“魔王”①
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扉の先は、これまでとは違い螺旋階段となっていた。
それも、かなり長い。これまで移動に使ってきた階段の、何倍もの長さがある。中心に支柱はなく巨大な空洞となっていたが、薄暗いせいで下までは見通せなかった。
下っていくにつれ、内装はどんどんみすぼらしくなっていった。
階段の石材は不揃いになっていき、やがては岩を削り出したようなものへ変わってしまう。壁も同様で、レンガ壁がいつの間にかただの岩壁になっていた。
しかも、変化はそれだけではなかった。
「……寒いな」
腕をさすりながら、俺は思わず呟く。
下へ向かうにしたがって、ダンジョンの空気はどんどん冷えているようだった。
いい加減我慢できなくなってきたところで、全員で耐寒ポーションを飲む。
氷属性が中心となるようなダンジョンでは必須のアイテムだが、念のため持ってきておいてよかった。
俺たちは、その後もひたすらに階段を降りていき――――やがて、下へと到達した。
そこには、ひらけた空間と巨大な扉、それからセーフポイントがあった。
あるものだけ挙げれば、これまでとそう変わらない。ただ、その様相は大きく違っていた。
もう、ほとんど洞窟だった。見えるのは岩肌に、天井から垂れる鍾乳石、地面から立ち上がる石筍、そういったものばかりだ。扉すらも岩でできている。
一つ上の階層まで、居城系ダンジョンの内装をしていたとは思えないほどだった。まるで第一層に戻ったかのような気分になる。
ただ序盤の階層と違うのは、ところどころに凍り付いた水たまりがあることだった。
耐寒ポーションが必要なことからもわかるとおり、氷属性の要素がある階層らしい。
ひょっとすると、魔王も氷属性なのかもしれない。
いろいろ考察したいことはあったが、階段を降りて少し疲れていた俺たちは、まずは素直にセーフポイントで休むことにした。
****
「……ねぇ、ココル」
セーフポイントで小休止をとって、しばらく経った時。
テトがふと、ココルの名前を呼んだ。
「なんですか? テトさん」
「あの時……何考えてたの?」
「あの時?」
「ほら、扉のテキストを読んでた時さ。何か考え事してたでしょ?」
「あー。大したことじゃないんですけど……ちょっと、聖典の解釈を思い出してまして」
メリナが気になったように顔を向ける。
「聖典の解釈? 神学論ってやつかしら」
「そういう風にも呼ばれますね。聖典の記述をどう読み取るかって、実は人によってけっこう意見が分かれるものなんです。妥当だなぁって思えるのもあれば、なかなか攻めた解釈もあったりして、おもしろいんですけど」
ココルが続ける。
「その中の一つに……聖典に書かれていることは、全部本当にあったことだ、っていうものがあるんです」
「全部って、戦争とか、そういうものがか?」
俺が思わず訊ねると、ココルはうなずいて答える。
「はい。他にも疫病とか飢餓とか内乱とか、とてつもない洪水とかが起こってたくさんの人が死んだとか、そういうことも全部」
「ええ、だが……」
実際にそのようなことが起こったなんて話は、一度も聞いたことがない。
いずれも、聖典の中だけに描かれる荒唐無稽な出来事。一般には誰もがそのような認識だ。
「その解釈では、この世界は何度もやり直されていることになっているんです」
「やり直されて……?」
「悲惨な出来事が起こって、この世界がもうどうしようもなくなってしまった時、神様が全部元に戻してくれるのだとか。そこで暮らしていた人たちは当然いなくなってしまうんですけど、かつてあった世界の出来事が忘れられることのないよう、神様が聖典という形でわたしたちに残してくれている……ということらしいです」
「……」
「扉のテキストに、それらしいことが書いてあったじゃないですか。『原初の頃に還る』とか、『やり直せる』とか。四天王のモチーフにも聖典らしいところがあったので……なんとなく、学生時代に聞いたその話を思い出してました」
ココルが笑って付け加える。
「まあその解釈、全然主流じゃないんですけどね。あのテキストだって、このダンジョンがそういう要素もモチーフにしてるってだけなんだと思います」
「……。その可能性は、あるだろうが……」
ダンジョンが何をどういったルールでモチーフとするのかは、まったくわかっていない。
あまり支持されていない聖典の解釈なんてものも、モチーフとすることがあるのだろうか?
