“魔王”⑦
「えっと、これって……あれですよね?」
沈黙の中、ココルがぽつりと言った。
「寓言書廊の、セイレーンの時みたいな」
「……そうみたいね。要するに、モンスターを倒した後の処理を選ばせてくれるってことなんじゃないかしら」
「なーんだそういうやつかー。身構えて損したよ」
そう言って、テトが気を抜いたようにナイフを仕舞う。
「でさ……これ、どういう意味だろ?」
テトがウインドウに表示されたメッセージを凝視しながら言う。
「魔王城をクリア、まではわかるけど……」
「……リセット、という言葉は聞いたことがないな」
響きからするに、ダンジョン関連の用語である気がする。
だが、これまでに読んだテキストや聞いた話の中に、こんな単語が出てきたことはなかった。
「わたしも知らないです。でも……今の世界を、って言ってるくらいですから、救済とかそういう意味なんじゃないでしょうか? 流れ的に」
「まさか、明らかにダンジョン関連の言葉よ? そんな意味の用語があるとは思えないわ。それにダイアログって普通、冒険者の意思や利害に関係することを訊いてくるものじゃない? 世界を救うなんて、この場限りの演出なのだし……」
「でもそれなら、今の世界を~って言葉が入ってくること自体おかしいよ。やっぱりこれ、演出関係の質問なんじゃないの?」
皆で話し合うが、答えは一向に出なかった。
質問の核になる単語を知らないのだから、無理もない。
「あー、もどかしいですね!」
ココルが頭を抱えながら言う。
「確かダイアログって、しばらく放っておくと消えちゃうんですよね……? もうそろそろ、答えた方がよくないですか?」
「そうね……重要なダイアログだと、消えてもまた出てくるとは聞くけど……」
「そうなると、もしかしてあの女神がゆーっくり降りてくる演出、また見なきゃいけなくなる!? だるっ! もう選んじゃおうよ、アルヴィン」
「そうだなぁ。このまま悩んでいても、答えは出なさそうだしな」
俺は同意する。
気分的にも、いい加減に決めてしまいたくなってきていた。
「今選ぶとしたら……一択ですよね」
「そうね。この状況なら、だいたいの冒険者が同じ選択をするんじゃないかしら」
「というわけで、頼んだよーアルヴィン!」
「ああ、わかったわかった」
俺は苦笑とともにうなずく。
やっぱり皆、同じことを考えていたようだった。
ダンジョンのクリアは、冒険者の目標の一つだ。
それに報酬はないと言われていたが、クリアすればレアアイテムの一つでももらえるかもしれない。
俺は、ダイアログウインドウへと手を伸ばす。
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「……なんじゃ、ダイアログを出すための演出じゃったか」
ゴルグが拍子抜けしたように言い、ハンマーを下ろした。
俺も、思わず溜息をついてしまう。
連戦だったらどうしようかと思った。
「いい記念になったのぉ、ヒューゴ」
ゴルグが、太い笑みとともに言う。
「難関ダンジョンをクリアして解散なんざ、このパーティーの散り方としては上々じゃろう。自慢話にできるわい」
「そうね~。わたしも機会があったら、生徒に話してあげたいわ~。先生は昔、すごいパーティーで冒険者をしていたんですって」
ライザは穏やかな顔で言う。
「それに……レダンへの、いい餞にもなるものね~」
「ふん、いらん気遣いだ」
レダンは鼻を鳴らし、愛想の欠片もない口調で付け加える。
「……だが、悪くはない」
「……」
ピケだけは、無言でうつむいたままだった。
「……」
俺は、ただ黙って仲間たちの顔を見回す。
こいつらの言う通りだ。
力を合わせてドラゴンを倒し、難関ダンジョンをクリアして解散。冒険者パーティーとしては、これ以上ないほど華々しい終わり方だ。
『星狩』の最後としては、上等すぎるくらいだろう。
「……ああ」
俺は小さくうなずき、女神に向き直った。
そして、ダイアログウインドウへと手を伸ばしていく――――…………
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指先が、半透明のウインドウに表示されたボタンに触れた。
『いいえ』のボタンに。
微かな感触とともにボタンが押下されると、ほどなくしてウインドウが消え去った。
俺は振り返り、仲間たちへとうなずいてみせる。
「こういうことだよな」
皆も、同じくうんうんとうなずいていた。
「当然です! クリアなんてするわけありませんよ!」
ココルがうなずきながら言う。
「だってまだ、正規ルートを見てないですからね! クリアするならそっちも奥まで進んでからです!」
「リセットの意味を調べて、出直してくるっていうのもありね」
メリナもうなずきながら言う。
「クリアはその後でも遅くないわ」
「ろくな報酬もないまま終わるなんて悔しいしね」
テトもうなずきながら言う。
「せめて、ここまでのマッピング情報を売るでもしないと納得できないよ!」
「うんうん、そうだよな」
俺もうなずく。
多くの冒険者が、きっと同じような感覚を持っているはずだ。
――――中途半端なままでは、冒険は終われない、と。
「あ、でも……これだと世界、救われなくなっちゃいますよね」
苦笑しながら言うココルに、俺も釣られて笑ってしまう。
