第367話 「学ぶ喜び①」
魔法女子学園実習棟、火曜日午前9時58分……
この教室では午前10時からルウの担当する専門科目、魔法攻撃術C組の授業が始まろうとしていた。
第1時限目に行われた2年C組の基礎学習とホームルームを終了して、ルウとフランが教室に入ると聞き覚えのある声が響いた。
「お疲れ様です!」
もう1人の副担当カサンドラである。
彼女はひと足先に教室に入っており、元気一杯の笑顔を向けて来たのだ。
当然、ルウとフランもカサンドラに労わりの言葉を返す。
「お疲れ、カサンドラ先生」
「カサンドラ先生、お疲れ様!」
「ルウ先生に言われた資料は全て配っておいた。いつでも授業を開始出来るぞ!」
カサンドラはルウの指示通りに、託された資料の生徒への配布を既に終えてくれたようだ。
爽やかな笑顔のカサンドラを見て彼女の普段を知っている生徒が吃驚したような顔をしている。
いつも上から目線で居丈高にびしびしと話す彼女がルウに対しては、まるで敬愛する先輩に対する後輩のような従順な態度だからだ。
「ありがとう、カサンドラ先生」
「お安い御用だ……い、いや、お安い御用よ」
ルウに礼を言われたカサンドラは頬を赧めて俯いてしまう。
男言葉を言い換えるその様子はまるで初めて恋をした少女のようである。
それを見たフランは素知らぬ振りをしていたが、ルウから見たら笑いを堪えているのが良く分った。
そのようなフランの様子に気付いたのか、カサンドラは大きな声を張り上げる。
「ももも、もう授業の開始時間だ! ルウ先生にフランシスカ校長! 急いでくれ!」
直ぐに男言葉に戻ってしまったたカサンドラにルウは片目を瞑って頷き、フランは我慢出来ずに噴出すと下を向いてしまったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
魔法女子学園実習棟、火曜日午後12時40分……
午後1時からは、この教室では錬金術の授業が行われる。
担当は教頭のケルトゥリ・エイルトヴァーラ、副担当はルネ・ボワデフルだ。
2人は昼休みを早く切り上げて授業開始前の直前の打合せを行っていた。
このクラスの最初の授業である事もあってやりとりは綿密だ。
さすがにこの時間では教室に生徒の姿は未だ無いが、珍しく1人が教室に入って来た。
「あれ、やけに早いけど……、あれは!?」
ルネが入って来た人物に視線を向けるとそれは生徒では無い。
2人に人懐こい笑顔を向けて立っているのはルウであった。
「おっす、ケリー、ルネ先生もお疲れ様。」
はぁ!?
この規則遵守の権化のような教頭に!?
このように失礼な呼び方をして……絶対に怒られるわ!
でも教頭の事は親しげに呼んで、私には凄く他人行儀なのはどういう事!?
ルネは思わず憮然とした表情になる。
「こらっ、ルウ先生!」
ほら来た!
「最近は私の事を放置しっぱなしじゃない。忙しいのは分るけどあんたには貸しがいくつかあるんだからね。今度埋め合わせしなさい!」
「ははっ、了解」
あ、あれ!?
何、この友人みたいに馴れ馴れしい会話は?
「き、教頭!? 良いんですか?」
「ルネ先生、良いって何? ……あ、ああそうか!」
ケルトゥリはコホンと咳払いし、居住まいを正すとぴしりとルウに対して言い放った。
「ルウ先生、学園内ではいくら親しい仲とは言え、『おっす、ケリー』はいただけません。私の事はちゃんと『教頭』と呼ぶように!」
注意するケルトゥリを見てルネはホッとした。
例の手を叩くパフォーマンスが出なかったとはいえ、これこそがケルトゥリ教頭らしいのだ。
しかし!
