第208話 「魂への呼びかけ」
フードを被った悪魔はグレゴーリィに向って笑ったようである。
含み笑いと共に挑発するような言葉が投げ掛けられた。
「お前は闇の魔法使いと言ったな? 面白い、もしお前が俺に勝てたなら素直にいう事を聞いてやろう」
それを聞いたグレゴーリィは納得したようだ。
普段から悪魔を使役しているので彼等の性癖をある程度分っているらしい。
「良いだろう、それがお前が欲する『契約』の条件だな。私はなんとしてもその女を闇に堕とさねばならぬのだからな」
悪魔は頷き、指を鳴らすと周囲が真っ白な世界に変わる。
魔力によりホテルのスイートルームから一気に『異界』に瞬間移動したのだ。
「ほう! 悪魔よ、これはお前の作りし異界か? なかなかのものだな」
グレゴーリィは興味深そうに辺りを見回している。
「ふふふ、この異界は現世や冥界と繋がっている。俺の力で作り出した異界であってもお前に対して何の制限も不利もない。お前が闇の召喚者と言うのなら思う存分にやってみるが良い」
それを聞いたグレゴーリィはしめた! という表情だ。
悪魔の話は更に続いている。
肝心の約束をしていないと指を左右に振ったのだ。
「ふふふ、お前が勝負に負けた時の事を取り決めしていなかったな。負けたらお前は俺に何をくれるというのだ?」
黒ずくめの悪魔がまた笑った。
フードの奥に唯一見えている口が僅かに開いたのだ。
「他の悪魔のように問答無用で私の魂を取るというのではないのか? ならば私が手に入れるロドニアをやろうか? 当然、この女もつけてな」
グレゴーリィはリーリャを指差すとにやりと笑う。
リーリャはグレゴーリィの言葉を聞くと悲しげな目をして顔を伏せた。
無力な今の自分ではどうする事も出来ないと諦めて、悪魔とグレゴーリィに翻弄される運命を受け入れたらしい。
そんなリーリャの様子を面白そうに見たグレゴーリィ。
どうやら彼が最初に見せた動揺は収まり、冷静さを取り戻して来たようだ。
しかし悪魔は増長するグレゴーリィを皮肉る。
「ほう! それは大きく出たな。しかし未だ自分のものではないものを賭けの対象とするとは如何なものかな」
そんな悪魔にグレゴーリィは自信たっぷりに言い返す。
「大丈夫だ、私はお前に勝つ! そしてお前も結局は私に使役される悪魔の1人となるのだ」
グレゴーリィは複雑な印を結ぶと言霊を詠唱し出した。
「かつて魔法を極めし者、闇に身を任せ死を友とし永遠の身体を得る。その大いなる知恵と魔力を我が憎き敵に使うがよい」
グレゴーリィの身体に瘴気が纏い、禍々しい気が満ちる。
「死!」
最後に放たれた死を期待するという闇の言霊に対して反応した怖ろしい気配が立ち上った。
現れたのは漆黒の法衣を身に纏い、古ぼけた瘤だらけな木製の杖を持った魔法使いらしい老人だ。
しかしその瞬間に老人から放たれた声……
かは……ああああああ!
明らかに人間の声ではないおぞましい叫びが響き渡る。
あ、あの顔は!
リーリャは法衣姿の老人の顔を見て思わず息を呑む。
彼女の瞳に映ったのは殆ど肉付きのない骸骨のような風貌だったからである。
「あ、あれは不死の王と呼ばれるリッチー!」
「ははは、小娘! さすがは半人前とはいえ魔法使いだな。リッチーと分ったか?」
フードの悪魔は相変わらず腕組みをしたまま動いていない。
「ははは、悪魔と言えども少しは怖ろしくなったか? このリッチーはかつて私と同等の闇の魔法使いだった男!」
グレゴーリィはにやりと笑うと再び言霊の詠唱に入る。
「冥界の冷たき風よ! 全てを凍らせ自由を奪え! 我の許し無くしてはその復活、ありえぬ程に!」
その傍らではリッチーも魔力を高めている。
どうやら同時に魔法を発動させるらしい。
「冥界風!」
グレゴーリィから最後の言霊が放たれると膨大な魔力波が放出される。
リッチーも全く同じ魔法を発動させたようである。
2つの魔力波は轟音を立てて竜巻を呼び起こした。
「ははは、お前のような悪魔でも、何人をも凍らすこの冥界の魔力風には敵うまい」
竜巻はまるで生き物のように悪魔に向って突進して行く。
しかし悪魔はまるで無抵抗だ。
やがて竜巻が悪魔を巻き込むとその強烈な魔力風が顔を覆っていたフードを吹き飛ばす。
そこに現れた顔は黒髪の人間の顔であった。
猛る風は悪魔を襲い、その四肢を揉みくちゃにしている。
「ははは、人化した貴様はそのような顔をしていたのか? まあ良い、お前は今、魂も身体も縛られているであろうよ、冥界の風によってな! 私とこのリッチーがその魔法を解くまでは一切動けまい!」
高らかに響くグレゴーリィの笑い声。
それを聞いたリーリャは終わったと思った。
彼女は別にどちらの味方でもない。
もしグレゴーリィが負けたとしても自分はあの怖ろしい冥界から呼び出された悪魔に支配されてしまうのだ。
闇の魔女に堕ちるか、悪魔に身を捧げるか……それはどちらにしても苛酷な運命であろうから。
しかしリーリャは悪魔が現れた時に発した言葉が心に残っている。
『ほう! まだこの蒼い蕾を無残にもへし折り、闇に堕とせと?』
『ははっ! 悪いがお断りだ。この国へ魔法を学びに来ている純粋で一途な少女を闇に落すなど到底出来ぬな』
残忍な悪魔が戯れで発したのか、そのような言葉だけでも今の彼女には一縷の望みであった。
その悪魔が……今……負ける……
冥界の風と呼ばれる凄まじい魔力の風に翻弄されている悪魔であるが、何故抵抗しないのかリーリャには不思議である。
その時であった。
心配しなくても大丈夫さ、お前はこれから起こる事をしっかり見ておけよ。
いきなりリーリャの魂に呼びかける声がした。
聞き覚えの無い爽やかな男の声である。
だ、誰!
貴方は誰!?
リーリャの問い掛けにまた同じ男の声が答える。
気持ちを確り持てよ……まあ、任せろ!
リーリャはその声が何故か、とても頼もしく感じられ、大きく頷いたのであった。
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