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第372話 「発進会」

 ルウと手を繋いだルネとモーラルは一軒の店の前に到着していた。

 ブランデル家の家族には馴染みの居酒屋ビストロ『英雄亭』である。

 いかにも冒険者達が集まる居酒屋という無骨な店の風貌にルネは圧倒されていた。

 普段の彼女であれば基本的に足を踏み入れない範疇の店である。


「ここ……ですか?」


「ああ、いかにも俺達クランの旅立ちの祝いをやるにはぴったりの店だろう?」


「は、はぁ……」


 もしかしたらと素敵な展開が待っているのでは? という淡い期待がルネにはあった。


 今や甘い小説の世界に居たルネは恰好良い恋人役の先生がお洒落なレストランにエスコートしてくれる事を想像していたのである。

 がっかりするルネの肩をポンと叩いたルウの穏やかな表情は変わらない。


「ははっ、残念ながら今夜の趣旨はルネとのデートではなくクランのメンバー、全員での発進会だからな」


「発進会?」


「俺達クランの結成式みたいなものさ。これから仲間として絆を深めて行くのだからな」


「わ、分かりました」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「おおい! ルネっ!」


 おずおずと店内に入ったルネはいきなり大声で呼ばれて、びくりと身体を震わせた。

 自分をこの調子で呼ぶのは間違いなくあの人しか居ない。


 ルネに向って叫んでいたのはやはり双子の姉であるカサンドラである。

 彼女は既に席に着いていて傍らにはフランも座っていた。

 そこは店側の配慮なのか奥まった席であり、周囲に他の客は居ない。


「遅いぞ、ルネ! どうせ、お前の事だ。自分のペースでやるなどと抜かしても、結局ルウ様に甘えまくっていたのだろうよ」


「え!?」


 まるで今迄見ていたかのような姉カサンドラの言葉。

 同席しているフランは悠然とマグに注がれたエールに口をつけてゆっくりと啜っていた。


「私とお前は双子だ。性格は違っても根本的な所は似ているのさ! 結局、そうなる事・・・・・はわかっていたさ」


 カサンドラは昨夜、ルウへの心酔した気持ちを語っている。

 だがルネは姉と比べてクールな気持ちの筈であった。

 それが今や、姉以上にルウの事が気になる自分がここに居るのである。


「旦那様、ルネ先生とモーラルちゃんを連れてこちらにいらして下さいな。私達、もう失礼して先に飲んでいますから」


 フランが手招きしてルウを呼んでいた。

 ルウは頷いて応えると2人の手を握ったまま、店内を進んで行ったのである。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「いらっしゃいませぇ、ルウ様お元気ですかぁ? 今夜は予約ですよねぇ」


 先にフランとカサンドラが座っていたテーブル席にルネが椅子を勧められて座ると、ルウも座った。

 それと同時に、この店の店員らしい、少し舌足らずな喋り方の大きな目がくりっとした栗鼠のような可愛い少女が注文オーダーを取りに来る。

 

 学園の生徒とは違う魅力が少女にはあった。


「おう! ニーナ、久し振りだなぁ」


 ルネが見る限りルウはこの店の馴染みのようだ。

 店員の少女との馴れ馴れしい会話さえも今のルネには気になった。

 ルネを含めて妻も居るのにニーナと呼ばれた少女は全く屈託が無い。


「いつもの大ジョッキのエールで良いよねぇ!」 


「ああ、キンキンに冷えた奴を頼むな」


「了解っ!」


 元気一杯の返事をしてニーナが厨房の方に引き下がるとカサンドラがにやにやしてルネの脇腹を突っついた。


「ははは、さっきの女の子でさえ気になっているようだな。いつもの冷静なお前らしくない、こうなるとまるでルウ様に対して一途に恋する乙女だな」


「そ、そんなっ! ち、違うっ!」


 そうこうしているうちに少女――ニーナが大きなマグを2つ運んで来た。

 これで新生クランの全員に酒が行き渡り、乾杯の準備が出来たようだ。


「さあ、俺達のクランの出発を祝って乾杯しよう。なお、念の為だがカサンドラ先生が希望したクラン名、ブランデル・トレジャーハンター隊は絶対に却下だ。今一度、ここで、はっきりと申し伝えておこう」


