“アンテノーラ”④
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「はあ……クソ……」
巨大な蝿型モンスターが派手に四散したのを見届けた俺は、悪態をつきながら床にどっかと座り込んだ。
深い溜息を、疲労とともに吐き出す。
疲れた。まさか、ここまで時間がかかるとは思わなかった。
あの蝗の群れを倒すだけで、普段のボス戦以上の時間がかかってしまった。幸いHP的には一度も危ない場面がなく終わったが、あれ以上長引いていればまた違っていただろう。
振り返ると、仲間たちも皆床に座り込んでいたり、その場で無言のまま立ち尽くしたりしていた。
俺はぼそりと呟く。
「……しばらく休んどいた方がいいな、こりゃ」
セーフポイントでこそないものの、中ボスを倒した後の部屋にモンスターが出現することはない。
皆の気力が戻るまで、ここに留まった方がいいだろう。
ただ、その前に確認すべきことがあった。俺は億劫な思いを振り払うように声を張る。
「おーい。お前らアイテムの減り具合はどんな感じだ」
誰も答えない。
訊き方を間違えた。こいつらは基本的にコミュニケーション能力に難があるので、答えやすいように訊いてやらなければならない。
再び声を張る。
「イナゴん時、全員それなりにポーションとか使ってたよな。予備を足してもヤバそうなくらい減ったやつは言え」
誰も声を上げない。
俺は小さく息を吐く。大丈夫そうだった。
まったくもって面倒な連中だが、冒険者としての実力だけ、本当にそれだけは持っている連中だ。あのきつい持久戦の最中でも、全員消耗しすぎない程度にはうまく立ち回っていたらしい。
まあ、レダンのやつはそろそろまた矢を要求してくるかもしれないが……その前に。
俺は気だるさをこらえて立ち上がると、歩きながらストレージから金色の液体が詰まった小瓶を取り出す。
そして、壁に背を預けるようにして腰を下ろし、ステータス画面を開いていた巨漢にそれを投げ渡した。
ゴルグは俺に目を向けると、わずかに眉をひそめてそれを掴みとる。
「なんじゃ、ヒューゴ」
「グランドポーションだ」
「そんなもん、見りゃあわかる」
「使えよ」
俺はそう言って、ゴルグの横に腰を下ろした。
「お前、ハイポーション相当減ってただろ。ライザのMPが少なくなってからは、イナゴが戻るタイミングで毎度飲んでたんだから」
「まだ十分残っとるわい。このクソ高いポーションを、戦闘中でもない時に使うバカがどこにおる」
「ヘイトも必要以上に集めるから意外と使いにくいんだよ、それ。いいから飲んどけ。俺はまだポーションの手持ちに余裕がある。今回は、てめぇがまあまあ仕事してくれたおかげでな」
「……もったいないのぉ」
そう言いながらも、ゴルグは小瓶を開け、一息に飲み干した。
簡易ステータスに表示されていた、ゴルグのHPが上限まで回復する。
グランドポーションだから一本で全回復できたが、ハイポーションならおそらく二、三本は必要だっただろう。ゴルグの高いHPが、今回はそれだけ減っていたのだ。
ゴルグは、蝗の群れすべてのターゲットをたった一人で受け持っていた。
あの蝿の攻略にはそれしかなかったのだ。俺やピケ、レダンが蝗を倒し、ヘイトを集めてしまうと、どうしても少なくないダメージを喰らって群れを際限なく回復させてしまう。そのため最もVITが高く、ハンマーによって攻撃範囲も広いゴルグに、殲滅をすべて任せるしかなかった。
相当な負担だったことだろう。終盤に差し掛かる頃には、タフなゴルグもさすがに苦しそうな顔を見せていた。
それでも、本人は文句一つ言わない。
「……それにしても、面倒な役割を押しつけおって」
訂正だ。文句たらたらだった。
ゴルグはグランドポーションの空き瓶を投げ捨てながら、吐き捨てるように言う。
「挙げ句、あのハエもアイテムを落とさんかった。これではなんのために骨を折ったのかわからんわ!」
「俺に言われてもな。てめぇの日頃の行いが悪いせいじゃねぇのか?」
「ふん。心当たりがないのぉ」
「マジで言ってんのなら正気を疑う」
「……まあいいわい」
ゴルグはステータス画面を操作しながら、ぶっきらぼうに言った。
「普通なら、見切りを付けて帰っとるところじゃが……今回の冒険に限っては、祭りのようなもんじゃ。このくらい、堪えんでもない」
「……」
俺は、意外に思ってゴルグを見た。
俺の視線に気づいたゴルグが、思いっきり不審そうにこちらを見る。
「なんじゃ」
「いや……金と喧嘩のことしか頭になさそうだったてめぇが、まさかそんなことを考えていたとは思わなかっただけだ」
「儂がいつ、そんなくだらんもんにこだわった」
「いやだから、マジで言ってんのなら正気を疑うって」
金と喧嘩。ゴルグを説明するのに、この二つ以外は必要ないくらいだった。
