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灯火と人魚  作者: 月城こと葉
第伍集 雪華の舞う頃
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七首 燈華と雪成・一

 雫浜に初雪が降った。気温は一気に下がり、いよいよ本格的な冬が始まる。


 大通りを歩く燈華の鼻先に小さな雪の結晶が舞い降りて来て、静かに溶ける。今日は意を決して雪成に会いに行く予定である。流石に人間も一週間以上経てば元気になっているだろう。その前に、立ち寄りたい場所があった。


「あっ、ここだ」


 燈華がやって来たのは、蝋燭屋である。稲守先生が白妙燭光祭りの際に使う絵蝋燭を仕入れていた店だ。神社街のいずれかの神社の職員と思しき亀が甲羅の上に箱を載せて店から出て来て、燈華の横を過ぎて行く。


 綺麗な絵蝋燭が欲しかった。それを持って行けば、燭光祭りの雰囲気を少しでも雪成に楽しんでもらえるのではないかと思ったのだ。そして、物を渡せば話をするきっかけにできると思った。


「いらっしゃーい。自由に見てね」


 店主の男性が人の良さそうな笑みを浮かべた。一見毛深いだけのただの人間だが、正体は狒々(ひひ)という猿の妖怪だ。彼は変化をしているわけではなく素の姿である。大きな猿が着物を着込めば人間とほとんど変わらないため、初見の者は気が付かないことが多いそうである。


 燈華は平凡な白いものから鮮やかな絵が描かれているものまで、並んでいる蝋燭を見て店内を回る。


「お嬢さんはどんな蝋燭をお探しかな?」

「あっ、えっと……。……風邪で寝込んで燭光祭りに行けなかった知人がいるので、飾られていたのと同じようなものを持って行ってあげようと思って」

「なるほど。それじゃあこれはどうだい」


 燈華の前足が届かない上の方の棚から、店主は蝋燭の箱を一つ取って見せてくれた。鮮やかな花火の絵が描かれた赤い蝋燭である。


「これは花火だ。寝込んでいたなら花火も見られていないんじゃないのかい? それならどうかなと思ったんだけど」


 燈華は前足で箱を受け取り、赤い蝋燭をじっと見る。


「綺麗な花火の絵……。地の色は赤しかないんですか?」

「そうだねぇ。祭りに使うために店や神社が注文して買って行ったし、祭りに来た観光客がお土産にも買って行ったからね。残っているのは赤だけなんだ。花火以外の絵なら、他の色もあるけど」


 どうする? と店主は他の柄の蝋燭も数個見せてくれた。花の絵、蝶の絵、貝の絵、青、黄色、桃色、様々な蝋燭があるが、いずれも祭りでたくさん売れたため普段より在庫が少ないらしい。


 燈華は絵蝋燭を見比べる。花火を見られなかった祭りの夜の代わりならば、最初に店主が見せてくれた花火の絵蝋燭が良さそうだ。


「花火の絵の、赤い蝋燭にします」


 首に提げていたがま口から燈華は紙幣を取り出す。痛くないと言えば嘘になる出費だが、躊躇はなかった。


「知り合いの人、喜んでくれるといいね」


 火を灯せば、小さいけれど綺麗な花火になるはずだわ。燈華はその様を想像して、頷いた。


 店主に風呂敷包みを縛ってもらい、燈華は蝋燭の箱を背に店を出た。うきうきとした弾む足取りで、雪の降る大通りを歩く。あの鼬は何かいいことがあったんだね、と人間の親子がにこにことしながら燈華とすれ違った。


 そして、燈華はいつも通り人力車などを駆使して高級住宅街へやって来た。まだ雪成が寝込んでいたらどうしようとちょっぴり不安である。もしもそうだったら、仕方ないので今日は引き返して蝋燭はまた今度にしよう。


 塀の穴を潜り抜け、生垣の下を潜り抜け、燈華は離れの庭に顔を出す。見ると、障子どころか板製の雨戸も閉じられており、庭から中の様子を窺うことはできなかった。前足で雨戸を叩いてみたが、鼬の小さな足では人を呼べるような音は出なかった。もう一度、今度は両前足で目いっぱい叩きながら名前を呼ぶ。


