“トロメーア”②
バフォメットはその場から動かなかった。
しかしその代わりに、周囲の床にぽつぽつと、円形の赤い光が灯り始める。
「また取り巻きがいるパターンかー」
「今度も大したことないといいですね」
テトとココルが話す中、光った場所からモンスターが湧出する。
それは、ゾンビであるようだった。
朽ちかけの体を持ち、覚束ない足取りで歩くアンデッド系モンスター。フラフラとこちらへ迫るその様子は、まさに典型的なゾンビの動きそのものだ。
ただし、普通のゾンビではなかった。
バフォメットが召喚したそれらは、全身が燃え盛っていた。
服はすでになく、肉体も焼け焦げて燃え落ちる寸前だ。それにもかかわらず目だけが爛々と輝き、一歩一歩確実に俺たちへ近づいてきている。
ゾンビの中でも、火属性を持つ比較的強力なモンスター。
「フレイムゾンビ、か……」
最終的に十体ほどにまでなったそれらを眺めながら、俺は呟く。
「意外だな。アンデッド系を出してくるなんて」
「一応、火属性で繋がりがあるからかしら」
杖を構えながら、メリナが言う。
「とりあえず、普通に戦ってよさそうね」
「そうだな」
俺はうなずいて答える。
「一番初めの攻撃パターンは、ケルベロスもフライロードも大したことなかった。あのゾンビたちはさっさと倒して次に行こう」
「オッケー!」
テトが駆け出した。
オレンジ色の軌跡とともに、ナイフが振るわれる。“スタッブ”を叩き込まれた正面のゾンビは、それだけであっけなく四散した。
集まってくる他のゾンビたちから一度距離を取りながら、テトはにやりと笑って言う。
「なんだ、さっきの虫より弱いじゃん」
「普段のモンスターと大差ないみたいだなっ」
ゾンビが振るう炎の腕を“パリィ”で受け流しつつ、俺は答える。
攻撃を受ければダメージはずっと大きいだろうが、虫とは違いこの手のモンスターには慣れている。フライロードの取り巻きよりもずっと相手しやすい。
固まっていたゾンビたちに、メリナの放った水属性魔法の水球がぶち当たった。それだけで三体が四散する。
「魔法の耐性も低いわね。本体も狙いところだけど……」
「やめておいた方がいいだろうな」
俺は答える。
「どうせ周りの炎が壁になって防がれるだろう。MPがもったいない」
「そうね」
自分でも予想していたのか、メリナは素直に同意する。
「取り巻きが出尽くすまで待ちましょうか」
残党となったゾンビたちを、俺とテトで始末していく。
戦闘開始からほどなくして、バフォメットの取り巻きはすべていなくなってしまった。
ココルがほっとしたように言う。
「ノーダメージで終わっちゃいましたね。わたしの出番がありませんでした」
「まあ、最初はこんなもんだろう……問題は次からだ」
バフォメットはいらだったように身じろぎすると、呼吸音のような声を漏らす。
『コォォォォ……』
周囲の炎が、より激しくなる。
それと同時に、再び床に光が灯った。
先ほどと同じ展開。だがその数を見て、俺は目を見開く。
「なっ……!」
「これっ、だいぶ多くないですか!?」
光の数は、先ほどの二、三倍はあった。
「うわめんどくさそー!」
「さすがに注意しないといけなさそうね」
テトとメリナが身構える中、モンスターが湧出し始める。
その姿を見て、俺は眉をひそめた。
「ん……?」
「あれっ? 今度は普通のゾンビ?」
テトが拍子抜けしたような声を上げる。
バフォメットが再び取り巻きとして召喚したゾンビは、燃えていなかった。
薄汚い服に、朽ちかけた体を持つ、普通のゾンビだ。
いや……むしろ普通のゾンビ以上に、動きが鈍い気もする。
ココルも不思議そうに言う。
「数が多い分、弱くしてるんでしょうか……?」
「わからないが……」
その時、バフォメット本体に変化が起こった。
巨体がウィルオーウィスプほどの小さな火の玉に変わり、ゾンビの群れの上を浮遊し始めたのだ。
やがてそれは、群れの中に沈んで見えなくなってしまった。
「ええ、なにかしら……?」
「隠れちゃいましたね……」
何が何だかわからない。
だが……やることは先ほどと変わらないだろう。
「まずは、確実にゾンビを倒していこう。攻撃パターンを探るにせよ、今はそれしかない」
そう言って俺が剣を構えると、隣でテトが収納具から投剣を引き抜いた。
そして、やや険しい表情で言う。
「それなら……先に討伐ログでモンスター名を見ておこうかな。もし変なゾンビだったら、名前で何かわかるかもしれないし……っと!」
