54.グロスモント王都へ3
「このワープは発動したら、直接王城の一室に転送される。準備はいいかい?」
「ええ、覚悟はできているわ」
クロヴィスは私の返答に満足げに頷くと、オーブに魔力を込めた。
それと同時に、強い風が足元から湧き上がり、私たちを包み込んだ。これまでのワープや転移とはまた違った感覚に驚く暇もなく、視界が白く染まる。ひと際強い風に煽られたと思えば、次の瞬間には見慣れない場所に立っていた。
目の前に広がるのは、高級ホテルすら霞むような豪華な部屋だった。大理石の床は美しく磨き上げられ、本物のシャンデリアの柔らかな光が緋色の絨毯を温かく照らす。
「ここは……」
ソファーとローテーブルが真ん中に鎮座する部屋は、まるで応接間のようだった。てっきりこの世界に召喚されたときのような場所に出ると思っていたから、周りに人影がないことに驚く。
「王太子宮の一室だ。ここは殿下の管理下にあるが、くれぐれも変な真似はするな」
見慣れぬロイヤルな空間でキョロキョロしていれば、ジェラルドがやんわりと注意してくれた。王城内だからか、周りに人がいなくとも村に居た時より居住まいを正している。
ミハイルも自分の立場を顧みて、いつになく物静かだ。その隣でフブキは落ち着かなさそうに鼻を鳴らしている。
『妙な匂いがするな……これも黒い死の症状なのか?』
すんすんと控えめに匂いを嗅いでみるが、香しいフローラルな香りしか分からない。
フブキが言う匂いが感じられず、かといってクロヴィスたちの傍では気軽に尋ねることもできない。私は分からないという意思表示として、小さく首を傾げた。
『む……であれば、引き続き注意しておこう』
この世界の黒死病を完全に把握しているとは言えないので、どんな情報もありがたい。できれば黒い死と関係ないことであってほしいけど、変に期待しない方がいいだろう。
フブキに頷き返して、私はクロヴィスたちの後に続いて王城の中を進んでいく。一度森の中で襲われたからか、自国のお城の中にも関わらず、ジェラルドは周囲を警戒している様子だ。
緊張感を胸に王太子宮を抜けて、大きな庭園を抜けていく。酷く入り込んだ道だったが、その代わり道中誰ともすれ違うことがなかった。運がいいというよりも、クロヴィスたちが道を選らんでくれたのだろう。
そのまま重厚な門を抜けて、先ほどよりもずっと美しく長い廊下を進む。さすがに何人かの使用人とすれ違ったが、みなクロヴィスを見るなり頭を下げるので、私たちの存在に言及されることはなかった。
(私なんて村娘って感じの格好だし、フブキは獣の姿をしているわ。何人かは眉をひそめていたけど、王子を前に黙ったという感じだもの)
改めてこの見目麗しい青年が貴族だということを実感する。ちょっと貫禄のようなものは足りないが、クロヴィスに信頼されているジェラルドも凄い人なのだろう。
ぼんやりと前を進む二人の背中を眺めているうちに、私たちは城の奥――国王がいる療養室に辿り着いた。部屋の前に居たメイドはクロヴィスの姿を見るなり、泣きそうな表情で頭を下げる。
「お待ちしておりました、殿下!本当に、お戻りになられてよかったです!」
「挨拶はいい。父上の容体は」
「っ、昨日からさらにお悪くなられ、今朝方には高熱も出始めました。エダ様の指示のもとでポーションを投与しておりますが、意識は朦朧としたままで……」
メイドの声が震えており、その場にいる全員の表情が暗くなった。症状が悪化しているのは明らかだ。
「わかった、ありがとう。薬師を連れてきたから、もう心配はいらないよ」
クロヴィスも不安だろうに、それを一切面に出さない。
それに勇気づけられたメイドは顔を上げると、ふと視線を私に向けた。途端、その目に訝しむような色が浮かんだ。
「ええと、そちらの方は……」
口調こそ丁寧だったが、明らかに不審がっている。フブキをその視界に収めても声をあげないのはさすがだが、警戒するような視線が突き刺さる。
「彼女は薬師のコハクだ。エダさんの弟子で、素晴らしい実力を持っているよ。フェンリルは彼女の使い魔で、その隣の男はエダさんの助手だ」
「弟子と助手、ですか……そのような方たちがいらっしゃるとは伺っておりませんが」
やはり急に現れた私に疑念を抱いているのだろう。クロヴィス直々の言葉にも関わらず、メイドは警戒を緩めない。
『グルル……気絶させて中に入るか?』
『やめた方がいいね。人目があるし、今後の計画を進めるためにはコハクちゃんの実力を証明する必要がある。世話係を気絶させたとなれば、信用がガタ落ちだよ』
テレパシーでフブキと会話するミハイルを横目に、この場を切り抜ける方法を考える。鑑定でメイドを視てみても、黒い死に感染している感じはない。しかし体力仕事で体に不調はあるようで、彼女は膝をかなり痛めているようだ。
(ハウスメイドニーだっけ……膝関節の周りに炎症が起きる職業病のはず)
床に長時間膝をついて作業するから、圧力や摩擦が原因で引き起こされる病気だったと思う。これなら丸薬で完治まで行かずとも、症状を軽減することはできる。未知の薬への抵抗も薄れるし、少しは警戒をとくことができるかもしれない。
現代であれば治療に同じ丸薬が使われることを疑われるだろうが、この世界は全てポーション頼りだ。
メイドが鋭い視線を緩めない中、私は安心させるように微笑みかけた。
いつもブクマ、評価ありがとうございます。
大変励みになっております!
いろんな作業に追われて気づいたらこんなに経っていた……なんてこと……




