36.その絵、まさに神域なり
絵画教室の体験コースが終わった後、女性スタッフは一人で片付けをしていた。
今日はブラドラ絵画大賞、最終審査の準備もある。人手はまったく足りていない。
(……早く片付けて大賞選考の手伝いに回らないと!)
女性スタッフはテキパキと作業を進めた。
そのとき、1枚の絵が目に入った。
それは奇妙な絵だった。他の参加者が描いたものとは明らかに異なる。
簡潔に表現すれば、それは『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』の絵だった。
(……お題はイスと果物だったと思うんだけど、どうしてこうなったのかしら?)
女性スタッフは首を傾げる。
そう思ったが、それ以上の詮索はやめた。とにかく今日は忙しい。やるべき仕事は山ほどあるのだから、さっさと片付けるだけだ。
他の参加者は絵を持って帰ったらしい。
(……まあ、普通は持って帰るよね。記念に。残していくなんて、かなり変わった人ね)
だから変な絵なのだろう。女性スタッフは妙に納得してしまった。
残された1枚の絵を台車に積み込むと、女性スタッフはゴロゴロと廊下を転がしていく。
その道のりを半分くらい進んだところで――
「――さん! ちょっと待って! ごめん、手が足りないんで手伝って欲しいんだけど!」
振り返ると同僚が慌てた様子でやってきた。
「台車が足りないから、一緒に来てくれない?」
もちろん、女性スタッフに否はない。体験コースの片付けなど優先順位が圧倒的に低いのだから。
「わかりました」
女性スタッフは積み込んでいた絵画を廊下の脇に置く。あとで回収して捨ててしまえばいい。
「それではいきましょう」
二人は絵を残して、建物の奥へと向かっていった。
それからしばらくして――
慌てた様子で男性スタッフがやってきた。ずいぶんと走り回ったのか、彼は、はあはあと激しく息を切らしている。
「えーと、お、絵だ! これかな!?」
届けられた審査対象の絵が予定より1枚足りない――
その1枚を探すため、男性スタッフは建物を走り回っていたのだ。男性スタッフはチラッと絵を見て――
顔をしかめた。
(なんだ、この『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』の絵は!?)
理解できない画風だったが、逆に男性スタッフは安心した。
絵画の大賞候補なのだ。これくらい挑戦的なものがあってもおかしくはない。つまり、この絵が探している絵で間違いないだろう。
これでもう探し回らずにすむ――安堵の息をこぼすと男性スタッフは絵画を抱えて大賞の選考会場へと足早に戻っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その晩、クラン『黒竜の牙』リーダーであるオルフレッドは馬車に乗り、絵画教室に向かっていた。
ブラドラ絵画大賞の特別審査員を務めるためだ。
(……あまり興味はないがな……)
オルフレッドはうんざりした気持ちでそう思う。
剣聖にして賢者のオルフレッドだが、芸術には適性がない。貴族や王族たちと話を合わせる必要があるので素養として学んではいるが、義務の域を出ない。
実際の審査は芸術の8星ソルタージュに丸投げしているのが実状だ。
別にいなくても構わないが――
伝説として語り継がれる男オルフレッドの名前には価値がある。オルフレッドが関わった賞レースとなれば、それだけで箔がつく。
つけられる箔はいくらでもつけるべきだ。
なぜなら、この賞は『黒竜の牙』のビジネスなのだから。
受賞作はオークションにかけられ、売却額の大半が『黒竜の牙』の利益となる。大切な『商品』の価値は少しでも釣り上げるべきなのだ。
馬車が停止した。
ドアが開き、御者が恭しくオルフレッドに頭を下げる。
「到着しました」
「うむ」
オルフレッドは大仰にうなずくと、馬車からおりて審査会場へと向かう。
その途中、お付きのスタッフにオルフレッドは尋ねた。
「ソルタージュは来ているのか?」
「もうすぐだとは思うのですが――まだでございます」