言い終えるやいなや、テトが投剣を放った。
それは正確に、真正面にいたゾンビの頭部へと吸い込まれていく。
『オ゛ォッ……』
投剣が頭に突き立ったゾンビが、呻き声を上げてあっけなく四散した。
二本目を構えていたテトが目を丸くする。
「えっ! もう死んだ!?」
驚くのも無理はなかった。いくらなんでも弱すぎる。
たとえ高威力の投剣で、単なるゾンビ相手であっても、この難易度で出てくるモンスターが投剣一本で倒れるなんて普通じゃない。
ならばやはり、普通のゾンビではないのか。
モンスター名を確認しようと、ステータス画面に指を伸ばす。
だが……俺ははっとしてその手を止めた。
異変が起こっていた。
『オ゛……オ゛ォ……』
二、三十体はいるゾンビのすべてが――――俺たちを怒りの形相で睨んでいたのだ。
思わずぞっとする。
「おい……様子がおかしいぞ! みんな、陣形を……っ」
『オ゛ォォォォォ――――ッ!!』
言い終える前に、ゾンビの群れが一斉に突撃してきた。
速い。ゾンビとは思えない動きだ。
「な、なによこれっ?」
「どうなってるんですかーっ!?」
「くっ……!」
攻撃を剣で受けながら、後衛へゾンビが流れないよう必死で持ちこたえる。
ゾンビたちは、弱かった。攻撃力もフレイムゾンビほどはなく、斬撃を一度浴びせるだけで簡単に四散していく。
だが、勢いが半端じゃない。まるで仲間を倒され怒り狂っているかのように、ゾンビとは思えない猛烈な気迫でこちらに押し寄せてくる。
「メリナーっ! 魔法お願い!」
ゾンビたちに押され、後退し始めていたテトが叫んだ。
「もうヘイトとか気にしなくていいからっ! このままじゃ持たないよっ!」
「わ、わかったわ!」
光属性魔法の光弾が飛ぶ。
それは群れの中心にぶち当たり、数体のゾンビをまとめて四散させた。
「よし……!」
メリナにヘイトが集まってしまったが、これでかなり楽になった……と思ったその時。
ゾンビの群れが、すべて消失した。
「はぁっ? なんで?」
ナイフを振るいかけていたテトが、困惑したような声を上げた。
俺たちの誰も、何が起こっているのかわからない。
「魔法を使ったら消えるのかしら……? いえ、そんなわけないわね」
「エフェクトが出てないから、HPがゼロになって消えたわけではないでしょうけど…………えっ!?」
ココルが驚いたように声を上げる。
「なんか……わたしにデバフがかかったみたいです」
「なんだって……?」
俺は困惑する。
そんなわけがない。【ミイラ盗り】の効果により、デバフはテトに集中するはずなのだ。たとえ無効にならない中ランク以上のデバフであっても、ココルにかかることなどありえない。
何よりあの戦闘中、ココルはゾンビから攻撃を受けていなかったはずだが……。
「あ、待ってください。これ、デバフじゃないです」
ココルがステータス画面を操作しながら言う。
「バフ……みたいです。VITが少し上昇してます。名前は……《戦犯の証》?」
俺は自分のステータス画面から、ココルの簡易ステータスを確認する。
確かに、そのようなバフがかかっているようだった。一人が周囲から責められているようなアイコンとともに、VITがわずかに上昇している。
アイコンを選択すると、そのバフの名前が表示された。
《戦犯の証》。
「いったいなんなんだ……」
突然怒り出す謎のゾンビに、なぜか回復職に付与されるバフ。なんらかの意図があるのだろうが、何もわからない。
いつのまにか、バフォメットが元いた場所で仁王立ちしていた。
気のせいかもしれないが、どういうわけかダメージを負ったような顔をしている。
『コォォォ……!』
呼気のような唸り声とともに、再び床が光り始める。
「さすがに、一回では終わらないみたいね」
メリナが呟くと同時に、床からゾンビが現れる。
しかもその数は、先ほどよりもわずかに増えているようだった。
バフォメットはまた火の玉になると、取り巻きの群れの中へ消える。
「さて……どうするか」
俺は悩む。
一体を倒せば、また先ほどと同じことになるだろう。
それでもなんとかならないことはないが……少々キツい。倒すたびに数が増えるとなればなおさら。
それにこういった敵は、絶対に本来の倒し方があるはずなのだ。できればそれを見つけたい。
「あのゾンビ……放っておいてみたらどうでしょう?」
その時、ココルが言った。
「見てください。さっきのフレイムゾンビとは違って、今の状態だとただランダムに歩き回ってるだけです。こっちに向かって来てません」