とにかく喧嘩っ早く、あちこちでしょっちゅう揉め事を起こす。原因はまあ、相手側にあることが多いのだが、義憤に駆られるとか言ってやたらと首を突っ込みたがるのだ。絶対に好きでやっている。仲裁に借り出される俺がどれだけ迷惑しているか、理解しようとする素振りすらない。
ただその一方で、学もないくせに金勘定には妙に強いところがあった。
計算が速く、アイテムや物の相場にも詳しい。喧嘩で自分が壊した物の値段は常に把握しており、冒険の報酬で弁償できないような高すぎる物は殴らないという、嬉しくて涙が出そうな配慮までしているらしかった。そもそも殴るなという意見は、残念ながらこの巨漢の耳には入らない。
要するにこいつは、計算高い暴漢という迷惑極まりないやつなのだ。
体力自慢するだけあり、ハンマーを使う重戦士としては一級の実力を持っている。数字に強く、報酬をちょろまかすようなせこい性格でもないので、パーティーの経理も任せられる。
使える要素がこれだけあるにも関わらず、今まで数々のパーティーを追い出されてきたのは、それを補って余りあるほどに面倒なやつであるためだった。
俺も仲間を選べる立場だったなら、きっとこいつになど関わろうとはしなかっただろう。
「ふん……最後じゃからのぉ。儂にも思わんことがないでもない」
ゴルグがぽつりと言う。
「それに、ちょうど看板として飾っておく商品が欲しかったところじゃ。魔王とやらを倒せばふさわしい代物がドロップするのではないかと、期待しているところもある」
「……看板?」
「武器屋を始めようと思っておる」
「は……?」
俺は思わずぽかんとしてゴルグを見つめた。
「いや初耳なんだが」
「いちいちお前さんに相談なぞせんわ、気色悪い」
「お前、そんな金持ってたのかよ。武器屋っつったら屋台ってわけにもいかねぇだろ。いい場所に店を借りて、商品も仕入れなきゃならねぇし……」
「そのくらい貯めとるわ。商品も、気に入って売らずにいたダンジョン産の武器が貸倉庫にある」
「……お前普段あれだけ暴れておいて、しかも俺に弁償代を立て替えさせてた分際で、自分はしっかり蓄財決め込んでたのかよ!?」
「趣味に使う分とは分けておきたかったもんでな」
「今、趣味っつったか?」
「言っとらん」
「マジかよ……」
俺は密かにショックを受けていた。
こいつがまさか、そこまで先のことを考えていたとは……まるでまともな人間みたいだ。
なんだか負けた気分になってくる。
「……武器屋なんて、できんのかよ。金勘定は得意でも、商売は素人だろ」
「二年ほどで黒字になる予定じゃ」
そのいかつい風貌に似合わない、堅実な計画をゴルグは呟く。
「多少うまくいかずとも、なんとかなるくらいの金は持っとる」
「ふうん」
俺はついつい、茶化すようなことを言ってしまう。
「なんつーか……気が早ぇやつだな、てめぇも。武器屋なんて、歳食って冒険者を引退するじいさんが始めるような商売じゃねぇか。今からやんのかよ」
田舎出身のためか口調が古めかしく、いかつい顔に髭を生やしているせいもあって勘違いされやすいが、ゴルグは俺やレダン、ライザとそう歳は変わらない。
誰かの店を継いだとかでなければ、こいつほど若い武器屋はおそらくいないだろう。
ゴルグは何も言わない。
わずかな沈黙の後、俺は静かに問いを発する。
「つーか……やめんのかよ、冒険者」
「おう」
ゴルグは、すぐにそう答えた。
「レダンが抜け、『星狩』も解散するのなら、儂も食い扶持の得方を考えねばならんからのぉ」
「俺がいつ、そんなこと……」
「言わんでもわかるわい」
ゴルグが、こちらを見もせずに言う。
「レダンやライザほどではないが、お前さんとはそれなりに長い付き合いじゃ。そのくらいわかる」
「……」
「儂はこれまで、結局どのパーティーにも長居できんかった。この先もどうせ同じじゃろう。ソロもまあ、悪かないが……それよりは、ずっとやってみたかったことを始めようと思っただけじゃ」
「……そうかよ」
俺はできるだけ、意地が悪そうに見える笑みを浮かべて言う。
「店を開いたら、冷やかしくらいには行ってやるよ」
「冷やかしなら来るでない、迷惑じゃ。来るなら用向きを持って来い」
「……。あったらな」
「おう。売りでも買いでもかまわん。売るというなら、その剣も防具も高く買ってやろう。買うというなら、お前さんの気に入ったものをなんだって売ってやろう」
「……」
「で――――どうするつもりじゃ、お前さんは」
「……」
俺は、答えに窮した。
レダンやライザほどではないが、ゴルグともそれなりに長い付き合いになる。ピケが加入するまではずっと、この四人でダンジョンへ潜っていたのだ。
だから……こいつが本当は何を言わんとしているのか、俺にはわかっていた。
俺自身がこの先――――『星狩』を解散させた後も、冒険者を続けるのかということ。
だからこそ、すぐには答えられなかった。