「雪成さーん。雪成さーん」


 すると、中から物音がした。障子の開く音がして、雨戸が少し開かれる。暗い室内から顔を覗かせた雪成は、差し込む日差しに目を細めた。


「うわ眩しい……。雪降ってるし……。寒いし……」

「こんにちは。雪成さん、お加減いかが」

「君か……。熱はもうない。ただ、ずっと横になっていたから体が鈍っていて」

「上がってもいいかしら」

「好きにしなよ」


 雨戸が大きく開かれる。


 燈華は縁側に上がり、いつもの広い部屋に入る。雪成はのそのそと動いて部屋の隅から座布団を二つ持って来た。畳に座ろうとした燈華の横に、一つを置く。


「えっ」

「座れば」

「あ、ありがとう……」


 座布団を出されるのは初めてだった。あまり使われていないのか、足を置くとふわふわと柔らかく少し沈んだ。


 熱はないと言うが、雪成は寝間着姿に掻い巻きを羽織っていた。髪には寝癖が付いていて、小さく欠伸をして目を擦る。


「お昼寝してたの」

「体が鈍っていて、調子が出なくて。もっと動かないといけないとは思っているんだが。……少し寝込みすぎたな」


 少しでも動こうと思って寝室からこの部屋に来ていたところに、燈華がやって来た。


「君は、怪我はもう大丈夫なのか」

「えぇ。掠り傷だったから」


 妖怪は人間よりも体が頑丈であり傷の治りも早い。直接爪で切り裂かれたり牙で噛み付かれたりしたわけではなかったため、燈華が負った程度の傷であればすぐに治った。大丈夫よと前足や顔を見せる燈華に、雪成はほっとした表情を見せた。


 本当は、まだ痛む部分があった。強く身を打ったため、外側からでは分からない負傷箇所がある。しかし詳細を話して雪成に心配をかけたくなく、いずれ綺麗さっぱり治るものなので燈華はそのことは口にしなかった。


「あのね、今日はお土産があるのよ」

「またお菓子か」

「ううん、今日は違うの」


 燈華は風呂敷包みを背中から下ろし、箱を開ける。


「赤い……絵蝋燭?」

「これに火を点けて、一緒に見ましょう。駄目かしら」

「花火の絵」

「そう、花火。これはとびっきり綺麗な花火なのよ。燭光祭りで穂景神社が仕入れ先にしている蝋燭屋さんの絵蝋燭なの。これに火を点ければお祭りの雰囲気を味わえるんじゃないかと思って。それにね、花火の絵だからあの日見るはずだった花火の代わりになるかもしれないと思って。小さいけど……」

「今日はわざわざ蝋燭を届けに?」

「い、一緒に……早く一緒に見たくて。あっ。あの、報告もあるのよ。火車の、子猫のこととか……」


 燈華は猫又の親子の顛末について、雪成に簡潔に伝えた。雪成は静かに話を聞いて、最後に小さく「そうか」と言った。それ以上の感想はなかったが、子猫が母と共にいられるということを聞いて安心したようではあった。


 危険な妖怪と対峙した時、人間がどれだけ恐怖を覚えるのか燈華には理解しかねる。あの夜の雪成は火車に対して酷く怯えていた様子だったが、小さな子供の処遇に関しては少しでも良い方向に行ってほしいと考えていたのだろう。自分を食おうとした相手など随分と憎んでしまっても良さそうなのに。人間は、不思議な生き物である。


「君も……人間を食べたいと思うことはあるのか」

「ないわ。基本的に貂はそういう妖怪ではないから。……もしかして私に食べられちゃうかもって怖くなったの?」

「まさか。俺は、君に食べられるようなへまはしない。それに、やめておいた方がいい。人魚なんて食べるものじゃない」

「雪成さんは人間よ」

「……そうか。そうだな」

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