“カイーナ”③
ケルベロスは三つの頭で雄叫びを上げると、溶岩を撒き散らしながら突っ込んできた。
俺は小島の上にとどまったまま、剣を構えて待ち受ける。
「ぐっ……!」
突進を、剣を立てて受け止めた。
そこから繰り出される中央の頭の噛み付き攻撃を、剣身をずらして防ぐ。
ステータス画面のHPをちらと見るも、それほど減っていない。
「やっぱりこの程度か……」
レベル差もあるのだろうが、モーションの派手さの割りには攻撃力が低いようだった。
溶岩ギミックがあるためだろうか。
それならやはり、小島から落ちないよう気をつけるのが最優先か。
『グゥウッ……!!』
テトに横から胴体を斬りつけられ、三頭犬が呻く。
仰け反りこそ起こらなかったものの、かなりのダメージが入ったのか、一瞬でヘイトがテトへ向いた。
三つの頭に狙われながらも、盗賊らしい身軽さで、テトは小島から小島へ飛び移っていく。
「弱点部位は、たぶん鼻面か口の中ってとこかなー。こんな感じっ!」
言いながら、テトが投剣を放つ。
それはケルベロスの中央の頭、その鼻先へ吸い込まれるように突き立った。
『ガァウッ……!?』
ケルベロスが仰け反りし、たたらを踏んだ。
この程度のダメージ蓄積で仰け反りを引けるのなら、攻撃力ばかりでなく耐久も低いようだ。
「そろそろ撃っても大丈夫かしらね」
メリナが呟くと同時に、火属性魔法の火球が飛んだ。
それはよろめくケルベロスに直撃し、再び激しく仰け反りさせる。
メリナは迷い気味に言う。
「これ……弱点属性は突けたのかしら? 一応色が氷っぽかったから、火にしたんだけど……」
「わからないが、相当なダメージを稼げたのは確かなようだな」
「あっ、もう攻撃パターンが変わりそうですね」
ココルの言うとおり、ケルベロスは全身を震わせ、何か青白いオーラのようなものを纏い始めた。
こういうのは見た目だけで特に効果はないことが多いが、一応気をつけなければ。
『ゴォウッ!!』
先ほどよりも素速い突進。
向かう先は、離れた小島にいるメリナだ。
「私っ?」
メリナがあわてて隣の小島に飛び移ると同時に、俺がケルベロスの前に躍り出る。
三つの頭をすべて使う、三連続となった噛み付き攻撃をいなしながら、メリナへと叫ぶ。
「あんまり無理しなくていい! 魔法だと火力が高いせいでヘイトを稼ぎすぎるみたいだ! しばらくは俺とテトに任せてくれ!」
「わ、わかったわ!」
メリナが叫び返してくる。
普通、一度仰け反りするほど前衛が攻撃を叩き込めば、後衛が多少ダメージを出してもそれほどヘイトは向かない。
だがこのケルベロスは魔法耐性も低いのか、火球のダメージが接近やガード、攻撃回数などで稼いだヘイトを一瞬で奪い返してしまったようだ。格下相手だとたまにこういうことが起こる。
もうしばらく俺とテトでダメージを稼ぐしかないだろう。
だが。
「うわっ!」
「おっと……!」
中央で暴れるケルベロスが、新たな攻撃パターンとして溶岩を撒き散らしてきた。
前に詰めていた俺とテトは、あわてて小島を飛び移って避ける。
「め、面倒だな……」
溶岩の海を見下ろし、思わず顔をしかめる。
モンスターよりも、この足場の悪さが厄介だった。
ケルベロスのモーションの隙にうまく接近のタイミングを合わせられず、何度も攻撃の機会を逃してしまう。
それでも軽い仰け反りを二、三度引き、ダメージとヘイトを稼いだその時。
『グルルルル……』
ケルベロスがうつむいたかと思えば、三つの頭の口元に小さなエフェクトがちらつき始めた。
俺は皆へと叫ぶ。
「ブレスが来るぞ! たぶん!」
一瞬の後。左の頭が口を大きく開き、本当にブレスを吐いてきた。
白いエフェクト。氷属性の氷凍ブレスだった。効果範囲の溶岩の海が白く凍り付いていく。
しかし俺もテトも、その範囲からはきっちり逃れていた。