「確かにな。でも……いいじゃないか」
言いながら、女神へと向き直る。
「嫌なことばかりな世界でも――――がんばり続ければ、意外といいことだって起こるもんだしな」
腐ったまま冒険者を続けているうちに、幸運にもいい仲間と巡り会い、それまでの努力が実ってドラゴンまで倒せてしまったように。
絶望に満ちた世界にも、きっと何かしらの希望はあることだろう。
『――――選択を受諾しました』
その時、女神がわずかに口を開いて、そんな言葉を響かせた。
『この度の世界には、どうやらまだ希望が残されているようですね』
それから、その光を放つ体が徐々に上へと昇っていく。
『以上をもって、十二度目の魔王城イベントを終了します。次回のイベント発生は、システム時間において一五〇〇〇〇〇〇〇〇秒後となります』
俺たちが首を傾げながら聞く中、テトがメリナに訊ねる。
「十五億秒、ってどれくらい?」
「ええと……だいたい五十年弱ってところかしら?」
もはや見上げる高さに浮かんだ女神が、そのとき小さく笑った。
『よりよく生きなさい、箱庭の子らよ。この度の世界は、どうか長く続きますように――――』
天井に、光が満ちた。
暗闇が、一面の白に塗りつぶされる。
それだけではない。凍り付いた湖面が、その周囲の岩肌が、目の前の空気すらも、白い光へと変わっていく。
やがて――――、
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俺は――――『いいえ』を押していた。
「……なんてな」
ぽかんとする仲間たちを振り返る。
そして、誤魔化すような笑みとともに告げる。
「悪ぃな、お前ら。俺は……俺だけは、まだ冒険者を続けるよ」
自分の掌を見る。
そこにはまだ微かに、“強撃”を放ったときの感覚が残っていた。
「使えるスキルのない俺は、どれだけ努力したところで、この辺りのレベルが限界かと思ってた。だが……まだ先があったんだ。今の、この先が」
【残心】は、単純なようで奥深いスキルだ。少し考えただけでも、様々な使い道が思い浮かぶ。
攻撃後の隙を消すことはもちろん、先ほどのように盾職代わりにだってなれるだろう。味方の大魔法だって喰らわなくなる。溶岩の地形ダメージも受けないし、毒沼などを踏んでも状態異常にならない。《無敵状態》というバフには、それだけの可能性が詰まっている。
「だから――――クリアなんてしてられねぇよ。ようやく冒険者がおもしろくなってきたんだ。この変なダンジョンだって、中途半端には終われねぇ」
女神が後ろで何かを喋っている。
だがもはや、そんなことはどうでもよかった。
「俺は冒険者を続ける。お前ら以外の連中と組んででも……いやたとえ一人だって、冒険者を続けてやるよ。技術を極めて、体が動かなくなるまで冒険者を続けて、引退したら弟子に俺のすべてを伝える。それが俺にとっての“次”だ」
自分の中で、ようやく答えが出たという確信があった。
笑って続ける。
「だから、悪ぃな。残念ながらお前らには、自慢話も餞もくれてやれねぇ。ま、ここは最後のリーダー特権ってことで許してくれ」
「ふっ……やはり、オレの予想通りだったな」
レダンが鼻を鳴らして言う。
その口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。
「冒険者をやる以外には、能のない貴様のことだ。最後にはそう言うと思っていた。……せいぜい死ぬなよ、ヒューゴ」
「おう、てめぇもな! 狩人の方が危ねぇんだから、さっさとくたばるんじゃねぇぞ」
「……元気でね~、ヒューゴ」
ライザもまた、穏やかな笑みとともに言う。
「あなたなら、きっとできると思うわ~。ずっと、応援してるから」
「ありがとよ。お前も神学校で達者にやれよな。もう金は貸してやれねぇんだから、賭けも無駄遣いもほどほどにしとけ」
「儂との縁は、残念ながらまだ続きそうじゃのぉ。ヒューゴ」
ゴルグが、にやりと笑って言う。
「武器ならなんでも売りに来い。お前さんに売りつける商品を用意して待っとるぞ」
「頼むぜゴルグ。店ができたら冷やかしに行くからな」
「ヒューゴ……」
ピケだけは、笑っていなかった。
俺の名前を呼んだきり、泣きそうな顔でうつむいてしまう。
俺は魔導士のフードの上から、その小さな頭に手を乗せる。
「よお、ピケ。お前もがんばれよ」
「……」
「朝ちゃんと自分で起きて、飯も食うんだぞ」
「……うん」
「親にもあんま心配かけんなよ」
「……うん」
「学園にもちゃんと通って、できれば友達も作っとけ。お前なら勉強は心配ないだろうからな」
「……うん」
「よし。なら大丈夫だ」
十一度目の魔王城イベントを終了します、という女神の声が響いている。
演出が続く中、俺はピケの頭を乱暴に撫でる。
「じゃあな、ピケ。帰ってからも元気でやれよ」
「……うん」
ピケは泣き出しそうな声で……それでも顔を上げ、笑って言った。
「バイバイ、ヒューゴ……私、ぜったい忘れないから」
その時、天井に光が満ちた。
暗闇が、一面の白に塗りつぶされる。
それだけではない。凍り付いた湖面が、その周囲の岩肌が、目の前の空気すらも、白い光へと変わっていく。
やがて、視界のすべてが白に覆われてしまう。
その後には――――何も残っていなかった。






