㉒ 第二十ニ話【完結】
シュレンダ王国の首都プレリスには、伝統ある老舗レストラン<銀の旋律>がある。
一時期は味が落ちたという噂もあったが、今ではそんな話など霞むほどに賑わっている。
それは、若き天才料理人であり、早くも次の料理長だと言われている、ルーシア=シュハイゼンの功績が大きい。また、彼女はつい先日、あの『恐怖の代名詞』『冷酷無情』等とまで言われるライナス=シュハイゼンと結婚して、平民から貴族になった稀有な例としても知られることになった。
だが、下手にその事を突っつくとライナス=シュハイゼンの怒りを買うため、新聞社などもそのことには触れたくても触れられないのが現状であった。
しかし、裏を返せば、そのような事柄をニュースにしたいと思うほど平和な時が流れているということでもあるのだ。
国王と議会が国をよく纏め、人々は働いて、それに見合った報酬を得て生活を営む。そして、街を行き交う人々の顔には笑顔が溢れている。これは決して当たり前のことではない。多くの者が自らの責務を果たしているからこそ享受できる喜びなのだ。
そしてそれは、シュハイゼン男爵家も同じだった。
貴族の妻になったことなどどこ吹く風で、ルーシアは今日も使用人たちには任せずに、朝早くに起きて料理をしていた。
まだまだ若い夫はもちろん、これからも健康で居て頂きたい義父のためにルーシアはその腕を振るう。
「おお。今朝も美味しそうだな」
早くに起きてきた義父のリドルは、食卓に並ぶ多くの品目の料理を見て嬉しそうに破顔する。
「おはようございます、お父様」
ルーシアが深く礼をすると、リドルは嬉しそうに、うんうんと頷く。
それから程なくして、ライナスも起きてきた。
「おはようございます、父上」
ライナスは朝からキリッとした姿で父に挨拶をする。しかし……。
「ルーシア、おはよう。君は今日も朝食を作ってくれているのだな」
とどこか寂しそうに、もっと言えば拗ねたように言う。
「おはよう、ライネス。って、何よ、その顔は?」
「いや、朝から君の美味しい朝食を食べられるのは僥倖だ。その気持ちに嘘はない。だが、私達は新婚なのだ! 偶には朝食づくりも使用人に任せて、私とベッドで朝から語り合う時間も必要だと思う!」
「お父様の前で、朝から真顔で何を言っているのよ!」
ルーシアは色ボケの夫に文句を言う。
「ほっほっほっ。夫婦仲が良くて結構結構」
リドルはそんな息子夫婦のやり取りを目を細めて見ている。
そして、なんとか不平不満を言う夫を席につかせて、神に祈りを捧げてから朝食をとることにする。
「おお! 私の卵料理はスクランブルエッグにしてくれたのか。うむ。旨い!」
リドルは嬉しそうに食事を楽しんでいるが、ライナスはじとっとした視線をルーシアに向けてくる。
「ルーシア。君は私の妻だろう? 決して父上の後妻などではないはずだ。であれば、私の食事にも……」
「ああもう! だから、貴方の料理は目玉焼きとソーセージが一つずつ多いでしょうが!」
「何! あっ、本当だ。そうか。やはり君は私を愛してくれているのだな!」
ライナスは満面の笑みになり、嬉しそうに食事を始める。
(まったく、何で私は、こんな面倒くさい男と一緒になったのかしら)
そんな風に後悔しても後の祭りだ。
付き合いも半年を過ぎた頃、ルーシアはすっかり忘れていた、最初に料理を提供したときに、自分の料理に持った不満が何だったのかをライナスに尋ねた。
すると彼は真剣な表情で、
「それはもちろん、あのときの料理の多くが歯の悪い父上のことを考えた料理が主だったことだ! 無論その心配りは嬉しかったが、私のことを考えてくれた私のための料理がなかったのが不満だった!」
などと子供のようなことを言ったのだ。
それを聞いてルーシアは呆れたが、気の迷いで、その、少し可愛いかもと思ってしまったのだ。だから、こんな風に毎朝の朝食でいらぬ苦労することになっている。
どうしても夫は、妻の特別で居たいようなのだ。
こんな子供っぽいところが、あのライナス=シュハイゼンにあるなんて誰も知らない。そして、それを知っているのは自分達家族だけでいいとルーシアは思う。
「そう言えば、ライナス。お前があまりにも嫁の料理を自慢するものだから、兄達が近いうちにうちに泊まりたいと言ってきているのだが……」
「却下します。新婚夫婦の家に泊まりに来るなど言語道断です」
「いや、あいつらは私の住む離れに泊まると言っておるのだ」
「それでも駄目です。美人に弱い兄上達が、ルーシアにちょっかいを出す用なことがあれば、私は彼らをこの手にかけなければならなくなります。そしてそれは、我が家の隙になる。よって却下です」
ライナスはリドルの提案にも取り付く島もない。
それを困ったものだなぁと思いながらも、自分を大事にしてくれていることはやはり嬉しいのが女心だ。
「そうか。それなら仕方ないな」
リドルは嘆息し、ライナスの説得を諦めたようだ。
そして朝食を終えて、ルーシアとライナスはそれぞれの職場に向かう事になる。
だが、その前に……。
「それでは、行ってくる。ルーシア」
「ええ。気をつけてね、ライナス」
そう言って二人は口づけを交わしてから、お互いの馬車に乗る。
正直ルーシアは恥ずかしいのだが、これをしないとライナスが拗ねるので仕方がないのだ。
「さて、今日も『厨房の冷血女王』として、頑張らないと」
まだまだ、夫と約束したこの国をより良くしていくには力が足りない。時間も足りない。
けれど、少しずつでも毎日の積み重ねがきっとそれに繋がっていくと信じている。
「『厨房の冷血女王と鬼畜貴族のグラン・パ・ド・ドゥ』はまだまだこれからね」
ルーシアはそう呟くと、心から幸せそうに微笑むのだった。




