第111話 「政略結婚」
ジョゼフィーヌの唇がルウの唇を塞いでいたのはほんの数秒程度だったであろう。
しかし唇を離した後でも彼女にはとても長くキスをしていた感覚が残っていた。
いきなりキスされたルウも何故か驚いていない。
実は魔力波の動きで事前にジョゼフィーヌがこうするのをルウには分ってはいたのだが、それが彼女の余りにも思い詰めた気持ちからのものであったので彼はあえて避けようとはしなかったのだ。
ジョゼフィーヌの目を見るとその気持ちが溢れてしまったのか、涙で一杯になっている。
身体も小刻みに震えていたので、ルウは手を伸ばして、彼女の手をそっと握ってやった。
「あ、ありがとうございます」
ジョゼフィーヌは小さく呟き、何とか笑顔を見せる。
「ジョゼ……心に思うだけで良い、俺に理由を話してみろ」
ルウに優しく声を掛けられてやっとジョゼフィーヌの身体の震えが止まった。
やがてジョゼフィーヌの魂に浮かんだのは父ジェラール・ギャロワ伯爵との会話である。
強張った表情のジョゼフィーヌに対してあくまでもにこやかな表情を崩さない父、ジェラール……
『この縁談はな、我がギャロワ家にとってまたとない良い話なんだ』
『私の、私の意思は考えていただけないんですか? お父様』
『我がギャロワ家は残念ながら男子の跡継ぎが居ない。1人娘のお前がアルドワン侯爵の次男であるイジドール君と結婚し、彼に跡取りとして養子になって貰えればこんなに嬉しい事はないのだよ』
ジェラールは優しく微笑んではいたが、ジョゼフィーヌの話をまともに聞こうとはしていないようだ。
『お父様……私の質問には答えていただけないんですの?』
そこでいきなり父と娘の会話が終わり、次に浮かんだのはどこかの屋敷の庭園である。
2人の若い男女が離れて歩くのが見える。
男の方は金髪巻き毛で目に嫌らしさが浮かんでおり見るからに軽薄そうである。
『ははは、噂通りの美しさですな。ジョゼフィーヌ殿』
ジョゼフィーヌは彼の顔を見て話したくないらしい。
少し離れた所から躊躇いがちに彼の後をついて来ていたのだ。
『…………』
『さっきから黙っているが、この僕と話したくないのかい?』
『…………』
『おい! 下手に出てりゃいい気になりやがって! たかが伯爵の娘の分際で!』
いきなり口調が変わるとジョゼフィーヌの方に振り返ったイジドール・アルドワンの顔は怒りと屈辱に歪んでいた。
『お前は顔と身体もそこそこだし、飾り物の妻としては丁度良いから俺もこうして忙しい中、時間を作って会ってやっているんだ。もしお前が結婚して俺の妻となればギャロワ家はアルドワン家から莫大な援助を受けられて王家にも何かにつけて口利きをして貰える事になっている。お前の親父ジェラールもそれを知っている筈だよ』
そう言い放つとイジドールはいきなりジョゼフィーヌに飛び掛って彼女を抱きすくめたのである。
『い、嫌! や、やめてください』
『ははは、こうなりゃ、やっちまうのが1番ってね。ひゃはははは』
イジドールの顔が迫って来る。
どうやらキスをしようとしているらしい。
ジョゼフィーヌにぞくりと鳥肌が立つ。
『わ、私にはす、好きな、いいえ、大好きな殿方が居るのですわ!』
『な、何っ! 普通、見合いの席で他の男が好きなどと言うか! この女、俺に恥をかかせやがってぇ!』
ジョゼフィーヌは自分を抱いているイジドールの腕が一瞬緩んだのに気付くと彼を思い切り突き飛ばして、その場から全力で走って逃げ出したのである。
―――ジョゼフィーヌの回想はここで終わっていた。
「ジョゼ、良く分ったよ。大変だったな……」
気がつくとジョゼフィーヌはいつの間にかルウの胸に顔を埋めて泣いていた。
幸い少し離れていたのと呼吸法に集中しているので他の生徒達はこちらに気付いていない。
「わ、私、先生じゃなきゃ嫌なんですの! 絶対に嫌なんですわ」
「分った。お前が幸せになれるよう考えてみよう。授業が終わって午後……そうだな4時くらいに生徒会室に来てくれるか?」
ジョゼフィーヌは生徒会には嫌な思い出がある。