言われて気づく。
確かにそうだ。こちらに近づいてきているやつもいるが、大部分はただ漫然と歩いているだけで、向かってくる意思が感じられない。
これは普通のゾンビにもない特徴だった。
「ひょっとしたら……こっちから倒したりしなければ、攻撃してこないんじゃないでしょうか」
「えー? でもそれからどうすんの? バフォメット本体もいないから、ボクたちやることないじゃん」
「それはそうなんですけど……」
「……試してみましょう」
メリナが言った。
「きっと何かしら起こるんじゃないかしら」
俺たちは、ただじっと待ってみることにした。
やがて緩慢な動きで、数体のゾンビが近づいてきた。俺は思わず身を固くする。
だが、それだけだった。ゾンビは俺の隣をただ後ろへ通り過ぎていく。ココルの言ったとおり、攻撃してくる気配は微塵もなかった。
「うわ……ほんとに攻撃してこなかったよ」
「こ、こんなモンスター初めてね……」
「自分で言っておいてなんですけど、わたしも緊張しました……」
近くを通り過ぎていくゾンビを見やりながら、皆が口々に呟く。
それはそうだ。調教師や召喚士といった職種でもなければ、モンスターが近くにいるのに攻撃されない経験なんて普通はないだろう。
そのまましばらく待ってみるが、何も起こらない。
「……せっかくだ。バフォメットがいた場所を見てみるか」
今も炎が燃えているのでそこまで近づけはしないが、ギリギリまで寄ることはできる。
俺たちはゾンビの群れの中を歩き始めた。
この異様な状況にも、だんだんと慣れてくる。
「……ゾンビって、一体一体見た目が違いますよね」
ココルが、近くのゾンビを観察しながら言った。
「モンスターは普通、全部同じ見た目をしているんですけど……。マンドレイクとかでも、葉っぱの付き方も茎のよじれ方も、よく見ると一緒なんですよ。でも、ゾンビだけはなぜか個性があるんですよね」
「言われてみれば、そうかもしれないな」
俺もあらためて、正面から歩いてくる二体のゾンビを眺める。
服の汚れも体の朽ち方も、明らかにバラバラだ。よく考えたら、個性があるモンスターというのは他にいない気がする。
そんなことを思っていると……ふと、左側のゾンビと目が合った。
普通なら多少緊張する状況だが、ここのゾンビだけは特別だ。
俺は剣も構えずにそいつを眺め続けた――――その時。
『オ゛……』
「……ん?」
目が合ったゾンビが、唐突に腕を振り上げた。
そしてその腕が、炎を上げて燃え始める。
「はっ……?」
呆気にとられる俺へと――――ゾンビが大きく踏み込み、炎の腕を振り下ろしてきた。
「なっ……!!」
とっさに剣で防ぐ。
“パリィ”を使うだけの余裕がなかったせいで、いくらかダメージが貫通してくる。
「アルヴィンっ!?」
「アルヴィンさん!?」
皆の驚いた声を背後から浴びながら、俺は反撃の剣を振るう。
だが、位置取りが悪かった。
剣は攻撃してきた方ではなく、右側のゾンビを斬り、そのまま四散させてしまう。
次の瞬間――――部屋のあちこちに散らばっていたゾンビたちが、俺たちを振り向いて怒りの形相を浮かべた。
「え!? うわやばっ……!」
「み、みなさん固まってください!」
「壁際へ行きましょう! 背後をとられることがなくなるわ!」
「わ……悪い、みんなっ!」
俺は焦る。最悪の事態となってしまった。
ゾンビが部屋に散らばったせいで、囲まれた形となっている。これなら最初から攻撃していた方がまだマシだ。
群れが突撃してくる前に、とりあえず炎の腕のゾンビだけ倒そうと、俺は剣を振るった。
思った以上に硬く、二撃当ててもまだ倒れなかったが、最後に“強撃”をぶち込んだらようやく四散した。
そして――――それと同時に、ゾンビの群れが消滅する。
「はあっ、また!?」
「わけがわからないわね……」
皆が混乱しきった様子を見せる中……俺は、目の前で起こった現象を観察していた。
四散した炎のゾンビから、小さな火の玉が出てきたのだ。
それはふよふよと宙へ浮かぶと、本人不在のまま燃え続けるバフォメットの炎を飛び越える。
そして次の瞬間、バフォメット本体が炎の中へ現れた。
その顔は、やはり先ほどと同じように、どこか消耗しているように見える。
「あれ!? またわたしにバフが付いてます……」
ココルの呟きを聞きながら――――俺はようやく気づいた。
「そういうことか……。みんな、この攻撃パターンがわかったぞ」






