第344話 「恩讐を越えて」
英雄亭の弁当をフランを始めとしたルウの妻達が店内で広げながら、食事の支度を進めている。
ルウはそれを見ながらバルバこと悪魔バルバトスに言う。
「バルバ、今日から早速入店制限を実施してみよう。となると待合用のベンチとお客に出す紅茶の手配が必要だな」
「御意! 紅茶はルウ様のお屋敷でお飲みになってなっている物が宜しいかと!」
そこで口を挟んだのがヴィーネンこと悪魔ヴィネである。
「ルウ様、宜しければベンチは私が買って参りましょう。外に並べる物ですからそこらの古道具屋に行って適当な物を買えば充分でしょう」
ヴィネの言葉を聞いて思わず反論したのが店主のバルバトスである。
「な!? 何を言っている? 待合用のベンチと言えども私の店のセンスを問われるのだ。俺はそういったものにもしっかりと拘りたい。ヴィーネン、そのような馬鹿な事を言うお前には任せてはおけん」
「ば、馬鹿だと!?」
馬鹿と言われて声を思わず荒げたのはヴィネである。
本来悪魔は誇り高い。
さすがに『馬鹿』と言われて憤ったのだ。
そんな2人にルウが割って入る。
「まあまあ、2人共止せ! バルバ、ベンチはお前が古道具屋へ行って自分の満足の行く物を買って来い。ついでに紅茶を淹れるポットとカップもな。ヴィーネンはこれから忙しくなる。先に食事を済ませておけ、良いな?」
ルウの指示は彼等にとっては鶴のひと声だ。
バルバトスとヴィネは途端に言い争いを止めて、ルウに向き直り、跪く。
「はっ! 買い物に行って参ります」「了解です、ルウ様」
「よし! 紅茶の茶葉は俺が取りに行って来よう。結構美味い茶葉だぞ」
ルウ自らが使いに行くと言って慌てたのがモーラルである。
傍らで話を聞いていて、てっきり自分が命じられると思っていたのだから。
そんなモーラルにルウは片目を瞑った。
彼女の魂に念話によるルウの声が流れ込んで来る。
『大丈夫さ、転移魔法で屋敷までさっと行って来るから。念の為、お前はフラン達を守り、何かあったら直ぐ知らせるんだ……ははっ、本当の所はな。お前はさっき働いたばかりだから、たまには皆でゆっくりと食事をしろって事さ』
ルウはやはりモーラルを労わってくれたのだ。
『旦那様!』
ルウを呼ぶモーラルの声が思わず震える。
そんなモーラルに笑顔を向け、ルウは軽く手を横に振った。
『俺も腹が減っているし、英雄亭の弁当を食いたいから直ぐに戻って来るよ』
ルウはフラン達にも念話で屋敷に行くと伝えると奥の部屋に引っ込む。
そして転移魔法を発動させ、屋敷まで紅茶の茶葉を取りに行ったのであった。
1時間後――
「ふん! 私が買おうと思っていたのと大差ないではないか」
「いいや! ヴィーネン、お前にはこのベンチの奥ゆかしさが分らぬのだ」
ルウもバルバトスも用事を終えて店に戻って来ていた。
しかし性懲りも無くバルバトスとヴィネは店内に置いた渋いベンチを見ながら未だに口論をしていたのである。
ちなみにルウは屋敷から紅茶の茶葉を持ち帰り、バルバトスはこのベンチと紅茶セット一式を購入していた。
そんな2人に可愛い声が掛かる。
「ほら、バルバさん、ヴィーネンさん。お疲れ様、お茶がはいったよ」
「ありがとうございます! ナディア様」
バルバはすかさず、にっこりと笑い礼を言う。
ヴィーネンも声のした方を見るとルウの妻の1人であるナディアが紅茶の入ったカップを2つトレイに載せて笑顔で立っていた。
「お、奥様! あ、あ、ありがとうございます!」
ヴィネはナディアを見て、つい声が上ずってしまう。
彼女に対して自分が過去に行った事を考えるとヴィネ自身、ルウに殺されても仕方が無いと思っているのである。
そしてナディアが自分を極度に怖れ、それと共に憎んでも憎みきれないほどの気持ちを持っている事は充分、承知しているのだ。
しかしヴィネは信じられない言葉を聞く。
「ヴィーネン、キミは充分、旦那様の為に働いているよ。ボクの為にもね。ボク、キミにはとても感謝しているんだ……ありがとう、これからも宜しくね」
「…………」
「おい! ヴィーネン、良かったな! 私も嬉しいぞ」
ナディアの慰労の言葉を聞いて黙り込んでしまったヴィネ。
今迄口論していたバルバトスもヴィネの肩を叩いてこの仲間の為に喜んでいる。
「う、ううう……」
やがてヴィネが口を開こうとしたが言葉にならない……ヴィネは……泣いていた。
凶悪で残忍と呼ばれていた悪魔ヴィネ。
彼はか弱い少女の言葉で天界から追われ凍りついた魂が温かく溶かされる心地良さを感じている。
……そしてその優しい少女ナディアを害してしまった懺悔と彼女に許された感謝の気持ちを改めて強く持ったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
食事休憩が終わり、準備中の札も返されて営業中の札に変わる。
バルバトスが購入して来たベンチが表に置かれ、ヴィネは紅茶の用意をしてスタンバイしている。
ルウのアイディアである入店制限式で魔道具店『記憶』の営業が再開されたのだ。
入店できるのは一度に3名……少ないが、現状のレギュラースタッフの人数でしっかりと接客する為には、この人数が最適なのである。
その代わり巧みな誘導であからさまな冷やかしの客は余り間を置かずに店を出て貰うようにした。
客の購入目的と予算をしっかりと取材し、お勧めの魔道具を案内するのである。
ただこれはあくまでも基本的な接客だ。
本来の接客は相手のタイプを見て行うのはどの世界でも変わらない。
ゆっくりと商品を見たいという客にはそれに合った対応をするのだ。
一方、店の表では引っ切り無しに訪れる客の対応にヴィネが奮戦している。
大抵の客は店のシステムを聞いて納得してくれた。
渋々順番を待つと言った客もベンチの座り心地に驚いて素直になる。
そしてルウが持ち込んだ紅茶の評判も客達には上々であった。
ところで気になるのはこの紅茶の出元である。
最近ルウや妻達の間では実は紅茶がブームであった。
かと言ってこの紅茶、王族や上級貴族が愛飲する高価な最高級品というわけでもない。
値段が手頃で知る人ぞ知るという商品を逆にルウ達は好んだのである。
それに全面的に協力したのがキングスレー商会であった。
ルウ達と懇意にしている支店長のマルコ・フォンティが偶然にも大の紅茶好きだった事もあり、率先してルウと妻達に様々な紅茶を紹介し、販売したのである。
実はそのひとつがジョゼフィーヌの父であるジェラール・ギャロワ伯爵が、先日リーリャの侍女頭であるブランカ・ジェデクと愛飲していた紅茶なのだ。
こうして入店するお客を制限する試み、入店制限は様々な手立てを尽くした事もあり、上手く機能し始めていた。
結果、てんてこ舞いという事態には陥らずに、魔道具の店『記憶』のスタッフ達はしっかりと接客する事が出来たのであった。
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