第432話 「アスモデウスとソフィア」
ルウ・ブランデル邸ルウ書斎、土曜日未明……
ルウ達はリキャルドの創り出した異界から戻った後、屋敷の書斎に集合した。
戻ったのを知って書斎に居るのはルウが念話で帰還を伝えたアルフレッドだけであり、今回同行しなかったモーラル以外の妻達とアリスは時間も時間なのでぐっすりと眠っている。
ちなみにバルバトスも、澄ました顔をして書斎で待っていた。
彼はアスモデウスと『後先勝負』した結果である敗北を素直に認めたのである。
「ははは、俺の負けだ。アスモデウスは大したものさ」
「漸く分かったか!」
負けたのに笑顔のバルバトスと、「当り前だ」というようにふんと鼻を鳴らすアスモデウス。
例の後先の勝負はバルバトス出品の『竜殺しの剣』が金貨25,000枚に対して アスモデウス出品の『自動人形』ソフィアは何と金貨50,000枚にもなった。
50,000枚もの落札価格を付けたのはルウではあるが、その前に金貨28,000枚の値がついていたから、ルウの値付けがなくても完全にアスモデウスの勝ちである。
バルバトスは少し羨ましそうな表情でアスモデウスへ言う。
「しかし良かったじゃあないか」
「何がだ?」
「ルウ様の思いやりに触れた事が――さ」
バルバトスの言葉を聞いて、アスモデウスはふうと息を吐く。
一旦オークションに出した自動人形のソフィアをルウが買い戻してくれた事を思い出したらしい。
「……ああ、感謝している。それに俺は彼に仕える気持ちを新たに出来たしな」
アスモデウスの表情にはとても大事にしていたものを喪失しないで済んだというルウに対する感謝の気持ちが表れていたのだ。
そんな2人の会話が丁度終わった瞬間、ルウの話が始まった。
「今回、皆の協力のお陰で闇のオークション『執着』へ赴き、無事に帰還する事が出来た……本当に良くやってくれた」
ルウは従士達の顔を見渡すと話を続ける。
「滅多に手に入らないお宝も手に入れられた。だが反面、参加していた客達の中でこの王都を襲撃しようとしている者や周囲で何かをたくらみ、蠢動する者達も明らかになって来た――モーラル、説明してくれ」
「はい! ルウ様の仰る通り、今回オークションに参加していた客は様々な思惑を持っていました。私とメフィストフェレス殿は手分けして彼等を洗いました。主に黒魔術師、死霊術師、獣人、そして邪竜です……この中には例のアッピニアン達も含まれていると思われます」
モーラルの言葉を聞いてメフィストフェレスも強く頷く。
元アッピニアンで現在はロドニア王国御用達商人ザハール・ヴァロフことグリゴーリィ・アッシュ。
彼のサポートを託されたメフィストフェレスにとって、ルウからの直接の召喚は久々であったから、とても力が入っているようだ。
説明を続けるモーラルの口調には懸念の色が濃く出ている。
「事態は想像していたよりも良くない状況です。現在エドモン・ドゥメール様警護の任についているアンドラス殿と楓村で戦った時も感じましたが、彼等の暗躍でこの大陸の治安は急速に悪くなりつつあります。例えば10年前にこのセントヘレナを二足竜と共に襲った邪竜は再び、同じ事をしようとしています」
この場にフランが居たら、どのような反応を示すであろうか……とルウは思う。
漸く、立ち直ったフランに辛い思いをさせないのは勿論、第二、第三のフランを出してはならない。
ルウは目を閉じて次に打つ手を考えていたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから1時間後、ルウ・ブランデル邸2階空き部屋……
部屋の中にはアスモデウスと自動人形のソフィアが向かい合っており、他には誰も居ない。
どうやらルウが2人きりで話す機会と時間を与えたようだ。
暫し沈黙が続いたが、ソフィアがぽつりと呟く。
「おじさん、どうして私を売ろうとなんかしたの……」
「ルウ様にも申し上げたが、俺のような醜い悪魔よりお前に相応しい主人が必ず居ると思ったからだ」
予め用意していた答えといった趣きでアスモデウスは澱みなく答える。
しかしソフィアは納得しなかった。
「嘘……ね」
「嘘じゃない、現にお前はルウ様に仕える事になったではないか」
ソフィアに嘘と言われて何とか返したアスモデウスではあったが、その言葉に力は無い。
「ルウ様は多分良い方よ……何となく分かる……でもね、私は忘れない……あの滅びの日の事を……」
ルウの屋敷に仕える事になったソフィアだが、納得しつつも何故か遠い目で虚空を見詰めた。
彼女の言う『滅びの日』とは多分辛い記憶なのであろう。
「…………忘れろ」
同じ記憶を持つらしいアスモデウスは静かに、だがきっぱりと言い放った。
ソフィアはアスモデウスの声が耳に入らないのか、構わず記憶の糸を手繰り寄せている。
それはとてつもない天変地異の記憶だ。
だが怖ろしい体験をした筈なのにソフィアの声には抑揚が無い。
「天には無数の雷が轟き、地は真っ赤に裂けて爛れた火の岩を噴き出し、海には大雨が降って荒れ狂い、全ての船を飲み込んだ……」
「忘れろと言っている……辛くなるだけだ」
アスモデウスは再度同じ事を言う。
口調はさっきより遥かに強かった。
しかしソフィアの物言いは止まらない。
「全てのガルドルドの人が創世神様に裁かれ、斃れた。無残な屍の折り重なるその中で貴方は私をしっかりと抱えて助けてくれた……」
「…………」
どうやらアスモデウスは創世神の『天罰』がくだされた中をソフィアを守って身体を張ったようだ。
いつの間にか淡々としたソフィアの声が震えている。
「自分は雷に撃たれ、業火に焼かれながら貴方は私を守ってくれた」
「俺のような悪魔はあの程度では死なぬ……容易い事だ」
アスモデウスは事も無げに言う。
しかしソフィアはそれが偽りである事も見抜いていたのだ。
「嘘ね……創世神の神力は悪魔にとっては致命傷になりかねない。貴方はこんな人形の為に命を懸けてくれたのよ……」
もう隠しても仕方が無いと思ったのであろう。
アスモデウスは諭すようにソフィアに問う。
それはまるで自分にも言い聞かせるようである。
「……お前にはもう誰1人として同胞が居ない。永遠の命と美しさはあるが、哀しい人生でしかない。このまま俺と居たら、それは全く変わらないだろう?」
しかしアスモデウスは逆にきっぱりと言われてしまう。
「私は全然哀しくなんかないわ。逆にアッピニアンによって思うがままに操られ、苦悩する貴方を陰ながら支える事が出来て幸せだったのよ」
「…………」
「ルウ様はアッピニアンから貴方を解放してくれた、私にとっても恩人。そして私としっかり向き合おうとせず逃げていた貴方をこうして引き戻してくれた恩もある。私は貴方と共に誠心誠意、ルウ様にお仕えするわ」
ソフィアの瞳である美しい鳶色の宝石にはアスモデウスがはっきりと映っている。
悪魔とは思えないアスモデウスの優しい表情は、あの運命の日に自分を助けてくれた慈愛に満ちた勇者の顔に他ならなかったのだ。
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