「そうか」
審査会場には30ほどの絵画が柱に掛けられていた。すでに到着している審査員たちがメモを手に評価を始めている。
彼らはオルフレッドの姿を見るなり、平身低頭に挨拶をした。
オルフレッドもまた順に絵画を見ていく。
(どれもうまいものだ)
さすがに厳しい予選をくぐり抜けてきただけある。一流美術館に並べてもおかしくはないクォリティーのものばかりだ。
だが、オルフレッドにわかるのは『それだけ』だ。
最高品質の中の、さらに最高を決めるための判断基準がない。
(……まあ、それはソルタージュに任せればいい)
ただ、ソルタージュが出した結論にうなずく。それがオルフレッドの仕事だ。
立ち止まることなく絵を眺めていたオルフレッドの足が――
止まった。
「……こ、これは……!?」
気味の悪さに思わずオルフレッドは小声でうめいてしまう。
それは『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』としか表現できない不気味な絵だった。
他の絵とは明らかにテイストが違う。
(……これが芸術なのか? いや、バカな。さすがにこれは芸術を勘違いしている。意識が高すぎるだけだ。芸術とはこうだろう? と思い込んだバカが描いた作品に違いない!)
オルフレッドは内心で笑った。
不気味な絵への興味を失って歩き出す。
そのときだった。
急に空気がざわついた。審査員たちの目が入り口を向く。
オルフレッドが視線を向けると、そこに一人の男が立っていた。
年の頃は40半ば。細身だが、背丈は190センチほどもある。手足がすらりと長く、ソリッドな服装を身にまとっている。顔は整っているのだが、前髪を切り揃えた茶髪と真っ赤な丸メガネが妙に目立っている。
クラン『黒竜の牙』の8星、芸術を司る『星霊の』ソルタージュだ。
「皆さん、お待たせしましたね」
ソルタージュは丁寧な仕草でお辞儀をすると一直線にオルフレッドのもとにやってくる。
「遅れての登場、申し訳ございません」
それからソルタージュは周りを見渡した。
「ざっと見た感じ、実に小粒でまとまった――まとまりすぎてつまらないものばかりですな」
容赦のない批評を口にする。
「このようなものをオルフレッドさまに見せるなど、実に失礼なことです」
オルフレッドはソルタージュとは違う感想を持っていたが、特にそれを口にはしなかった。第一人者が得意げに語っているのだ。ただ肯定しておけばいい。
「その通りだな。あまり興味はひかれない」
「さすがはオルフレッドさま。よくわかっていらっしゃいます」
ソルタージュが満足げにうなずいた。
「芸術とは感性と感情の爆発! 己のエゴイズムによって物質の境界を破壊する行為! 狂気と正気のアウフヘーベンなのです! 理性の薄膜が絵に張り付いているようでは論外、いまだ芸術の深遠にはほど遠い!」
オルフレッドには興味すらない話だが、再び威厳を込めてうなずいた。
「まったく同意するぞ、ソルタージュ。その見識こそ8星にふさわしい」
「さすがです、オルフレッドさま。私の言葉を真に理解できるのはオルフレッドさまだけです!」
「……当然だ」
話がひと段落つく。
ソルタージュはつかつかと歩いて他の作品を品評し始めた。
「……微妙、微妙、微妙……。やれやれ、最近の芸術家たちときたら――実に志が低いものばかりで――」
ため息まじりにつぶやくソルタージュの声がぶつりと途切れた。
その足もまた止まる。
「……こ、これは!」
ソルタージュの声に驚きの色が灯った。
ソルタージュの視線の先にあるのは『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』の絵だった。
オルフレッドはふっと笑った。
「やはり気になるか、その絵。ひど――」
い絵だろ、という言葉を吹き飛ばす勢いでソルタージュが叫んだ。
「こ、これは!? すす、すごいぞ! 芸術だ! ここに芸術の奇跡がある!」
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