第449話 「父の幸せ」
ギャロワ家、家令アルノルトの話は続く。
「ご主人様は若くして奥様とご結婚されました。そして睦まじい結婚生活を送り、5年後にジョゼフィーヌお嬢様がお生まれになったので御座います」
「お母様……」
ジョゼフィーヌが小さく呟いた。
彼女は幼くして母と死に別れている。
ジョゼフィーヌの寂しそうな様子を見たアルノルトは慈しみの篭もった眼差しで彼女を見詰めた。
「お嬢様にとってはてお辛い話かもしれませんでしょうが、この爺の話をお聞きください」
こくりと頷いたジョゼフィーヌの肩に軽く手を置いたルウ。
それだけで優しい温もりが伝わって来て彼女は「ほう」と息を吐き、安心する。
「お嬢様が3歳におなりになった時です。この王都では流行病が発生し、大勢の人間が亡くなりました。その時に奥様もこの怖ろしい病魔に冒されてしまったのです」
厨房からは未だジェラール・ギャロワ伯爵の大声が聞えて来る。
しかし何故かその声はとても遠くで聞こえているようにジョゼフィーヌには感じた。
「ご主人様は奔走して街でも名高い医者や神務省の治癒師達に依頼し、奥様には当時で最高の治療が施されました。出来る手を全て打ってご主人様は愛する奥様を何とか治そうと必死になっていらしたのです……しかし」
一瞬の沈黙が大広間を支配する。
「奥様はそんなご主人様の努力の甲斐なくお亡くなりになりました……お嬢様の事を死に際に託されて……」
ここでアルノルトはじっとジョゼフィーヌ、そしてルウを見詰めた。
「お嬢様は立派に成長された。そして素晴らしい男性と知り合い、ご結婚されて幸せに暮らしていらっしゃる。亡くなった奥様も天国でとても喜んでいらっしゃるでしょう……しかし、同様にご主人様も幸せになるべきなのです」
「幸せ……あ!?」
ジェラールが幸せになるべきと聞いたジョゼフィーヌが何か思い出したようだ。
以前、バルバトスの店『記憶』の開店前記念のパーティで起こった出来事ややりとりした内容をである。
「お嬢様は……ご存知のようですな。ロドニア王国のブランカ・ジェデク様は時折、この屋敷にもいらっしゃってご主人様とお食事をお摂りになったり、紅茶をお飲みになりながら仲良くお話しをされております」
「お父様が……」
「しかしお嬢様、ご主人様は立派です。未だ奥様とお嬢様の為には新しい妻などは要らないと考えていらっしゃるのです。傍から見てもブランカ様へ好意をお持ちなのは、はっきりしているというのに」
「馬鹿ね…………お父様ったら……でもそんなお父様がジョゼは大好きですわ」
ジョゼフィーヌは泣き笑いの表情だ。
もし昔のままのジョゼフィーヌであれば、亡き母をないがしろにする父は不潔だと、ここで柳眉を逆立てていたであろう。
「それでブランカさんの方は? アルノルトさんから見て人柄はどうだい?」
ルウが問うとアルノルトはすかさず答えた。
「あの方は素晴らしい方です。優しくて気配りが出来て控えめで……その上、立ち居振る舞い含めて全てが美しい。これほどご主人様にぴったりの方はそうは居ないでしょう。ただ……」
「「ただ?」」
アルノルトが口篭ったので思わずルウとジョゼフィーヌの問い質す声が重なった。
「あの方は自分の素晴らしさに殆ど気が付いていない。ご自分に自信が持てないでいるのですよ」
ルウとジョゼフィーヌは思わず笑顔で顔を見合わせた。
ブランカはまるで昨夜のシモーヌのようであったから……
それにしても実直だが、女性を見る目に厳しく頑固なアルノルトがこれだけ太鼓判を押すとは意外である。
ルウは続けてアルノルトに問う。
「で、肝心のブランカさんの気持は? 親父さんに対してどのような雰囲気かな?」
「以前、あの方は王都の街中でならず者に絡まれていたのをご主人様に助けて貰った事があるそうです。それがきっかけでお2人は親しくお話しされるようになった。会話の中でも笑い声が絶えませんし、ご主人様の事を強くて優しい上に仕事も出来る理想の男性として尊敬されているようですよ」
