⑧ 第八話
「いやぁ~、我ながら、よくぞ言ってやったわ」
ルーシアは、馴染みの大衆食堂<白鹿の森>で美味しいビールを飲んでいた。
もっとも、ビールが普段とは違うものな訳では無い。リーズナブルな値段で、その割に味がいいのでお気に入りないつもの銘柄だ。
だが、今この瞬間は、そのビールがこの上なく美味なのである。
自分に誘いを袖にされて、無表情のまま固まっていたライナスの事を思い出し、ルーシアはもう一口ビールを口に運ぶ。
「何が対等な関係になりたいよ。敬意は不要よ。そんな上辺だけのことを信じられるわけないじゃあないの……」
そんなありえないことを言うなんて、平民の小娘だからと馬鹿にしているのが見え見えだ。
だから、断られるとは微塵も思っていなかったであろう貴族様に、『ノー』と言ってやったのである。
「まぁ、あの場で逆上しなかったのは凄いとは思うけれど……」
ルーシアはライナスの誘いを断った際に、殴られるくらいのことはもちろん、それ以上のことも覚悟していた。
そして、もしもそんな事をしようとしたのなら、『所詮、口先だけのお貴族様ですね』と嫌味を言ってやろうと思っていたのだが、ライナスは何も言わずに呆然としていた。
そして、そんなライナスに慇懃無礼のお手本のような別れの挨拶をして、ルーシアはこの店にやってきて食事を楽しんでいる。
「ああ~あっ。男性からの初めての求婚も、デートのお誘いもこんな風に終わってしまうなんて。私ってば、本当に男運に恵まれていないわね……」
上機嫌だったルーシアだが、ふと今の自分の現状を顧みて、悲しくなってしまう。
店の中を見渡すと、明日も平日だと言うのに、イチャイチャとする男女の姿も多く見られる。片や、自分は一人で二人席を占領しているのだから、虚しくもなるだろう。
そんな気持ちを払おうと、ルーシアはおつまみから、本格的にお腹に溜まる料理を注文してすぐだった。
「あの、お客様。お連れの男性がお見えになられました」
給仕の女性がルーシアに声を懸けてきたのは。そして、彼女の横に立つ金髪のスラッとした男性の姿に、ルーシアは脱力する。
「ありがとう。後は我々の話だ。君は仕事に戻ると良い」
金髪の男性は、服装こそ変わっているものの、確認するまでもなくライナス男爵だった。そして、給仕の女性にチップを渡し、当たり前のようにルーシアの向かいの席に座る。
「……ライナス卿。どうしてここに?」
もはや勝手に同席しないでという気力もなく、ルーシアは呆れてそれだけを尋ねる。
「ふむ。当然の疑問だな。だが、それは国家機密に当たるので明かすことができない」
どうしてこんなに早く服を着替えてきて、その上自分がいる店を割り出したのかを、『国家機密』と言われて、ルーシアは頭を抱える。
「それって、職権乱用ではないのですか?」
「その点は問題ない」
ライナスは相変わらずの鉄仮面で表情を変えずに断言する。
「はぁ~。もうそれは良いです。それでは、何故私を追いかけてこられたのかをお教え頂けませんでしょうか?」
「決まっている。求婚をした女性に、悪い虫がつかないようにボディガードに来たのだ」
至極当然のようにライナスは答えた。
「私、お食事のお誘いをお断りしましたよね?」
「そのとおりだ」
「であれば、今日のところは諦めて……」
「君が家路に就くのであればそうしようと考えたのだが、外食を、まして雑多に人が出入りする大衆食堂で時間を過ごすと知っては、じっとしていられなかった」
相変わらず表情を変えずに、ライネスは言う。
「……それは心配し過ぎというものですよ。私の周りには男っ気がありませんから」
言っていて虚しいが、本当のことなので、ルーシアはその事を口にする。
だから、自分が他の男性と密会することを危惧して、誰かに見張られるのはぞっとしないので止めて欲しいという気持ちを込めて。
「それは違う」
「えっ?」
事実を否定され、ルーシアは驚く。
「ルーシア。君の周りの男達は、君のあまり美しさに、気高さに二の足を踏んでしまっているだけに過ぎない。だから、君は一人で夜に出歩くことに、もう少し危機感を持つべきだ」
「…………」
ルーシアは何も言葉を返せなかった。
それは、このような歯の浮きそうな言葉を、手放しの称賛を、男性から掛けられたたのは生まれて初めてだったから。
そんな見え透いたお世辞をと思う反面、異性が自分を高く評価してくれたことが嬉しく思えてしまう。
「……もう、分かりました。注文を終えているので、今更店を変えるわけには行きませんから、このお店で良ければ食事をご一緒させて頂きます」
ルーシアは怒ったように言う。そうしないと嬉しい気持ちがバレてしまいそうだから。
「いいのかね?」
「……別に、貴方と食事をするのが嫌だったわけではないですから。いきなり私の都合も考えずに、貴族だということを笠に着て命令されるのが腹立たしかっただけで……」
ルーシアが本音を言うと、ライナスは「そうか。すまなかった」と謝罪をしてくれた。貴族である彼が平民である自分に頭を下げたのだ。
予想外のことに驚いたルーシアだったが、その行為に、少しだけライナスという男性に好感を持った。
「それと、今日は堅苦しいドレスコードのない店で、気軽に飲みたかったんです」
「なるほど。確かに君の疲労を考慮していなかったのは恥ずべきことだ。以後このようなことは決してしない」
ライナスは僅かだが口元を緩める。
その姿に少し見惚れてしまった事に気が付き、ルーシアは慌てて頭を振る。どれだけ自分は異性に免疫がないのだろうかと呆れながら。
「わっ、分かりました。それでは、二人で食事を楽しみましょう。ライナス様はこのような大衆食堂でお食事の経験は豊富なのですか?」
「いや。正直あまりない」
「では、注文は私にお任せ頂けますか?」
「……それはお願いしたいところだが……」
ライナスは何故か歯切れが悪い。
「ライナス様? 何か食べられないものがお有りですか?」
「いや、それはない。ただ、先程提案したとおり、私のことは、『ライナス』と読んで欲しい。そして、そのような堅苦しい喋り方も不要だ」
至極真面目な表情で、ルーシアを見つめてくるライナス。
「……わかったわ、ライナス。せっかく気軽に楽しめる店に来たのだもの。一緒に楽しみましょう」
「ああ。楽しみだ」
ルーシアの言葉に、ライナスは本当に嬉しそうに応えるのだった。




