39.元神童、美術館に大賞受賞作を見にいく
そんなわけで、俺はアリサとともに帝都最大の美術館を訪れた。絵画教室で少し話題になった『ブラドラ絵画大賞』の受賞作が展示されているらしい。
意外と人気のある展示らしく、休日の美術館は人でごった返していた。
いろいろな展示を眺めつつ、俺は人の波に合わせて歩いていく。
「うわー、すごくきれいだね、お兄ちゃん!」
隣のアリサが興奮しながら展示中の絵画を眺めている。ちなみに、大賞の受賞作品ではなくて、常設展示されている古い絵画だ。
どれも写実的で『いわゆる普通の人が想像する美しい絵画』である。
それらを眺めつつ、人の波はだんだんと前に進んでいく。
やがて『ブラドラ絵画大賞』の受賞作のコーナーへとたどり着いた。
『審査員特別賞』から始まり、『銅賞』『銀賞』『金賞』と順に回っていく。
どの絵もなかなか上手に描けている。
まあ、常設展示されている古い絵画を『今風』に焼き直した感じだが。
隣でアリサが口を開いた。
「もうすぐ大賞だね! 楽しみー!」
もうすぐ大賞だが――
さすが大賞。人だかりがすごい。これは頑張って近づかないと、どんな絵かわからない。
少しずつ、少しずつ。
人の密度が前へ前へと押し流れていく。
もう少し、もう少し。
正直なところ、大賞から下の受賞作はあまり俺の胸には響かなかった。予定調和というか。美術とはこうであろう、こう描けば受けるだろう――そんな感情が見えすいた感じというか。
学生時代、俺が己を偽って描いていた絵とどことなく似ている。
やはり、そういうものが評価されるのだろうなと俺は思っていた。
なので、大賞作にもあまり期待はしていなかった。
どうせ、それほどすごいものではないだろう――
「お兄ちゃん、ほら、あれが大賞だよ! 」
ついに俺たちは大賞受賞作の前に立つ。
その瞬間、俺は衝撃を受けた。
俺が今まで見た絵で最も大きな衝撃を受けたかもしれない。
それほどに、驚きに満ちた一瞬だった。
呼吸が止まり、心臓が爆発する。
それはどこからどう見ても『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』の絵だった。
というか、俺が体験コースで描いた絵だった。
「え」
「え」
俺とアリサは固まった。むっちゃ固まった。
「アリサ、この絵、すごく見覚えがある気がするんだけど、気のせいかな?」
「う、うう、ううううん……」
アリサは眉間にシワを刻んで首を傾げた。
「見覚えがある気がするんだけど――ううん……いや、でも違うでしょ……」
「違うのか?」
ここまで一致しているのも珍しいと思うのだが。
あまり人は『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』を描かないのではないだろうか。
「だってさ、そもそもお兄ちゃん、大賞に応募してないじゃない?」
「そうだな」
確かにその通りだ。俺は応募していない。応募していない以上、俺の絵が大賞を受賞しているはずがない。絵画教室に残してきた俺の絵は廃棄されているのだから。
「少し自意識過剰だったかもな」
「うんうん。そうだよ、これがお兄ちゃんの絵のはずがないよ!」
「そうだな」
そんな話をしていると、背後から美術館のスタッフが声をかけてくる。
「申し訳ございません、お客さま。今日は来場者が多いので足を止めないようお願いいたします」
「ああ、すみません」
俺たちはそそくさとその場を立ち去った。
展示場を出ると、さすがに人の流れは分散して空間に余裕ができる。俺たちはぶらぶらと美術館の中を出口に向かって歩いた。
「ねえ、お兄ちゃん。すごい偶然でびっくりしたね。大賞作品!」
「そうだな。あそこまで似た絵ってあるんだな」
俺は内心で、俺って独創的だよな、なんて思っていたが、そんなことはなかった。いやはや、まるで自分を特別視している痛い人みたいで恥ずかしい。
就活マニュアル本『内定無双』にも書かれていたではないか。