「なかなか興味深い話ね。箱庭仮説なんてものもあるくらいだし、その解釈も意外と馬鹿にできないかもしれないわ」
感心したようにいったメリナが、それからテトへ顔を向ける。
「で、あなたは何を考えていたの? テト」
「え?」
難しい顔でココルの話を聞いていたテトが、呆けたようにメリナを見た。
メリナは当然のように言う。
「ぼーっとしてたのはあなたも一緒だったじゃない。同じ事を考えていたのかもしれないと思ったから、ココルに訊いたんでしょ? 違ったんでしょうけど」
「あー……まあね」
テトが気まずそうに答える。
「ボクは聖典の解釈とか、そんな話じゃなくてさ……店長が、そういえば似たようなこと言ってたなーって」
「店長って、武器屋のか?」
テトが店長という時は、だいたいよく通っている武器屋の店長のことを指している。
二階にユーリが部屋を借りていてたまに店番をしており、今では俺もよく行く店だ。
店長は強面のじいさんで少々近寄りがたいのだが、買い取り価格が良心的で品揃えもいいので、多くの冒険者が重宝しているらしい。
テトがうなずいて言う。
「うん。店長、若い頃に冒険者を引退して武器屋を始めたみたいなんだけど、そのせいかボクにもよく辞めた後のことを考えとけって説教してくるんだよね。『物事には終わりが来る』とか、『冒険が永遠とは思うな』とかさ。正直、鬱陶しかったんだけど……」
天井を仰いで、テトがぽつりと言う。
「……あの扉に書いてあることを見たら、やっぱりそういうもんなのかなーって思えてきて」
「……」
俺は無言のまま、頭の中でテトの話を反芻する。
実はあの時、俺も似たような話を思い出していた。
メンバーが冒険者を辞めると言っていた、シェイドとフォスの話を。
「そうね」
メリナが相づちを打つように言う。
「正しいと思うわ。冒険者には命の危険があるのだし、早くに辞められるのなら、辞めてしまう方がいいのかもしれないわね」
「……シェイドさんとフォスさんも、パーティーメンバーが引退するって言ってましたもんね」
ココルが静かに言う。
「店長さんと同じように、若い内の引退ってことなんでしょうけど……」
「どちらも、トップ層のパーティーだからな」
それくらいの金を貯めることは十分できる。
トップ層のパーティーともなれば、それだけ稼げるのだ。
「……ボクさ、引退したら武器屋をやろうかなーって思ってるんだよね」
その時、テトがぽつりと言った。
「武器、けっこう好きだし。店長みたいに店を持てたらなって」
「あら。あなた経営なんてできるの?」
メリナが若干おもしろがったように問うと、テトはそのままの調子で答える。
「その辺、たぶん頼めば店長が教えてくれると思う……。算術も、実は店長に習ったんだ」
「そうだったのか……」
俺は得心がいった。
冒険者をやるにあたって、算術は必須だ。
四則演算に加え、分数や負の数、確率の概念などを理解していなければ、バフやアイテムの効果がわからない。
いいところの生まれであるココルとメリナはおそらく元からできたのだろうし、俺は生まれの村で元冒険者のじいさんから教わったのだが、テトの場合は例の店長が教師代わりだったのだろう。
「そういえば、アイテムの相場とかすごく詳しいものね」
メリナがふと笑って言った。
「それなら私は……引退したら旦那探しでもしようかしら」
「ええっ、メリナさん結婚する気あったんですか!?」
衝撃を受けたような顔でココルが言うと、メリナがわずかに眉をひそめて答える。
「なくはないわよ。そんなに驚くところ?」
「だって……確か結婚相手を見つけるのが嫌で、魔法学園を飛び出したんですよね?」
