七首 少女達の休日・三
海浜公園をうろついているのは、先生の実家である街で一番古い神社の神職のようだった。一般的な着物よりもずっと古い形の装束に、稲の文様が織り込まれている。先日燈華が見かけた神職は遠かったため装束の柄まで分からなかったが、あの神職も先生の実家の神社の者である可能性がある。
先生の実家、何かあったのかな。燈華と茉莉は顔を見合わせた。気になるが、仕事中と思われる大人に無邪気に声をかけてはいけないだろう。見合わせた顔を歩き回る神職に向けて、もう一度顔を見合わせる。
「今度店に先生が来たらそれとなく訊いてみるよ」
「わたしも先生が学校に来たら訊いてみる」
しばらくすると、神職の人間は海浜公園から立ち去った。何かを探しているのか、やや俯き加減で物陰を覗き込みながら。
よし、喫茶店で何か食べよう。茉莉が言ったのは、神職がいなくなって少ししてからだった。海浜公園で海を眺めることは好きだが、ちょっぴりお腹が空いて来た。ケープでくるんだ燈華を抱き上げて、茉莉はベンチから立ち上がる。
「私お金ないよ。坂の上まで行く人力車代とか結構かかるからやっぱり貯めてて」
「いい。今日もわたしが奢る。これは燈華の恋への投資だから」
「まだ恋かどうか分かってないんだけど」
権ノ咲海浜公園を出て、運河に沿って内陸へ進んで行く。権ノ咲地区は内陸に向かって大きくへこんだ形になっているため、海と街が他の海辺よりも近かった。二人の行きつけの喫茶店まで、女学生の足でも二十分もかからない。
「自転車に化けられたらもう少し速く進めるんだけど」
「茉莉が自転車になれたとして誰が漕ぐの。私無理だからね」
「わたし自転車持ってなくてさ。憧れるんだ、自転車女学生」
「そう。でも自分が自転車になったら自分は乗れないのよ」
そして、あははと口を揃えて笑った。
運河沿いをしばらく歩いていると、人だかりが見えて来た。大通りとの境にある交番の辺りである。
「すみません、何かあったんですか?」
茉莉が声をかけると、人間の女が「お尋ね者ですって」と答えてくれた。見ると、交番の前の掲示板に真新しい掲示物が貼り出されている。
曰く、危険な妖怪が現れたと。夜道で不意に襲われた人間や妖怪がいるらしく、負傷者が数人いるそうだった。添えられている犯人と思しき絵は大きな燃える車輪だった。凄まじい速さで走り去ってしまうため、はっきりとした姿が分からないのだという。
「妖怪に襲われるっていうか、車に撥ねられてない!? 怖い! わたし達みたいな小さな妖怪は気を付けなきゃね」
「ぶつかったら大変かもね……」
怪異課のパトロールは強化しているそうだが、なかなか接触できず難航しているようだった。いるのが分かっていても、遭遇できなければ逮捕も討伐もできない。
怖いねぇ、と母親に抱かれた小さな子供が呟いた。
「片輪車かな。燈華は何だと思う」
「うーん、輪入道かも」
いずれも燃える車輪の妖怪である。元々は区別なく一つの呼び名だったと言われているが、現在は女の方を片輪車、男の方を輪入道と呼称することが多い。人力車の車夫もとい本体の車輪として仕事をしている片輪車と輪入道の名物夫婦が大通りにいるが、流石にその二人ではないだろうと通行人達は口々に言う。
「ほら、確認したら散った散った。通行の邪魔になるから」
巡査に言われて、掲示板の前に集まっていた人だかりが分散する。燈華と茉莉も喫茶店へ向かって歩き出した。
行きつけの喫茶店に辿り着くと、店の前で見知った少女がショウウインドウを睨みつけていた。素朴な柄の着物姿の少女は、何を注文しようか悩んでいるようだった。
「燎里」
「あっ、お姉ちゃん? と、茉莉さん!」
「燎里、一人?」
「ううん」
喫茶店のドアが開き、小柄な少女が姿を現した。少女というよりもまだ女の子と呼んだ方が良さそうな彼女は、おとなしそうな橙色のワンピース姿である。
「燎里さん、席空いてまし……。とっ、とと、とっ、燈華お姉様っ!?」
大きな丸い目を見開いて、小さく飛び跳ねて、女の子は体全体で驚きと喜びを表現した。
「燈華お姉様! こんなところでお会いできるなんて! あっ。……あ。四年生の紫藤先輩、こんにちは」
「こんにちは、高階さん」
「燎里、春陽ちゃんと一緒だったのね」
燈華に会えてはしゃいでいるのは、清原呉服店番頭の高階氏の娘・春陽である。毛玉の頃から燈華が「かわいい」「とびきりかわいい」「かわいいね」と言って面倒を見た結果、燈華のことをいたく気に入ってしまった。慕われている燈華も、まんざらではなさそうである。燎里や燦悟とは違うかわいらしさが春陽にはあった。
春陽は外見年齢も精神年齢も人間だとまだ小学生程度だが、番頭の横をころころと転がっているうちに文字や数字をたくさん覚えてきた。その優秀さが認められ、現在は飛び級で学校に入学している。燎里とはクラスメイトだ。
「と、燈華お姉様、もしよかったら一緒に……」
「いいよ。茉莉も、燎里達が一緒でもいいよね」
「もちろん。二人の分もわたしが奢っちゃうよ」
「やったー!」
「ありがとうございます、茉莉さん」
女給に案内された席に着き、各々お品書きに目を通す。燈華の隣の席を確保した春陽は、お品書きではなく燈華の顔ばかり見ていた。