『己は特別な存在ではないとわきまえよ。社会の大海に出れば、己など代わりのきく代替品でしかない。それを理解しているものにのみ、面接担当はほほ笑む』
うむ、やはり正しいな。
「お兄ちゃんも来年は応募してみたら? 芸術家イルヴィス爆誕かもしれないよ?」
「……どうだろうなあ……」
もう今年、俺と似た画風の人が大賞を取っているからな。来年、俺が応募しても『二番煎じ!』とされて予選敗退かもしれない。
芸術のオリジナリティって難しいね。
「あっ!」
アリサが不意に声をあげた。
「あそこに絵画体験コーナーがあるよ!」
またかよ。
どうやら空いているスペースを使って開いているようだ。参加費は無料らしい。
「ほら、お兄ちゃん! 暇だし、行こうよ!」
「まあ、暇だから、いいか……」
そんなわけで、俺たちはまたしても絵画体験をすることになった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
8星ソルタージュは美術館の『絵画体験コーナー』にいた。もちろん、帝都における芸術の第一人者がそんなところにいれば騒ぎになるので、地味なローブに身を包み、フードを目深にかぶって。
どうしてそんなことをしているのか――
大賞受賞作の作者を探すためだ。
大賞受賞作には大きな問題があった。受賞者の連絡先がわからないのだ。
おかげで絵の権利関係が面倒なことになっている。
なので『黒竜の牙』はオークションハウスと協議して、このように決定した。
『美術館で展示場を開くので、その場で製作者を探すこと。製作者が名乗り出たら、そのものに権利を付与する。誰も名乗り出なければ、『黒竜の牙』の所有物と認める』
この展示の開催には作成者を探す意図もあるのだが――
どうせなら絵画の全権利が欲しいオルフレッドは『製作者には出てきて欲しくない』スタンスでいる。よって、製作者を探している旨の告知はとても扱いが小さく、来場者のほとんどはその事実を知らないだろう。
オルフレッドと『黒竜の牙』にとっては申し分ない状況だが、ソルタージュは納得できない。
ソルタージュは大賞作の作者に出会ってみたかった。
あれほどの、芸術の奇跡を生み出す天才に。
生涯で初めて出会った、己の才能をはるかに超える天才に。
なので、悪あがきとして、美術館に絵画体験コーナーを開けてみたのだ。絵が好きなら、ひょっとすると暇つぶしに来てくれるかもしれない。
とんでもなく低い確率なのはわかっている。無駄骨に終わる可能性は高いだろう。それでもソルタージュはやらずにはいられなかった。
あの才能に出会いたかったから。
その可能性が1%でもあるのなら、今までもっとも大切だとしていた己の創作時間を投げ捨ててでもいい――そこまでの覚悟だった。
そんなわけで、ソルタージュはスタッフのふりをして、絵画教室にきた生徒の絵をこっそりチェックしていた。
ソルタージュの鑑定眼であれば、ちらりと見ただけで作風を解析できる。画風を変えていても無駄だ。絶対にソルタージュの目はそれを見破る。
あれだけの才だ。天才ソルタージュが見逃すはずがない。
また新しい参加者だ。部屋の隅にあるイスから立ち上がり、順に絵を見ていく。
違う、違う、違う、違う、違う――
落胆はない。そんなもの覚悟の上だ。
これから向かう先にいる、若い男女の参加者から声が聞こえてくる。
「またー、お兄ちゃん! 変な絵を描いてー!」
「ふふふ、本気を出しただけだよ、本気をな!」
気楽な口調の話ぶりだった。あまり芸術を真剣に考えていない感じが伝わってくる。
(……ダメだな……。あの絵を描けるのは、己の人生を美に捧げた、文字どおり芸術の権化のような人間だけだろう。あの位階にたどり着くには、それだけの覚悟が必要だ。あの程度の者では――)
ため息を噛み殺しながらソルタージュは二人に近づく。
女のほうの絵を見る。
ただただ凡庸。違う。
そして、男のほうの絵に目を向けて――
小さくため息をつき、こう断じた。
(……こいつも違うな……)
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