この尊大で気難しい教頭がルウの事を『あんた』と呼んだり、挙句の果てに『親しい仲』とまで言い切るとは一体彼とはどのような『仲』なの……だろう。
ルネがそんな事を考えていると、ケルトゥリがこの教室に来た目的を聞いたのだ。
「ところで何故、この教室に? ルウ先生、貴方はこの時間には授業が入っていない筈です、いわゆる空き時間ですよね」
「ああ、先日、このクラスに入れて欲しいと頼んだA組の生徒が来ただろう? 実は俺、彼女の面倒を見るって約束したのさ。それにケルトゥリ教頭がどのような授業をするか、勉強させて貰おうと思ってね」
「ああ、ポレット・ビュケね。彼女、とてもしっかりとして来たわよ。今迄はふわふわと浮ついていたのがヴァレンタイン魔法大学経由で1人前の錬金術師になって魔法省か工務省に入りたいときっぱりと言い切ったから」
「ははっ、それは結構だ。ポレットが頑張っているようだから、俺はちらっと様子を見に来たのさ」
「もうひとつの目的は……嫌味ね。貴方は私なんかより、ずっと凄腕の練金術師じゃない」
それを聞いたルネは驚き混乱した。
えええっ!?
この人……ルウ・ブランデルって……
嘘!? 教頭より凄い錬金術師だなんて……どういう事!?
姉さんと戦った時の体術といい、攻撃魔法といい超一流よね。
その上、回復魔法も使えて、召喚魔法の達人で、S級の魔法鑑定士でもあるし、彼って、一体何が専門分野なの?
ルネがそっとケルトゥリを見ると彼女の眼差しは羨ましそうな雰囲気でルウに向けられ、口元にはもう諦めたような苦笑いが浮かんでいる。
一方、ケルトゥリの嫉妬の篭もった言葉をスルーするようにルウはゆっくりと首を横に振った。
「ケリーはそう言うけど、俺は教師になってたった3ヶ月だ。人に教えるなんて一体どうすれば良いのかという試行錯誤の繰り返しさ。今の所、アールヴの方法を取り入れたり、自己流で進めているけど先輩のやり方を見て良い所は取り入れて行きたいんだ」
そんなルウの言葉を聞いたケルトゥリは何とか機嫌を直したようだ。
彼に対して魂から嬉しそうに笑ったのである。
「ふふふ、それは良い心がけね。貴方も少しずつ人に学ぶ喜びを教え、自らもそれを体感する教師の生きがいに目覚めて来たっていうわけね」
「ははは、ケリーの……いや、ケルトゥリ教頭の言う通りさ。担当のクラスの生徒は勿論、ポレットみたいな子の学ぶ喜びというのが俺にも漸く分るようになって来たんだ」
ルウ先生やケルトゥリ教頭には生徒の『学ぶ喜び』というものが理解出来るようだとルネは受け止めた。
で、あれば果たして自分は生徒の学ぶ喜びが理解できるのかとルネは自問自答した。
……はっきりとは分からない。
それがルネの答えであった。
じゃあ、生徒達は?
自分の担当する3年B組を始めとして、担当する専門科目の生徒達は果して『学ぶ喜び』というものを感じてくれているのだろうか?
いや!
多分……生徒は魂から学ぶ事に満足していないだろう。
何故ならば自分自体が魔法を学ぶという事に対して最近は全く喜びを感じていないのだ。
はっきり言って面白く無いのである。
苦労して努力しながら身についた魔法というものがルネにあればまた違ったかもしれない。
だがそこそこの努力をすれば大抵の魔法は人並みに会得出来てしまう。
これは天賦の才を持ったボワデフル姉妹の悲劇でもあった。
ルネに教師として教えようという気持ちはあるのだが、自身が魔法を学ぶ事への情熱が余り無い……
そのような真剣さが足りない教師の自分に教わる生徒がもし哀れというのなら……
そう考えたルネは彼女達が気の毒で気分が滅入ってしまう。
ルネはルウから視線を外し、辛そうな表情で俯いた。
「ルネ先生」
俯いた瞬間、ルネはルウから名前を呼ばれた。
ハッとして視線を向けるルネに対していつもと同じ穏やかな表情でルウは言う。
「悩みだらけの俺みたいな新米が生意気言うようだけど……今、ルネ先生は行くべき道を見極めようとしてじっくりと考えながら立ち止まっているだけだ。未だこれからさ、焦らずにまた歩き始めれば良いじゃないか。道は必ず見つかるよ」
進むべき方角や方法を見つけられずに迷っていたようなルネにとって、ルウの言葉はとてもありがたかった。
彼の言葉により自分を見詰めなおして考えようと思い直す事が出来た上に、乾いて満たされなかったルネの魂が優しく癒されたのである。
ルネは思わず大きな声で泣きそうになるのを耐えて、ルウに「ありがとう」と言い、ゆっくりと頷いていたのであった。
ここまでお読み頂きありがとうございます!




