⑲ 第十九話
大衆食堂<白鹿の森>は、随分と賑わっている店だった。
自分のサイズに合う服を探して貰って着替えるのに時間がかかったため、ちょうど一番忙しい時間帯に当たってしまったようだ。
「お客様、申し訳ございませんが、現在満室でして……」
店の給仕の女性が申し訳なさそうにライナスに謝罪する。だが、彼は小銀貨を一枚手にし、それをその給仕に見せる。
「先に連れが席を取ってくれているのだ。紫髪の女性だ」
「あっ、ルーシアさんのお連れ様ですか。それは失礼をいたしました。どうぞこちらへ」
すぐに連れが誰なのかを理解してくれたので、手間が省けた。それから席に案内されるまでチラチラと値踏みするように見られたが、ライナスはそんな事を気にしている余裕はなかった。
やがて、一人で対面席に座っているルーシアを見つけたライナスは、報告どおりに連れがいないことを喜ぶ。
その後すぐに給仕がルーシアに声をかけてくれたタイミングで、「ありがとう。後は我々の話だ。君は仕事に戻ると良い」と言い、ライナスはその給仕に小銀貨を手渡すと、困惑するルーシアの向かいの席に座った。
「……ライナス卿。どうしてここに?」
心底呆れたような顔で尋ねられたが、色々と答え難いことばかりだ。
「ふむ。当然の疑問だな。だが、それは国家機密に当たるので明かすことができない」
「それって、職権乱用ではないのですか?」
「その点は問題ない」
ライナスはしれっとそう答える。
「はぁ~。もうそれは良いです。それでは、何故私を追いかけてこられたのかをお教え頂けませんでしょうか?」
「決まっている。求婚をした女性に、悪い虫がつかないようにボディガードに来たのだ」
言うまでもないことだとライナスは思う。
あまりにもルーシアは自分の美しさを理解していない。そして、異性にそれがどう映っているのかを理解していない様子だ。そんな彼女を放ってなど置けない。
「私、お食事のお誘いをお断りしましたよね?」
「そのとおりだ」
「であれば、今日のところは諦めて……」
「君が家路に就くのであればそうしようと考えたのだが、外食を、まして雑多に人が出入りする大衆食堂で時間を過ごすと知っては、じっとしていられなかった」
正直にそう答えると、ルーシアは嘆息して少し寂しそうに微笑み、
「……それは心配し過ぎというものですよ。私の周りには男っ気がありませんから」
そんな的外れな事を言う。
「それは違う」
「えっ?」
「ルーシア。君の周りの男達は、君のあまり美しさに、優しさに、気高さに二の足を踏んでしまっているだけに過ぎない。だから、君は一人で夜に出歩くことに、もう少し危機感を持つべきだ」
この際なので、ライナスははっきりと事実を伝えた。
すると、ルーシアは頬を赤らめ、しばらく黙り込んでしまう。
しかし、彼女は不意に怒ったような顔で、
「……もう、分かりました! 注文を終えているので、今更店を変えるわけには行きませんから、このお店で良ければ食事をご一緒させて頂きます」
そう言って同席を許してくれた。
「いいのかね?」
「……別に、貴方と食事をするのが嫌だったわけではないですから。いきなり私の都合も考えずに、貴族だということを笠に着て命令されるのが腹立たしかっただけで……」
指摘を受けて、ライナスは素直に彼女に謝罪をした。彼女の立場をもっと考えるべきだったと猛省しながら。
「それと、今日は堅苦しいドレスコードのない店で、気軽に飲みたかったんです」
「なるほど。確かに君の疲労を考慮していなかったのは恥ずべきことだ。以後このようなことは決してしない」
ライナスはその事も深く反省し、前回とは異なり、挑発ではなく真に安堵して口元を緩めて微笑む。
ルーシアは少しの間、ぼぉーっとしていたが、すぐに調子を取り戻した。
「わっ、分かりました。それでは、二人で食事を楽しみましょう。ライナス様はこのような大衆食堂でお食事の経験は豊富なのですか?」
「いや。正直あまりない」
「では、注文は私にお任せ頂けますか?」
「……それはお願いしたいところだが……」
注文に関しては、彼女に任せることになんの不満もないのだが、それ以外に不満がある。
その事にルーシアも気づいたようで、
「どうかなさいましたか、ライナス様? もしかして、何か食べられないものがお有りですか?」
と心配してくれる。
「いや、それはない。ただ、先程提案したとおり、私のことは、『ライナス』と読んで欲しい。そして、そのような堅苦しい喋り方も不要だ」
ライナスがそう頼むと、ルーシアは微笑んだ。蕾が大輪の花を咲かせるかのような笑顔を向けてくれた。
「……わかったわ、ライナス。せっかく気軽に楽しめる店に来たのだもの。一緒に楽しみましょう」
「ああ。楽しみだ」
そして、ライナスとルーシアは二人で大衆食堂の気取らない料理とお酒を楽しんだのだった。