「ううう、分っているって! ルウ様、もう言わないでくれ!」


 ルネが見ると悔しそうに俯くカサンドラの向こうからルウが親指を立てるのが見えた。

 どうやらカサンドラがルネに絡み酒気味なのを察知して上手く話題を変えてくれたようだ。

 それを見たルネは少し溜飲が下がったのと改めてルウの優しさを感じる。


「じゃあ、乾杯だ!」


「「「「乾杯!」」」」


 それからルウの音頭で5人のメンバーは乾杯したのである。


 乾杯が終わると待っていたかのように厨房から料理が続々と運ばれて来た。

 並べられるものは主に素材の良さをそのまま生かしたものが多い。

 

 ボワデフル姉妹は貴族籍を抜けて現在は上級市民として、この王都セントヘレナで暮らしている。

 普段はもう少し貴族が食べるものに近い食事をする彼女達にとってこの英雄亭の食事のような豪快且つ野趣溢れる料理は余り経験が無かった。

 

 学園では学生食堂で食事を摂るから良いとして、冒険者として活動している時はどうかと言うと、街中ではもっとお洒落で貴族の子女が行くような店で食事を摂っている。

 さすがに迷宮では干し肉やドライフルーツなどの携行食を食べていたので、このような居酒屋ビストロで飲みながら食べる経験が乏しかったのだ。


「何か……凄い迫力の料理ばかりですが……美味しいのでしょうか?」


 ルネはナイフを出すのに少し躊躇している。


「うふふ、大丈夫よ。ここの料理は皆、味は一級品なの……何せ、店主の拘りが凄いから! 加えていにしえの開祖、英雄バートクリード・ヴァレンタイン様の好んだ冒険者の料理を再現しているものも多いのよ」


 フランの言葉を聞いたカサンドラが驚いて聞き返す。

 自分達以上にフランとこの店の印象イメージが全く合わないと思っていたからだ。


「英雄バ、バートクリード様の!? でも何故校長がその事を!? ルウ様と良く来るのか? この店に」


「ふふ、それもあるけど……この店のあるじ、ダレン・バッカスは伝説の戦士、金剛鬼と呼ばれた大伯父様の従士だったのよ。旦那様のお陰で知り合えて先日じっくりと話したわ」


「え!? あ、あの金剛鬼か! それに校長の大伯父というと、エドモン大公様の? ふうむ、そんな繋がりが……で、料理も……」


 フランとこの店の繋がりに驚きながらも納得して頷いたカサンドラ。

 しかし肝心の料理はどうなのだろう?

 そんなカサンドラの心配を打ち消すようにフランは自信たっぷりに答えた。


「それがね、ダレンと会えたのは結果的な話。この店の料理が美味しいって最初に気付いたのは旦那様なのよ……何と嗅覚、鼻でね」


「は、鼻!? それって!?」


「まるで犬みたいでしょう? 良く考えれば可愛いわ」


 フランが笑うとボワデフル姉妹も釣られて笑う。


 片やモーラルはルウの取り皿に料理を盛っている。

 

 モーラルはボワデフル姉妹と会うのは今日が初めてだが、最初に姉妹の話を聞いた限りではクランとして一緒に行動する事をとても危惧していたようだ。

 それがこのやり取りである程度彼女なりに合格点を出したようだ。

 会話はボワデフル姉妹に聞こえないように念話である。


『旦那様、未だ現場で判断しないといけない部分は残っていますが、この調子なら私達と上手くやっていけそうですね。それ以上になりそうな予感もありますが……』


『ああ、アデライド理事長から彼女達の暴走を止めるようにも言われたからな。教師という仕事に充足感を得られていなかったから、もう1度俺なりに彼女達に上を目指し、生徒と共に学ぶ楽しみを感じられるようにやってみたのさ』


「これはとても美味い料理だ! そうだ! 良い事を思いついたぞ、ルウ様!」


 料理に舌鼓を打っていたカサンドラの大きな声が2人の会話を中断させる。


「フランを助けた時の事を詳しく聞かせてくれ! その事は噂では聞いていたが、やっぱり私の師匠は凄いと思ってな。このように美味い酒と料理にはわくわくする冒険譚がつきものじゃあないか!」


 カサンドラはフランを、『校長』から『愛称』で呼ぶ事が出来るようになったようだ。

 それだけ、この場の全員の距離がどんどん縮まっているのであろう。


「ははっ、了解!」


 ルウはモーラルに片目を瞑るとフラン達の方へ向き直って話し始めたのであった。

ここまでお読み頂きありがとうございます!

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