左の口が開くやいなや、すぐに右へ右へと小島を飛び移っていたのだ。左の頭はブレスの寸前まで俺たちを狙っていたが、案の定、中央と右の頭が邪魔で首を回しきれなかった。予想通りだ。
テトが笑いながら言う。
「なんだ、簡単じゃん……ってこっちも!?」
今度は右の頭が口をがばりと開いた。事前エフェクトはあったのだから当たり前だが。
俺は言う。
「防御スキルで防ぐしかない! 最後の真ん中のは全力で避けろ!」
「オッケー!」
次の瞬間、右の口からブレスが吐き出される。
冷気が全身を包み、視界が白で覆われるが、俺は“パリィ”で防御済み。テトも【短剣術】の防御スキルで防いでいた。HPも減っていない。
問題なさそうだった。再びテトへと叫ぶ。
「最後、真ん中だ! 左右に散るぞ!」
「オッケー……どわっ!?」
突然、素っ頓狂な声とともにテトが転んだ。
駆け出そうとした俺も、足が滑って体勢が崩れる。
「なっ……」
俺は目を見開く。
足元の小島が、周囲の溶岩ごと白く凍り付いていた。
「こ、これ氷床になるのか!」
氷床とは、ダンジョンのギミックの一つだ。
この上に立つと歩くことができず、最初に飛び乗った方向へ延々と滑り続けることになる。
いきなり足元が氷床に変わった場合、どうなるのかわからなかったが……どうやらその場から動けなくなるらしい。
氷床にへたり込む俺たちへ、中央の頭が口を開く。
「げっ! これ直撃!?」
「くっ、ストレージだけでも開いておくんだ!」
防御スキルもこの体勢からは使えない。何かあった時のためにすぐアイテムを取り出せるようにしておいた方がいい。
中央の口だけは、エフェクトの様子が微妙に異なっていた。
氷属性の澄んだ水色のエフェクトではなく、本体と同じ青ざめたような色をした、不気味なエフェクト。
次の瞬間、ブレスが吐き出された。
青白いブレスは、一瞬のうちに俺とテトを飲み込む。
衝撃はない。HPの減少もなかった。だが、視界の隅に《状態異常:毒》の文字が出現。同時にステータス画面に、紫色の髑髏マークのアイコンが点灯する。
「毒ブレス、か……」
猛毒でもない、通常の毒状態。
どうやら、他に効果はなさそうだった。
安堵とともに若干拍子抜けしながら、俺はテトへ呼びかける。
「解毒は焦らなくてもいい、タイミングを見計らってからで……」
だが、言い終える前に――――状態異常回復のエフェクトとともに、ステータス画面から毒のアイコンが消え去った。
思わず目を丸くする。
「あっはっは! やーっぱり毒吐いてきましたねっ」
後ろでココルが、高笑いとともに言った。
「疫病がどうだとか、ネタバレしすぎなんですよっ」
どうやら演出の内容から、毒ブレスの存在を事前に予測していたようだった。
それでもここまでタイミングを合わせられるのは、さすがと言うほかないが。
テトが後ろを振り仰いで言う。
「サンキュー、ココル! でも次の突進も喰らうから治癒の準備よろしく!」
「任されましたっ!」
前方のケルベロスは、すでに岩を蹴っていた。
足元の氷はすでに融け始めているが、タイミング的にぎりぎり間に合わない。
なんとか“パリィ”を決められたらと、ふらつきながら立ち上がったその時。
「もういい加減いいわよね!」
背後から、火球が飛んだ。
それは突進を始めていたケルベロスの鼻面に命中。激しく仰け反りさせる。
後方からメリナの、しまったというような声が聞こえた。
「もしかして、返り討ちになっちゃったかしら……? ヘイト稼ぎすぎてたらお願いっ!」
「ああ、わかった」
氷の溶けた岩の上で、俺は軽く笑って立ち上がる。
そのくらい、お安いご用だ。
ケルベロスがよろよろと立ち上がる。
おそらくまた、攻撃パターンが変わっただろう。どの頭も眼光が鋭くなり、怒り狂ったように牙を剥き出しにして涎を垂らしている。
『グフゥゥゥー……!』
その時、左右の頭の口元に氷属性のエフェクトがちらついた。
乾いたような、甲高い音とともに水色の氷が生み出されていく。やがて形となったのは――――二振りの氷の剣だった。