ルウが生徒会の顧問になったと聞いた時、生徒会長のジゼルに自分も生徒会に入れるよう談判したのだが、あっさりと断られているからだ。
心配顔のジョゼフィーヌにルウは大丈夫だと微笑んだのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
午後4時30分過ぎ、魔法女子学園生徒会室……
正面にはフラン、片側にはジゼルとナディアそしてもう片側にはオレリーが座っている。
ジョゼフィーヌはフランの対面に座っていたが、彼女が不安にならないように横の席に座ってくれているのがルウであった。
ジョゼフィーヌはルウに相談した事が何故このような話になったのか最初は疑問を感じたが、この場でフラン達が正式にルウの妻となった事を聞き、彼の身内としてこのような形にして皆で相談に乗る事を了承したのである。
ジョゼフィーヌは改めてルウに見せた魂の記憶を今度は言葉でフラン達に話していた。
「大変だったわね」
フランが彼女を労わり、言葉を続ける。
「お昼休みに旦那様から話を聞いてこれは『貴族』という身分の柵が大きいと感じたからこそ、悪いけどこのような形で話を聞いたの」
「はい……ルウ先生の好意だと受け止めていますわ。それに皆さんにも話を聞いていただけて少し気持ちが晴れましたの」
ジョゼフィーヌはあくまでも神妙だ。
それを見てフランは同情するように彼女を見詰めた。
「よくある政略結婚ね。そう、彼女が直面したこの状況がヴァレンタイン王国の貴族の婚姻の現実よ。まず家の存続の為、個人は犠牲になる。特に女性は父親や兄弟の都合で嫁ぐ、家の所有物みたいな風潮があるもの」
その言葉を受けてナディアが頷く。
「ああ、フラン姉の言う通りだ。その点ボク達は心から望んだ結婚をする事が出来る。本当に幸せさ」
ナディアの言葉にジョゼフィーヌはせつなそうな眼差しを向ける。
「あのジゼル姉……以前ジョゼフィーヌが生徒会に入りたいってお願いを断ったそうね、何故?」
オレリーがジゼルに本意を聞きたいと尋ねた。
彼女も魔法武道部の練習を中止してこの場に臨んでいる。
「ああ、答えは至極簡単さ。彼女は貴族の令嬢特有のきまぐれで旦那様の目を向けようとしていただけだったからさ。生徒会に入りたい動機を聞いて直ぐ分ったよ」
ジゼルは厳しい目でジョゼフィーヌを見据えると彼女は恥じ入ったように小さくなった。
「で、でも! ジゼル姉。最近彼女は変わったよ。率先して雑用をやったり、級友には気配りをしてくれて優しいし、旦那様の為に良い子になろうと本当に努力しているのよ」
そんなジョゼフィーヌをオレリーが必死で庇う。
驚いたジョゼフィーヌは大きく目を見開いてオレリーを見詰めた。
オレリーがいつの間にかルウの妻になっていた事実にも吃驚したジョゼフィーヌであったが、親しくない、単にクラスメートという立場の彼女が何故自分を庇ってくれるのが尚更不思議だったのである。
そんな彼女の呆然とした表情にオレリーは笑顔で応えた。
「ジョゼフィーヌ……私、分るのよ。貴女、今は本当に旦那様の事が好きでしょう? 愛しているでしょう?」
ジョゼフィーヌは思わずオレリーの言葉に大きく頷いている。
そしてオレリーの心からの優しさに感動して、その目にはまた涙が一杯に溜まっていたのだ。
その様子を見ていたジゼルがナディアと目を合わせて頷き合い、更にナディアはフランをじっと見詰める。
フランはナディアに軽く頷くと、ジョゼフィーヌに向き直って口を開く。
「貴女が旦那様の事を本当に好きで愛しているならどうするかここで決めなさい。その答え次第で私達も皆で貴女を助けるやり方を考えるわ」
フランの言葉にある真意を理解したジョゼフィーヌにもう迷いは無かった。
「私、ルウ先生……いえ、皆様と同じく『旦那様の妻』になりますわ。父に親不孝者と詰られても、そして例え貴族の身分を捨てても彼と一緒になります」
それを聞いたフランは改めてルウに彼女を助けましょうときっぱりと言い放ったのであった。
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