六首 少女達の休日・二
「燈華、どうしたの。寒い? わたしの上着貸そうか?」
茉莉が人間の姿になる。海老茶袴の女学生の格好をしている茉莉は、深まる秋に合わせてケープを羽織っていた。女学生姿を気に入っている茉莉は休日でも女学生の服装にしていることがほとんどだ。ケープを脱ぎ、包むようにして燈華の小さな肩に添える。
「ありがとう。寒くはないの。ちょっと、不安になって」
「不安……?」
「私と、彼……あの人間は、住んでいる世界が違うから」
「妖怪と人間だからそれはね。でもそこの違いなんて気にするものでもないよ。この国のひとであることに変わりはないんだし。前例もたくさんあるし」
「そうじゃなくて。私が会ってる人間、お金持ちなんだ。ものすごく。たぶん、茉莉が憧れてる貉の先輩と同じくらい」
もしかしたらそれ以上かもしれないが、そこまでは言わないことにした。あまりにも富豪であることを強調すると、対象が絞れてしまいかねない。
茉莉は目をぱちくりとして、「えっ」と声を出す。
「まさか坂の上に住んでるとか」
「坂の上に、住んでる」
「えっ。ど、どこでそんな人間を拾ったの」
「拾ってない。寧ろ私が拾われて……」
「ちょっと待って。ちょっと話を整理させてほしい」
大きなリボンを頭に着けた女学生が頭を抱える。
「つまり……。燈華は金持ちの人間に拾われて、その人間が気になって、高級ハイカラ菓子を買わされて、会えるとドキドキして、度々家を訪ねて撫で回されて、特別だって言われたってこと」
「そう……かなあ?」
「それっ、騙されてない!? 危ない人間に目を付けられて、手懐けられて、珍しい動物だって異国に売られちゃうとかそういうことにならない!?」
雪ノ宮で石を投げれば、その半分近くは妖怪に当たる。遥か昔から妖怪はこの国に住んでいて、人間も彼らを当たり前の存在と認識して共に暮らしている。
ところが、国境を越えれば事情は変わった。異国の者にとって妖怪は未知の危険生物であり、人間よりも下等な動植物や器物であり、研究や実験の材料であり、見世物だった。ほとんどの妖怪は人間よりも遥かに強力であり、妖怪に不慣れな異国の者が武器を構えて現れても一捻りできる。しかし、不意を突かれたり国内に協力者がいたりすればどうなるか分からない。物好きな人間はいつの時代のどこにでもいるもので、薬の材料になるだとか、不老不死になれるだとか、そういう話を聞くと妖怪に手を出す者がいた。
とはいえ結局妖怪の方が強い。そのため、そのような被害に遭い異国へモノとして出品されるような者は、一人の妖怪が一生のうちに片手で数えられるくらい目にするかしないかという程度である。異国へ出かけて何らかの事件に巻き込まれる人間よりもずっと少ない。
燈華のことが心配だ、と茉莉の顔に書いてある。甘言に釣られてどこかへ連れて行かれてしまうのではないか。そんな気持ちが見るだけで分かるほど表情に現れていた。茉莉の大袈裟なくらい深刻そうな顔に、燈華はそれは杞憂だと答える。雪成はきっと、親友殿にこんな顔をさせる人ではない。
「な、ならないと思うよ。鼬……貂なんて特別面白い妖怪じゃないもの。それに、あの人はそんなことできないと思うから」
「信用してるんだね、その人間のこと。本当に、大丈夫? もしその人間がおかしいことをしようとしてたらすぐわたしに教えてね。きっと助けに行くから」
「ありがとう茉莉」
「そっか、坂の上にいる人間なんだ。うん。それには驚いたけど、住む世界が違うからって不安になることないよ。相手を思う気持ちが互いにあれば、そういうのって関係ないと思う。文屋乃先生の話で、前にそんなのがあった気もするし。私、燈華を応援するってこの間言ったもん。変な人間じゃないなら、不安に思うことなんてないんじゃないかな。その人間も、燈華にそんな顔してほしくないと思うよ」
茉莉は両手で燈華の頬を摘まんで、半ば強引に口角を上げさせた。
「一緒に笑っていれば、そのうち気持ちも分かるはずだよ」
「うん。……うん?」
人間の姿の茉莉の向こう。遊んでいる子供達の近くにこの場にふさわしくない人影が見えた。怪訝な声を出した燈華につられて、茉莉は振り返る。
かくれんぼをしている子供達の間を、仕事着の神社の人間が歩いていた。茂みを覗き込み、そこに隠れていた子供に文句を言われている。
「神社の人だ。どうして仕事着でこんなところに? 今日この辺でお祭りとかお祓いとかやる予定ないはずだよね」
「私この間坂の上の高級住宅街でも見たよ」
「えぇっ。じゃあ、何かあったのかな。……稲守先生も、最近休みがちなんだよね。燈華はお店で先生に会ってない?」
「ここ数日は来てないかな」
遥か昔、現在存命の妖怪の中で最年長の者が生まれるよりもずっと昔。この地に人間や妖怪、その他の生き物が暮らすよりも前。雪ノ宮の地を生み出し整えたという伝説が残る神々。彼らが実際に存在していて、この土地を創ったのか、その真偽は誰にも分からない。
しかし、人々は気が付いた時には神々を祀っていた。神々の存在を認識することはできないが、土地や物事に宿る守護者として、国を守る要として、祈りを捧げる対象として、見えない隣人として、皆の心の拠り所になっている。そんな神々を祀る建物を神社と呼んだ。
神社組織の構成員は基本的に人間だが、上層部には稲守家のように妖怪の家の出の者が多く所属している。神々がこの地に降り立ってしばらく滞在していた頃、その手助けをするために接触した妖怪がいたとされている。元々の呼ばれ方が喪失してしまうほど昔のことのため真偽は不明だが、そう主張した妖怪達の末裔が代々神職を務める神社は少なくなく、また、そういう神社は決まって規模が大きかった。




