第30話 「披露」
「じゃあ、ブランデル先生の席はここよ」
フランの指示で……
職員室の2列のうち、空いていた片方の1番端の席がルウに与えられた。
隣がアドリーヌ、その隣が先程、『牝牛のような乳』とルウに言われたリリアーヌである。
「悪かった」
「もう良いのよ。でも牝牛って例えがねぇ……」
素直に謝罪するルウに対し、リリアーヌは手を横に振った。
ルウの表現こそ問題ではあった。
だがリリアーヌは、男性が意識するにあまりある、自身の胸が持つ魅力は充分に自覚しているようだ。
と、その時。
スタスタと歩いて来たと思ったら……
何と!
ルウのフォローをしたのは、ケルトゥリである。
「ちょっと宜しいかしら? ブリュレ先生、実はルウは一方的に悪いというわけではないのですよ」
「は? 教頭、それは一体どういう事ですか?」
怪訝な顔をするリリアーヌ。
一方、ケルトゥリは表情を変えないまま、続けて言い放つ。
「ええ、我々アールヴの中で、先程の例えは最大の褒め言葉なのです」
「え? 最大の誉め言葉? 牝牛が?」
「はい!」
「ええっと、……詳しく聞かせて頂けますか?」
「分かりました」
リリアーヌは、相変わらず怪訝な表情だ。
彼女の要望に応え、ケルトゥリはゆっくりと話し始める。
女性は太古から豊穣のシンボルである。
しかしアールヴ達は、基本体躯が華奢である。
その為、豊かな乳房を、神格化された女性のシンボルとして求める傾向が強かったという。
アールヴは基本的には森の中に居住し、家畜を持たない。
そんなアールヴが、人間が使役する牝牛の乳房を初めて見た時に、豊穣の女神のイメージを持った。
その結果……
牝牛のような豊満な乳房……
という形容は、『豊穣の女神』の例えになったという。
ケルトゥリから『女神』と聞いた、リリアーヌの態度は一変した。
こぼれんばかりの笑みを浮かべ、ルウに囁いたのである。
「うふふ、ルウ先生。分からない事でも何でも、私に相談して下さいね」
フランもケルトゥリの説明を聞いて、ルウが不埒な気持ちによる発言ではない事にホッとはしていたが……
何故か、複雑な思いは残った。
ケルトゥリが、鮮やかにルウのフォローをしたのに対し、自分はルウを厳しく叱責しただけだから。
すっかり機嫌が良くなって秋波を送るリリアーヌへ、ルウは一礼し、椅子に座る。
そしておもむろに収納の腕輪から、一気に10数冊余りの教科書を取り出して机上に並べ始めた。
取り出したのは教科書だけに留まらない。
筆記用具から、紅茶を飲むためのカップまで……
様々なものが机上に並んで行く。
その様子を、何気に見ていた教師達から驚きの声が洩れた。
「えっ?」「何?」
「う、嘘!?」「あれは!?」
「ええと……あれって収納の魔道具ではないんですか?」
驚く教師達へ、ルウと同期の新人アドリーヌ・コレットが不思議そうな顔をして問い掛ける。
しかし、驚きの表情で首を横に振ったのは、魔道具研究の授業を受け持つクロティルド・ボードリエであった。
「コレット先生! 何を言っているの! 普通の収納の魔道具と比べたら桁違いなのよ」
「そう、その通りですわ!」
相槌を打ったのが、ボワデフル姉妹のうち妹のルネである。
「収納の魔法は、使用する際に結構手間が掛かるものなの。その上、出し入れの際には複雑な魔法式をその都度唱える事になるのよ。だけど彼はあっさりと出したでしょう?」
ルネ達の驚きは、まだまだ留まらない。
「腕輪という、コンパクトな大きさがまず吃驚。なのに、あの様子だとまだまだ余裕がありそう。あんなに収納量の多いモノは見た事がないわ」
ルウが使う収納の腕輪のような優れた魔道具は、唯一、古代の遺跡から発見される事はある。
だが、出土する確率は低いし、博物館に展示される事が殆どだ。
そんな貴重品を、無造作に普段使いしているから、驚くのも無理はない。
それにクロティルドはもう我慢が出来なかった。
腕輪の素性を知りたいという、魔法使い特有の好奇心が炸裂したのだ。
「ブランデル先生! そ、それ!」
「それ?」
「その腕輪です! 古代人工遺物か何かですか? それにしては……比較的新しい腕輪だけど」
クロティルドは興味津々といった様子でルウの腕輪の事を尋ねた。
しかし、ルウは相変わらず飄々としている。
「ははっ、俺の事はルウと、気軽に呼んでくれないか」
ルウは朗らかに返事をした。
だが、クロティルド達の視線が自分の腕輪に集まっているのを見て、首を傾げる。
「おお、この腕輪か? これは古代人工遺物なんかじゃない、自作さ」
とんでもない収納の腕輪が……
ルウの作った魔道具!?