「間違ってはいないけどね。でも結婚が嫌というよりは、どちらかといえば持参金を家に頼ることに気が引けたのよ」
メリナが思い出すように言う。
「私の家は下級貴族で、あまり裕福とは言えなかったから。しかも、私の上には三人も姉がいて……持参金の工面に毎回苦労する両親を見てたら、私は遠慮しておこう、って思っちゃったのよね。でも、自分で持参金を用意できるようになるなら、結婚相手探しも悪くはないわ」
「持参金を用意、っていうくらいだから貴族狙い? 元冒険者なんて需要あるの?」
「それが意外とあるのよ」
テトの疑問に、メリナは真面目な口調で答える。
「貴族社会ってけっこうな魔境だから、元冒険者くらい肝が据わっている方がいいのかもしれないわね。もちろん、家柄も必要だけど」
「へぇー……」
「……。それなら、わたしは……」
ココルが静かに言う。
「神学校に戻るのもいい……かもしれないです。引退したら、ですけど」
「学費、自分で出せるようになったから?」
メリナの問いに、ココルがうなずく。
「はい。算術は苦手でしたけど、それ以外の勉強は嫌いじゃなかったですし。それに……父と母が、安心するかなぁって」
ココルが言う。
「前にも言ったと思うんですけど、わたしの家は商家で、在学中に経営が傾いちゃったんです。学費の用意が難しくなってしまったせいで、神学校は退学せざるを得なくて。まあ、今はもう大丈夫なんですけど……両親はわたしが今冒険者をしていること、かなり申し訳なく思ってるみたいなんです。別に、こっちは楽しくやってるからいいんですけどね。でも……やっぱりちゃんと、学校を出てまともなところで働いてほしかったんだと思います」
ココルがぽつぽつと続ける。
「だから、あらためて神学校を卒業して聖職者の資格を得られたなら、きっと喜ぶと思うんですよ。わたしも、次の生活のあてができますし」
「そうか……」
ココルは冒険者の神官らしく、あまり信心深いとは言えない。
ただココルのいる教会には、なんとなく人が集まりそうな気がした。
俺は小さく笑って言う。
「いいんじゃないか。冒険者から聖職者になるやつは珍しいが、そういうのも全然ありだ」
「アルヴィンは?」
テトが訊ねてくる。
「引退した後のこと、何か考えてるの?」
「……。俺は……」
なんとなく、思いつくままに答える。
「……運搬屋にでもなるか。堅実だし、たまに生まれの村へ顔を出せるようにもなるからな」
アイテムをストレージに収納して他の街へ運ぶ運搬屋は、引退した冒険者の定番の職業だった。
ステータスが高いほど運搬上限も高くなるので、運搬屋にはレベルを上げきった元冒険者のような人間が一番向いている。重戦士や騎士、僧兵に剣士といったSTRの上がりやすい職業であったなら、さらに適任だ。
元手もあまりかからず、特別な技術や知識も必要ない。
商品はストレージに収納するので、荷を狙われることもない。
少なくとも、冒険者でいるよりは穏やかな日々を送れることだろう。
しかし……、
「兄貴や両親がどうしているか、帰れるなら一度帰って確かめたい。それに……他の街へ行ってみるのも、いいかもしれないな」
自分がそんなことをしている姿は、うまく想像できなかった。
ただ、そちらを選ぶこともできるのだ。
不意に、微妙な沈黙が訪れる。
きっと皆、気づいたのだろう。
トップ層のパーティーの仲間入りを果たし、大金を稼げるようになった俺たちは――――その気になればすぐにでも、冒険者を引退してしまえることに。
このまま冒険者稼業を続けるのか、それとも新たな道を歩むのか。
ダイアログメッセージこそ出ないが、選択肢は常に提示されていた。






