㉑ 第二十一話
ルーシアは泣いていた。ライナスに抱きしめられたまま。
こんな風に泣きじゃくったのは物心がついて間もなくくらいだっただろう。でも、あのときと同じ様に自分は優しい温もりに包まれている。
それが幸せで、温かくて、ルーシアは声を上げて泣き続ける。
「大丈夫だ。君が心配するようなことはもう何もない。私が愛する女性は君だけだ。ルーシア……」
「……ええ。……ごめんなさい。ごめんなさい……」
ルーシアは謝罪をする。心から愛する存在となった男性に。
それからもルーシアは泣きじゃくっていたが、やがて落ち着きを取り戻した。
それを確認し、最後にきゅっと抱きしめてから、ライナスは彼女の体を自由にしてくれた。
「ごめんなさい、ライナス。私、どうにかしていたわ……」
「違う。君を追い詰めてしまったのは私だ。私が謝るべきだ。すまなかった」
ライナスは深く謝罪した後、ルーシアにこれまでの事を聞かせた。
今回のライナスとリーナス=デルネス公爵嬢の熱愛報道は、デルネス公爵家の陰謀であったらしい。
詳しい内容は危険だからと教えてくれなかったが、デルネス公爵家と仲のいい他の貴族家が、国益を害する行いをしていたところをライナスにその尻尾を掴まれて、公爵家に泣きついたのが発端だったのだ。
しかし、ライナスには金銭を握らせて黙らせることなどできないことを承知していた公爵家は、三女で<白の淑女>とまで呼称されている娘のリーナスとの熱愛というゴシップを流し、その対応にライナスが追われているうちに、他の貴族たちに証拠の隠滅を命じたのらしい。
万が一にも、ライナスがリーナスに好意を持つようなことがあれば、彼を自分の勢力に加えることができるとまで考えていたようだ。
だから、ライナスは愛しいルーシアと合う時間を割けないほど多忙な日々を過ごしていたのだ。ゴシップの鎮火と、公爵家の圧力がかけられる中で悪徳貴族の悪行を暴くことに全力を注がねばならなかった。
しかし、ライナスは結局その二つの仕事をほぼ完遂した。悪徳貴族達は実刑に処され、家が傾きそうなほどの罰金刑と領地の一部没収が決まった。そして、公爵家もそのような貴族を匿っていたとし、国王陛下から直々にお叱りを受けたのだという。
そして、明日にはリーナス=デルネス公爵嬢が異国に嫁ぐという大ニュースがこの街に広まることになっているのだという。
「もともと、リーナス嬢は隣国の王子から求婚をされていたんだ。そして、その国と誼を結びたい公爵家はその話に乗り気ではあったんだ」
「……そんな話を断ってまで、貴方を自分達の仲間に引き入れたかったというわけね。やっぱり、貴方は、ライナス=シュハイゼンはすごい人物なのね」
ルーシアはそう言いながらも、小さくため息をつく。
「ねぇ、本当に良かったの? きっと貴方は正義感からその話を蹴ったのだろうけれど、あの皆の噂に上がっていたほどの女性、<白の淑女>が貴方のものになるというのは魅力的ではなかったの?」
「ああ。まったく魅力的だとは思わなかった。私が愛しているのは君だけだ。だから考える余地は微塵もなかったよ」
ライナスはそう言いながら、フグの刺し身を口に運ぶ。更に他の料理にも箸を伸ばして幸せそうに味わっている。
「ねぇ……。料理を出した私が言うのも何だけれど、その刺し身も、他の料理もフグの料理なのよ。よくもまあまったく恐れずに食べられるわね」
「んっ? そんなのは当たり前だ。君が作った料理なのだからね」
「答えになっていないわよ。私だって女よ。貴方が他の女にうつつを抜かす事に腹を立てて、毒を盛るとは考えないの?」
ルーシアの言葉に、ライナスは「ありえないよ」と言って微笑んだ。
その優しい笑みに、ルーシアは言葉を失う。
「君が誰よりも自分の仕事に誇りを持っていることを私は知っている。きっと私の仕事に対するそれに負けないくらいにね。だからこそ、私は君とならこの国を舞台に『グラン・パ・ド・ドゥ』を舞えると、この国を変えていけると思ったのだから」
ライナスは当たり前の様に言う。
「……でも、私、自分でも気づかなかったけれど、意外と嫉妬深いみたいよ」
「もしも仮に、君が私に毒を盛るのだとしても、私はそれを受け入れるよ。それは君の気持ちが私から離れてしまったことを意味するからね。もしもそうなってしまったら、私は生きてはいけないのだから」
ルーシアの脅しにも、まったく怯まないライナスに、ルーシアは覚悟を決めることにした。
そして、ルーシアも食事を食べることにする。
「ねぇ、ライナス。今回のことは私達の感情のすれ違いが原因だと思うの」
「……なるほど。それは確かにあると思う。今後は気をつけないとならないな」
「それでね、すれ違いが起こった原因は、私達のスキンシップの少なさが原因ではないかと思うのよ」
ルーシアのその言葉に、ライナスの箸がピタリと止まった。
「……ルーシア。その、それは……」
「あらっ? ライナスは立派な紳士だと思っていたのだけれど、これ以上、私の口から言わせるつもりなのかしら?」
冗談めかしてルーシアが言うと、ライナスは静かに箸を置いた。そして、「少しだけ外に出てくる」と言い、数分で戻ってきた。
そして、家の鍵をしっかりと掛け、席に戻ってくる。
「ルーシア、安心して欲しい。馬車は明日の朝まで戻って来ない。それに、部下に命じてこの家に近づくものは全て明日以降に来てもらうことにして貰うことにした」
「えっ? ちょっと待って、ライナス。まだ、お昼を少し過ぎたばかりの時間……」
「まずは食事をしっかり食べよう。おそらく、明日の朝まで水分以外を補給するのは困難になる」
「えっ、ちょっと、あの、私、初めてで……」
「大丈夫。私に任せて……と言いたいところだが、我慢ができなくなったら済まない……」
「いや、我慢できなくなったらって、何なの!?」
そして、勇気のいる食事を終えたルーシアは、結果としてライナスからそんな料理を出した報いを受けることとなったのだった。