透き通った剣を咥える左右の頭を眺めながら、俺はわずかに笑って言う。
「少しだけ騎士らしくなったな」
『ゴォウッ!!』
両の剣を振りかぶり、ケルベロスが突進してきた。
右の斬り下ろしを“パリィ”で受ける。左では、テトが屈むようにして横薙ぎを避けていた。
わかりやすいモーションだった。口で咥えている都合、動きが大ざっぱにならざるを得ず、初見でも攻撃が読みやすい。
すでに地形にも慣れてきていた。
三頭犬の猛攻を余裕を持って凌いでいく。隙を見て俺とテトで攻撃を叩き込み、メリナの魔法で大ダメージを与える。
ケルベロスの変化は一応剣だけではなく、その身に纏うオーラにもおよんでいた。
これまでよりも一層強くなり、色合いも本体と同じ、青ざめたようなものに変わっていたが……どうやら見かけだけのようだった。触れても効果がない。ただ少しだけ、本体が見にくくなるだけだ。
戦闘が佳境に入ったと誰もが感じていたその時、ケルベロスが左右の剣を溶岩の海に捨てた。そして再び、あの三連ブレスのモーションに入る。
「たぶんだが、さっきと違うぞ!」
「わかってるー」
俺が言うと、テトが軽く返してくる。
次の瞬間、左右両端の頭が大口を開けた。
「今度は両方同時かっ」
どちらに走ろうが避けられない。
ならばギリギリまで引きつけてから躱そうと、ブレスが吐かれる寸前まで待ってから横の小島へ飛ぶ。
しかし右の頭は、俺を追跡するようにブレスを薙ぎ払ってきた。
「くっ……」
仕方なく“パリィ”で防御する。
ココルの《毒耐性》バフがかかっているために、中央のブレスはもう怖くない。
だが、足元の小島は氷床へ変わってしまったので、融けるまで動けなくなってしまった。
――――その時。
「チャーンス!」
中央の頭が毒ブレスのモーションに入る中、後方でテトの声が聞こえた。
俺は思わず振り返る。
テトは防御スキルを使わず、氷凍ブレスの効果範囲の外まで後退していたようだった。
前衛のセオリーには反するが……何か意図を感じる。
「よっ、と」
かけ声とともに、テトは岩の小島から、ブレスでできた氷床へ勢いよく飛び乗った。
氷床は最初に飛び乗った勢いのまま、同じ方向へ延々と滑り続けるギミックだ。
ブレスの効果範囲にできた氷床は――――溶岩の海をも凍らせて、ケルベロスまでの道を作っている。
氷上を滑りつつケルベロスへと迫るテトが、愉快そうに笑って言った。
「ははっ、バカな犬だなぁー!」
中央の頭が毒ブレスを吐き出す。
正面から氷床を進むテトは、もろにそれを喰らってしまう。だが《毒耐性》バフがかかっている今、それはなんの効果ももたらさない。
三つの頭の眼前で、テトが跳んだ。
「自分から足場なんて作っちゃってさっ!」
ナイフが閃き、オレンジ色の軌跡が奔った。
中央の頭の鼻面に、【短剣術】スキルの一つ、“スタッブ”が叩き込まれる。
『ガァウゥゥゥ……ッ』
ケルベロスが、呻き声とともに激しく仰け反りした。
巨体が大きくふらつき、後ずさる。
「お? もしかして……あっつ!」
融けかけの氷床に着地したテトが、溶岩に落下してしまいあわてて小島まで飛び移った。
そのままナイフを構えることなく、ケルベロスの様子を見守る。
おそらくもう、戦闘は終わっていた。
『どこまで足掻くか、人間よ……』
『よもや、この我を倒すとは……』
『しかし我は、四天王の中でも最弱……』
オーラが消え、急にボロボロになったように見えるケルベロスが、呻くように言う。
それは明らかに、終わりの演出だった。
『悪疫も消えぬ……』
『魔王を倒さぬ限り、災いは止まらぬ……』
『この先で知るがいい、人間ども……』
中央の頭が、俺たちを恨みがましげに睨む。
『もはや希望など、どこにも残されていないことを……』
そんな台詞を最後に――――青白いケルベロスは、壮大なエフェクトとともに砕け散った。






