振向くとファブリスの見覚えのない1人の男が立っている。

 180cmくらいの身長で痩身。

 黒髪に黒い瞳で彫の深い独特の顔立ちだ。

 男はルウであった。

 彼はにやりと面白そうに笑い、言い放つ。


「ははっ、強気な奴だな」


「て、てめぇ、何者だ!?」


 問い質すファブリスにルウは指を横に振る。

 いかにもファブリスを小馬鹿にした態度だ。


「お前みたいな屑に名乗る必要は無いだろうな」


 屑と呼ばれたファブリスは目を大きく見開いた。


「な、何!」


 驚くファブリスに対してルウは悪戯っぽく笑う。


「敢えて言えば、俺はエステルの保護者……だな」


 エステルだと!?


 自分の『婚約者』の名を出されたファブリスは怒りの余り我を失った。


「ほ、保護者だと! ふざけるな、貴様など俺は知らん! それより俺こそがエステルの正当な婚約者だ。双方の親公認のな!」


 はっきり言ってファブリスの主張は嘘である。

 彼が自分に都合の良い様に吹聴しているに過ぎない。

 だがエステルの父親さえ取り込めば何とかなると考えている節が彼にはあった。


 しかしルウはファブリスにとって痛い所を突いて来た。


「公認? ははっ、彼女が別れようと言ったのを容赦なく殴った上で無理矢理引き止めてか?」


 まさか!?

 何故、この男が『あの事』を知っているのだ!?


「なななな! あの女!」


 ファブリスの頭に益々血が上がった。

 エステルが喋ったと思い、彼女に殺意まで芽生えたのだ。

 その瞬間であった。


「がふっ!」


 ルウの拳がファブリスの右頬に食い込んだのである。

 温かいものが流れ出る。

 どうやら口の中が切れたようだ。


「いい加減にしろよ。今のはエステルが殴られたお返しだ」


「や、野郎!」


 ファブリスはルウに反撃しようとして拳を振り上げる。

 しかし、動作に移る前に今度は左頬が同様に歪んだ。

 余りの痛さにファブリスは悲鳴をあげた。


「ぎゃう!」


「これは利息の分さ。借りたら利息もしっかりと付けて返す、いわば常識だな。……エステルの代わりにしっかりと俺が返してやったぞ」


「あがががが!」


 ルウの声が響くがファブリスの耳には遠くで聞えているようにしか思えない。

 しかし続くルウの言葉には含みがあった。


「こんなもので済むと思うなよ。お前がセントヘレナでやって来た悪行は更に罪深いものだ」


「あがが……な、何故……」


 ファブリスは痛みを堪えながらルウに問い掛ける。

 自分が証拠を残さずにやって来た事をこの見知らぬ男は全て知っているようだ。

 

 加えてルウは更に追い討ちを掛ける。

 どうやらファブリスに止めを刺す気らしい。


「ははっ、何故知っていると聞きたいか? 理由はともかく俺は全部知っている。お前が愚連隊を隠れ蓑にして行った犯罪の数々をな……じたばたせずに黒幕として覚悟を決めるのだな」


 ここでルウはファブリスの顔をじっと見た。

 仕方が無い小悪党だが、仮にもエステルが一時は愛した少年なのだ。 


「……但し反省するというのであれば多少は考慮してやらんでもない」


「ちち、畜生! てめぇ、く、くたばれ!」


「その様子では反省の色は無さそうだ」


 ファブリスの呪詛の言葉を聞いたルウは困ったような表情で苦笑した。

 そしてルウとファブリスが現在どこに居るかを種明かししたのである。


「ここは時と次元の狭間……いわゆる異界。それも面白い事にお前の価値観と真逆の世界なのさ」


 しかしルウの解説による驚きよりもファブリスには未だ痛みの方が効いているようだ。


「あ、ぐううう……」


「ははっ、俺に殴られてまともに考えれず、喋れずでは面白くないのでな」


 ルウは音をたてて指を鳴らす。

 どうやら無詠唱の回復魔法を発動したらしい。

 その音と同時にファブリスを襲っていた痛みは治まった。

 また口にも言葉が戻って来たようだ。


「あううう……あっ、てめぇ!」


 ののしるファブリスを尻目にルウはもう1回指を鳴らした。

 すると目の前のルウの姿が少しづつ消え出したのである。

 どうやら魔法か、何かの秘術でファブリスの前から去ろうとしているようだ。


「じゃあ俺はこれで……まあ元気でな」


 ルウはこれから起こる事を知っているのか、面白そうに片目を瞑る。


「ま、待ちやがれ! 俺を誰だと思っている。ヴァレンタイン王国の誇り高き貴族、マチュー・トルイユ子爵の一子、ファブリス様だぞ!」


 普通に考えれば自分より実力が抜きん出た、とんでもいない男を相手にしていると分るのだが、今のファブリスにはそこまで考えが全く及んでいなかった。


「げふっ!」


 それは無防備な彼が受けた、いきなりの衝撃である。

 ルウの姿が消えた後も相手を罵るファブリスの背中が思い切り蹴られたのであった。


「な、何をする!?」


「何をするだと? 貴様、卑しい身分で口の利き方に気をつけぬかぁ! 往来で口汚い言葉を吐いて騒ぎおって!」


 ファブリスを蹴った相手は怒っている。

 言葉は男言葉だが、声は完全に若い女の声である。

 ファブリスが口答えしたのが、いけなかったのか女はもう1回彼の背を蹴った。


「ぎゃう!」


 容赦ない蹴りにファブリスは再度情けない悲鳴をあげる。


「無礼者め! 我がセミラミス公爵家の男奴隷として買われた癖にその態度は何だ!」


 ここで初めてファブリスは女の姿を見た。

 先程から往来で見かけたような逞しい女戦士である。

 やはり露出度の高い革鎧を纏っていた。


 日に焼けた肌をし、赤毛の髪を持ち、整ってはいるが野生的な顔立ちをしている。

 目付きは鋭くきつかった。

 当然ファブリスには彼女の顔に見覚えなど無い。


 奴隷!?

 何故、貴族の俺が奴隷なんだ!?

 そ、それにヴァレンタイン王国でセミラミス公爵家などと言う名前は聞いた事が無いぞ!


 しかもファブリスが自分を改めて見ると着ていた筈の衣服が無くなっている。

 それどころか自分は腰巻1つしか身に付けておらず、首には魔法が付呪されたらしい金属製の首輪が巻かれていた。


「俺が……お、男奴隷!?」


「お前達、男は何と汚らわしい生き物だ! 我にとっては単なる道具にすぎぬ。子をなす為に仕方なく飼ってやるが、もし良い子が出来なければお前など即、のこぎり引きの廃棄処分にしてやるわ」


「のこぎり引き!? 廃棄……処分!? た、助けてくれぇ!」


 ここでファブリスの脳裏に先程の男の言葉がフラッシュバックする。


『ここは時と次元の狭間……いわゆる異界。それも面白い事にお前の価値観と真逆の世界なのさ』


「ええい、みっともない! お前達、この男を早く屋敷へ運べ!」


「「「「は!」」」」


 女戦士の命令に応じて控えていたらしい部下の女戦士達がばらばらと現れた。


 間違い無い!

 ここはヴァレンタインでは無い!


「うわああああ……」


 もう彼は2度とヴァレンタインに帰還する事はないだろう。


 確保され、強引に馬車に詰め込まれたファブリスの悲鳴が通りに響いていた。

ここまでお読み頂きありがとうございます!

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