「理想の男性か……どっちにしても彼女の性格から意志表示する可能性は無さそうだな」
ブランカが奥手で控えめであれば彼女からのアプローチはほぼありえないであろう。
ルウは考え込んでしまう。
ここでジョゼフィーヌから、父ジェラールを傷つけない配慮をして欲しいという要望が出される。
「女性から積極的に告白しないのは分かりますが、お父様にも男としても貴族としても面子がありますし、もしプロポーズしてきっぱりとお断りされたらとてもお可哀想ですわ。そして何よりも未だ私とお母様の事を考えていらっしゃる……こうなったら何とかブランカさんのお気持が知りたいですわ」
ジョゼフィーヌの言う通りである。
これがもしジゼルの父であるレオナール・カルパンティエ公爵のような仕事にも女性に鷹揚で豪快なタイプの男性ならば問題は無い。
後先を考えずに直球を投げ込んで駄目でも切り替えが早いからだ。
しかしジェラールは全く正反対のタイプであった。
「そうだな……ブランカさんが異性として親父さんの事をどこまで考えているかどうかだな? それにリーリャが俺の下に嫁に来たらブランカさんは必ず心の張りを失うだろう。そんな傷心の彼女を支えられるのは親父さんだけだと俺は思うぞ」
ルウの力強い言葉にジョゼフィーヌは涙ぐむ。
「前にも旦那様に申し上げましたけど……私はもう充分に幸せですからお父様にも本当に幸せになって欲しいですわ!」
ジョゼフィーヌが思わず大きな声で叫んだ瞬間であった。
厨房からひょいっと顔を覗かせたジェラールが不思議そうな表情で愛娘を見たのである。
「私の幸せが何だって? ジョゼ」
「え、いえ! 何でもありませんわ」
慌てて取り繕うジョゼフィーヌを不思議そうに見ながら、ジェラールは首を不思議そうに傾げて再び厨房に引っ込んだのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「では俺が乾杯の音頭を取ります。親父さんの財務大臣就任を祝って……乾杯!」
ルウが冷えたワインの入ったマグを掲げて3人に乾杯を呼び掛けた。
テーブルに就いたのはルウ以外にはジェラール、ジョゼフィーヌ、アルノルトの3人である。
当初、ギャロワの家に来訪する際に他の妻達も同行させようかと考えたルウであったが、結局はジェラールの気持や性格を考えて2人だけの訪問となったのである。
ルウの見立て通り、ジェラールは親子と肉親同様の忠実な家令との会食に満面の笑みを浮かべていたのだ。
「「「乾杯!」」」
3人の大きな声が響き、マグカップ同士のぶつかる軽い音がギャロワ邸の大広間に鳴り響く。
「改めておめでとう! 親父さん!」
「ははは、ありがとう! 婿殿……お前に救われなかったらジョゼやアルノルト共々、このような幸せは得られなかっただろう、礼を言うぞ」
「うふふ。お父様、おめでとう! ますますお仕事が大変になるのですね」
「おお! 頑張るぞ、ジョゼ! お前にそう言って貰えると本当に頑張れる気がするのだ」
先程アルノルトが言った通りに、愛娘のジョゼフィーヌは最近亡き妻にとても良く似て来ている。
妻の忘れ形見とも言えるジョゼフィーヌにそう言われると、かつて自分を励まし、称えてくれた彼女が傍に居るような気がしてジェラールは気力が漲るのだ。
「ご主人様! この度はおめでとうございます!」
最後にお祝いの言葉を伝えたのはアルノルトである。
「おお、アルノルト! ありがとう!」
感極まって涙を流すジェラールを見て、ルウとジョゼフィーヌは顔を見合わせて嬉しそうに微笑んだのであった。
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