七首 つままない狐・一
畳の上を忙しなく二本の足が動いている。着物の裾から覗く足はしばらく行ったり来たりしていたかと思うと、立ち止まって近付いて来た。
「お姉ちゃん、そこにいたら邪魔」
眠っている燦悟と並んで転がっている燈華のことを見下ろして、燎里は言う。
「ねえ、お姉ちゃんも手伝ってよ。荷物がたくさん届いたんだから」
「燎里」
「なあに?」
「人間の姿に変化するのって、難しい?」
「うーん、どうだろう。そんなに難しくはないんじゃないかな。えい、ってすればできるし……。車とかになっちゃう人いるでしょ? そっちの方が難しいと思うよ」
「そっか。簡単なのにできないんだ私は」
「ど、どうしたの。そんなの気にするお姉ちゃんじゃないじゃん」
「……どうしちゃったんだろうね」
燈華は起き上がると、燦悟を咥えて燎里の前から立ち去った。
「変なお姉ちゃん」
雪成と共に大豊穂景神社へ行って、数日。燈華はぐんにゃりと畳に転がって考え込んでいることが多くなった。
家柄も、身分も、種族も、何もかも違うことは分かり切っていたのに。分かっていても会いに行きたいと思って、話をしていると楽しくて、一緒に出かけることができて嬉しかった。
私が人間の姿に変化できれば、少なくとも人間には不審がられずに共に歩けるのかしら。そもそも、私は彼とどうしたいの?
ごろごろと畳の上を転がっていても、答えは出ない。けれど転がることしかできなくて、燈華はひたすら転がった。
サリィに言われた言葉が、思っていたよりも重くのしかかっていた。通常、雪成は燈華にとってとんでもない高嶺の花なのだ。偶然運河で出会って、お礼の品を届けて、だらだらと関係が続いているだけに過ぎない。屋敷に侵入していることが深水家の者に知られたら、追い出されてしまうだろうということも想像に難くない。
「私が人間だったら……。ううん、せめて人間に化けられたら……」
子供部屋に燦悟を寝かせて、燈華は店の方へ戻る。仕事をして気を紛らわせよう。そう思った。
荷物が届いたとのことで、従業員達が箱や包みを手に行ったり来たりしていた。皆鼬の妖怪で、人間の姿に化けている。
従業員達の足の間を縫って進み、確認作業に当たっている母に歩み寄る。
「お母さん、私は何をすればいい?」
「燈華、丁度良かったわ」
母が差し出して来たのは手紙だった。
「稲坂さんの注文していた着物が出来上がって届いたところなの。『できました』って手紙を書いたから、ポストに出しに行ってくれる?」
「サリィさんの……。分かったわ」
母は手紙を風呂敷で包み、燈華の背に括りつけた。
「お願いね」
運河と店を行き来する従業員と小豆洗いの間を抜けて、燈華は道を進む。妖怪の商家が並ぶ通りは今日も賑やかで、商売に励む店員の声と買い物を楽しむ客の声が響いていた。
大通りから見て燈華達の暮らす通りの始点に当たる場所に貸本屋があり、その前に郵便ポストがある。燈華が到着すると、店頭では一つ目小僧が目を皿のようにして本を選んでいた。店主の姿は見えないようだが、一つ目小僧の横で木の枝が風に揺れている。
風呂敷の結び目を解き、燈華は背伸びをして封筒をポストに投函する。
「あら、燈華ちゃん。今日は本はいいの?」
ポストの裏手に咲いている季節外れ過ぎる椿の花が笑うように揺れた。店主の古椿の霊、すなわち椿の妖怪である。別の古椿の霊がこの地に落としていった種子から生まれ、生まれながらにして妖怪である椿だ。貸本屋の店内中央には床に穴が開いていて、椿の木が生えている。伸びた枝は壁を伝って外まで広がり、建物全体を覆う。
「井瀬さん。今日は郵便をポストに入れに来ただけだから」
「あら、そうなの」
「おばさーん、この本にするー」
「こら! お姉さんでしょ!」
燈華の前で咲いていた花が萎み、一つ目小僧の横にあった枝から花が咲いた。季節外れの花を自由自在に咲かせながら、店主の井瀬は客とやり取りをする。
帰ろうとして、やっぱり本が気になるな、と足踏みをしている燈華の頭上から声が降って来た。
「やあ、何か面白い本はありますか」
「あら、公透先生」
目当ての本を手に嬉しそうな一つ目小僧が去り、代わりに貸本屋に現れたのは稲守先生だった。いつも通りのカンカン帽に背広姿で、今日はおしゃれなストールを首に巻いている。
「先生」
「おっ、燈華さんも本探しかな?」
「いえ、私はポストに用があって。……あっ。サリィさんの着物ができたんです。そのお知らせの手紙を今出したところで……」
「おや。それならもう少しだけ早く来て私が直接手紙を受け取った方がよかったね。佐雅には迅速に取りに行かせるよ」
ご自由にご覧下さい、と言って花が萎む。井瀬は店の奥に引っ込んだらしい。
先生は取りやすい位置にあった本をいくつか漁りながら、燈華に声をかける。今度こそ帰ろうと思っていた燈華は先生を振り返った。
「佐雅から話を聞いたよ」
「え……」
「沖風さんの部品を届けてくれたそうだね。ありがとう」
「あっ、はい……」
雪成と共にいたことは先生には伝えていないのだろうか。燈華は様子を窺って先生を見上げるが、先生の視線は本の方を向いている。
「犯人も早く見付かるといいんだけれどね」
「やっぱりお尋ね者の車輪なんでしょうか」
「その可能性は高いと思う。先日も人間が一人重傷を負ったらしいし、我々も気を付けなければならないね。全く、怪異課は何をやっているんだか」




