第135話 「妻として」
悪魔バルバトスはルウに糾弾され、小さくなって跪いている。
ルウはバルバトスに問い質す。
『高貴なる四方の王達がお前と一緒に現れない所を見ると、彼等もお前達の行いにはお怒りのようだ……彼等が味方につかない、お前達にはそれが計算違いだったな』
『ははっ! 仰る通りで……全て私が事態を軽く見てアンドラスの所業を抑え切れなかったのが原因です』
不和や諍いなど不幸をばら撒く悪魔アンドラスと人間の友情を調停する不思議な悪魔バルバトス……
バルバトスはアンドラスと組んで自分の能力を使い、かつて自分の主であったルシフェルを怒らせずにルウの力を推し量る……そんな思惑はアンドラスの感情の赴くままの暴走で崩壊し、歯止めが利かずにルウの怒り―――すなわちルシフェルの怒りも合せて買う事になったのである。
常人が悪魔の発する言葉の真贋を判断するのは難しいが、ルウは見えている魔力波で彼等の真意を見極める事が可能だ。
ルウの判断によればバルバトスは全く嘘をついていない。
バルバトスは縋るような眼差しでルウを見詰めて来る。
ルウは彼の視線を受け止めて大きく溜息を吐くと、掌の上でぶるぶると震える精神体を見た。
『くくくく、また許してやるつもりだな?』
ルウの魂にルシフェルの笑いが響く。
『ヴィネが言っていたお前と私の決定的な違いは私が持つ以上の寛容さだ。それは多様な価値観からなるものだが』
私には分ると、ルシフェルは呟いた。
『お前は確かに私の影響を受け、害を為した者に対して容赦の無い所もある。しかしお前は人間だけではなく72柱の悪魔全てをも救おうとしている。ふふふ、それどころか……いや、この先はこれからのお楽しみとしておこう』
『……ルシフェルには全てお見通しのようだな』
ルウがそう言うとルシフェルはまた面白そうに笑ったのである。
『ははは、ルウ。私がそうであれば冥界の底などに繋がれて囚われの身にはならない。ある意味、天使……まあ私は元だが、悪魔や人外の者共はどうしても限界があるのだよ。私の言う意味が分るか?』
『人間には限り無い可能性がある……』
『その通り……正解さ。現にお前は全ての者を救おうとしている。そんな発想は我々には無い』
ルシフェルはそう言うとルウの身体に魔力を送る。
ルウの掌が光り、アンドラスである精神体を眩しく照らした。
するとルウの足元には項垂れて、バルバトスと同様に跪いたアンドラスの姿が現れていたのであった。
15分後―――アンドラスは完全に実体化し、バルバトスと共にルウに忠誠を誓っている。
ルウは改めて念を押した。
『バルバトス、アンドラス……これで俺に仕える事に依存はないな?』
ルウの言葉に2人の悪魔は納得のいった表情で敬礼をする。
『は! 喜んでお仕えさせていただきます』
『命をルウ様に救われたこの身、粉骨砕身して働かせていただきます』
2人の誓いを聞いたルウの表情はいつもの穏やかな表情に戻っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ドゥメール伯爵邸金曜日午後9時……
正門には狼の風貌に変身したケルベロスが寝そべりながら半目を開けて警戒している。
未だルウは戻っていなかった。
フランを始めとした彼の妻達はさすがに心配をしている。
そんな中で全く心配をしていないのはモーラルだけである。
フランはついモーラルに聞いてしまう。
「モーラルちゃんは心配じゃないの?」
「モーラルちゃん?」
モーラルはどうやら自分の呼ばれ方が不満らしいが、この伯爵家の長であるアデライドが決めた事だとフランが言うとあっさり引き下がったのだ。
「その呼ばれ方は甚だ不本意ですが、仕方がありません。ところでフランシスカ様、先程の質問ですが私はルウ様を信頼しております、必ずお戻りになると!」
「でも……」
フランはまだ不安な表情をしている。
ルウを信じていないのではなく、心底彼が心配なのだ。
それが理解出来るのでモーラルはつい微笑んで言う。
「私が貴女様の目の前に居る事が主が、ルウ様が無事な証拠です。あの御方に何かあれば私は異界に引き戻されるでしょうから……あのケルベロスも同様です」
そう言われてフランは漸く頷いた。
2人の会話を聞いていた他の妻達もホッとした表情を見せる。
「納得しましたわ……モーラルちゃんが無事なら旦那様もですか……成る程」
ジョゼフィーヌの言葉に再度苦笑したモーラルであったが、自分は彼女達から愛されているのが分るので黙っていた。
その時である。
ルウの気配がいきなりドゥメール伯爵邸の正門前に現れた。
恐らく転移魔法で戻ったのであろう。
モーラルの感じるこの魔力波の反応なら……彼は無事だ。
彼女は安心して大きく息を吐き、続いてフラン達へ伝える。
「たった今、主が……ルウ様がお戻りになりました。ご安心下さい、ご無事にお戻りになりました」
モーラルの言葉にフラン達の間から喚声とホッとした声があがる。
「ありがとう、モーラルちゃん。さあ全員で旦那様を迎えに行きましょう」
フランが呼び掛けると、皆が大きく頷いたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「旦那様ぁ」「旦那様、お帰りなさい!」「よかったです、ご無事で!」
「ほっとしましたわ」
「お帰りなさいませ、お疲れ様でした」
「ああ、心配かけたな。ただいま」
ルウは彼女達と次々に抱擁する。
オレリーは目に嬉し涙を浮かべていた程だ。
それらの光景をモーラルは慈愛に満ちた表情で見守っている。
「モーラルちゃん、貴女も行ってらっしゃい」
そんなモーラルにそっと声を掛けたのは彼女の傍らに居たフランである。
「え!? 私はここに控えておりますのでフランシスカ様が行かれないと……」
「良いのよ。貴女は『妻』として夫を信じて立派に役目を果したわ。さあ、遠慮しないで旦那様にしっかりと抱き締められていらっしゃい」
フランの言葉にモーラルは大きく目を見開いている。
妻!?
自分が?
そんな事?
「そんな!? 恐れ多いことです。私は魔族です、人間ではありません。ルウ様の『下僕』に過ぎないのです」
「そうかしら? 旦那様はそうは思ってらっしゃらないし、私もそうよ。 魔族なのが何だというの? 少なくとも貴女は『妻』として旦那様と共に歩み、幸福になる権利があると私は思うの」
フランは優しくモーラルを見詰めていた。
「モーラル、どうした? 早くおいで!」
そんなフランの声を裏付けるようにルウの大きな声が響いた。
フランがモーラルの背をそっと押した。
僅かな力なのに思わずよろめいたモーラルだが、その視線の先にルウが両手を広げて待っているのを見ると大きな声でルウの名を呼び、その胸に飛び込んで行ったのである。
その後―――
バルバトスの集めた魔道具はルウが受け取り、とりあえずこの異界に収めて置く事になった。
ドラス&バトス商店はいつの間にか無くなり、王都の誰の記憶にも残らなかったのである。
当然、ルイーズの忌まわしい記憶も消された。
翌朝アンナ・ブシェの謝罪でバルバトスの呪縛が解けたルイーズと仲直りしたのは言うまでもなかったのだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます!