衝撃の事実を知って、クロティルドとルネから同時に驚きの声が洩れる。
「じ、じ、じ、自作なの!?」「えええっ!?」
「うん、アールヴが作ったミスリルの腕輪に、俺が付呪した魔道具さ」
「…………」「…………」
もう、ルウとクロティルド達の限られた会話ではない。
職員室中の人間が、ルウへ注目していた。
「便利だぞ、これ。いちいち魔法式を唱えなくても、腕輪に登録した自分の魔力波を込めるだけで、取り出したい物をすぐに対応出来るようになっているから」
ルウは……
自分がとんでもない話をしているのに気がつかない。
「ああ……もう!」
「うふふ……」
フランは頭を抱えるが、アデライドは面白そうに笑っている。
出来るだけ、能力を見せないようには言われているが……
収納の腕輪が、ルウの持つ付呪魔法最大の能力と言う基準で見せるのは……
アデライドとの約束で、既に決めていた事であった。
腕輪の能力は騎士隊が緘口令を敷いてくれたが……
事件のあらましやルウの使用した魔法と共に、いつかは公にばれるとアデライドは踏んでいた。
母の低い笑い声についフランが目を向ける。
「大丈夫よ」
アデライドは、フランへ「そっ」と囁いた。
ルウの言葉を聞いたクロティルドとルネは、目の前に居たリリアーヌを押し退け……
ルウに断ってから、腕輪を興味深そうに触っていた。
クロティルド達に押し出された格好のリリアーヌは、頬を大きく膨らませてむくれている。
しかしリリアーヌの怒りは、全く伝わらない……
「ル、ルネ先生! わ、私達も多少の付呪は使えるけど、ここまでのものは無理だわ」
クロティルドが興奮した声で言い、ルネも同意した。
「そ、そうですわ!」
こうなると……
腕輪の製作方法に興味が向くのは、至極当然である。
「ルウ先生! こ、今度、ぜひ教えて!」
「そうそう、ぜひ!」
ルウに迫る、クロティルドとルネのふたり……
ぱんぱんぱ~んっ!!!
そこにまた、ケルトゥリが派手な音を立て、両手を叩く。
そして、教師全員に席に着くように命じる。
「皆さん! 本来は明日からの春季講習の準備の為に出勤しているのだから業務に戻って下さい!」
ケルトゥリの注意勧告を聞いたクロティルドとルネは、やむなく自分の席に戻り、仕事を開始したのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ルウ先生! すぐに教頭室へ来て下さい!」
厳しい表情を崩さず、ルウへ告げると、ケルトゥリは職員室を出て行った。
アデライドとフランも職員室を出て、それぞれの部屋に戻ると……
今度はルウの所へ、ボワデフル姉妹の姉、カサンドラがやって来た。
これまでのやりとりに加え、ルウの異相ともいえる風貌に、興味津々と言った感じだ。
「なぁ、ルウ先生は専門科目の何を教えるんだい?」
しかし、妹のルネがすかさず姉に言う。
「何、言っているの。お姉様、こんな素晴らしい付呪が出来るんだもの。魔道具研究に決まっているじゃない?」
「シャラップ! ルネ、貴女は黙って!」
カサンドラは手で妹を制し、再度「教えて」と熱っぽく聞いて来る。
対して、ルウは笑顔で返す。
アデライド、フランとの打合せ通りに。
「俺の専門科目は、魔法攻撃術と召喚術だ」
質問に答えたルウであったが……
そういえばこのカサンドラとは、担当科目が一緒だと思い出した。
担当が同じ科目だと分かると、彼女は爛々と目を輝かせ始める。
「おおっ! 同じかあっ! よぉ~し、ルウ先生、私と魔法勝負を!」
「お姉様、いい加減にして」
「ぎゃう!」
悲鳴が上がったのは、ルネが愛用の魔法杖でカサンドラの脚の脛を思い切り叩いたのだ。
「ルウ先生、御免なさい、この人ったら、すぐ周りが見えなくなってしまうので」
姉を叩いておきながら、しれっとしたルネ。
痛さに悶えるカサンドラを、一切無視して謝る。
「もう邪魔しませんわ。どうか仕事を続けてください」
ルネは、にっこりと笑っている。
そうこうしているうちに……
主任のシンディもやって来た。
「あらあらルウ君、人気者ね。さてさて専門が魔法攻撃術と召喚術なら、私と刷り合せをしておきましょう」
「刷り合わせ? 授業内容の確認だな、了解!」
「良い返事ね。教科書の内容は把握しているのかしら? ルウ君の属性の適性と準適性は?」
「え~と、確か火属性が適性で風属性が準適性かな」
「へぇ? 理事長や校長と一緒なのね。専門科目、特に属性が関係する時は副担任が担当クラスの垣根を越えてフォローする事が多いの。今年はアドリーヌさんと君が副担任ね」
「分かった」
この魔法女子学園において、副担任は基本、ベテラン教師に付いて授業の仕方を学ぶ見習いのような存在である。
だが、ルウの場合はフランの従者という関係もあり、一応フランの副担任となっている。
ルウの担当科目である魔法攻撃術と召喚術はシンディ、カサンドラが担当なので彼女達の授業を手伝う機会があるという事にもなる。
まだ痛いらしい脛を擦りながら、カサンドラが親指を立てた。
にかっと笑う。
カサンドラが親指を立てたのは……
授業を手伝って貰えて嬉しいというより、後ろ指刺されることなく堂々と手合わせ出来るという喜びかららしい。
ある意味、分かり易い性格である。
そんなこんなで話していて、若干時間が経った。
「ルウ君、そろそろ教頭室に行かないと……まずくないかしら?」
シンディが、悪戯っぽく笑いながら告げた。
「ああ、そうか……」
確かに、ケルトゥリから呼ばれていた。
ルウも呟いて腰を上げると、シンディにお辞儀をする。
更に全員へ頭を下げ、職員室を出た。
職員室を出ると……
フランが立っている。
ルウがケルトゥリと、どんな話をするのか気になるらしい。
心配するなというように手を振り……
ルウは、教頭室の扉をノックしたのであった。
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