12 葛葉と香住
木下の背中は意外にも快適だった。大きく揺れて気持ち悪くなることもなく、ゲートに向かって森の中を順調に駆けていた。
「ねぇ、木下くん。木下くんの能力ってどんな能力なの?」
「えっ、ああ。えっと、か、体を強くするんだよ」
耳を真っ赤にしてどもりながら木下が答える。だが未希には木下がなぜ耳を赤くしているのか理解できていない。
「すごーい、それってどうするの? スピットの制御でそんなことできるんだ」
「あ、ああ。筋肉っていうか、それに近いバネみたいに応用させるんだよ。細いスピットを足に螺旋状に絡ませて体の動きに合わせて伸縮させる。そうすると、普段の何倍ものスピードで動けるし、力が出せるんだ」
「へぇー、凄いじゃない。スピットってそんな細かな制御ができるんだ」
「いや、結構難しいんだぞ。か、かなり練習してできるようになった」
すると、上から幸子が現れた。
「木下くん、耳だけじゃなく顔まで真っ赤にして可愛いわね」
「うわっ、さっちん。いたの?」
「『いたの?』じゃないわよ。木下君のスピードについていくの大変なんだから」
幸子は自らの糸状のスピットを木の枝にくくりつけ、ターザンの様に木から木へ乗り移って移動していた。
「へぇ、さっちん器用だね」
「の、呑気なこと言わないで。私必死なんだから」
普段は幸子にマウントを取られがちな木下であったが、必死についてくる幸子を見て、今回は自分の方が有利な立場にいることに気が付いてしまった。
「へっ、山上。すまねえな。俺は先に行ってるぜ」
「えっ、あっ、ちょっと待っ……」
そう言って木下は得意げな笑みを浮かべながら、幸子をどんどんと引き離していった。
「わわわわわわ、木下くん。早い早いー。ちょっと怖いよ」
残念ながら未希の声は木下には届かなかった。自分が主役になれる、そんな体験をあまりしてこなかった木下は若干調子に乗っていた。また未希に褒められたことによって気持ちが舞い上がっていた。木下は未希の声を耳に入れることなく全速力で駆けて行った。
「見えたぞ。ゲートだ」
未希ににも見えた。森の向こうに見えるのは、最初この世界に来たときに見た建物だだった。だが、遠目で見てもその建物は原型を留めていなかった。煙のようなものがもくもくと上昇していくのが見えた。
「まずいな。何であんなことに。琥太郎はどうした」
「あそこに琥太郎くんがいるの?」
「ああ、琥太郎はあそこの番だからな」
「番って……でも琥太郎くん一人だけなの? 危なくない?」
「危なくないさ、あいつはああ見えてめっちゃ強い。御代で勝てる奴はそういない。一人で十分だ」
未希には意外だった。最初の印象は大人しそうな男の子というだけで、そのままその印象がくつがえることはなかったからだ。
「意外だなー。琥太郎くん強いんだ。木下くんよりも?」
「ば、馬鹿。俺が琥太郎なんかに、負けるはず……ないだろ」
『あっ、負けることあるんだ』と未希は思った。気を遣って顔には出さないよう配慮したつもりだったが、木下には伝わってしまった。
「い、一緒に訓練してて、一対一の結果がほぼ五分五分なんだ。それだけだよ」
「ふーん」
未希は必死で言い訳みたいに話す木下をちょっと可愛いと思った。
「着いたぜ」
目の前には散々な状況が広がっていた。建物は崩れ、その向こうにある離れも完全に崩壊していた。ところどころから火の手が上がり、火は崩れた瓦礫の中でまだ燻っていた。
「な、なにこれ。酷い……」
未希は煙に当てられ、手で口を押える。
「誰だ、こんなことしたのは。どうやって……」
周囲には人の気配はなく、建物は完全に崩されていたため、木下も何もしようがなかった。
何もすることがなく立ち尽くしていると、崩れた瓦礫の向こうから人が現れた。二人とも黒いローブを被っていた。未希にはそのローブに見覚えがあった。忘れもしない、学校で襲ってきた奴らが着ていたものと同じだった。そして、一人の女の顔には見覚えがった。
「あ、あなた。こないだの……」
すると、二人は頭のフードだけを後ろに下ろした。二人の顔が顕わになる。
「やっぱりてめえらか。このクズカスが!」
「えっ、木下君、知り合い?」
「ああ、一緒に訓練した元仲間だ」
未希が見覚えのないもう一人は背が高くて髪が短い。一瞬男に見えたが、よく見たら女だった。
「お前がやったのかクズ」
木下の問いに背の高い女が答えた。
「ああ、そうだ私がやった」
「ふざけるな! 何のために?! お前の能力はこれを燃やすために使ったのかよ」
「ああ、そうだ」
木下が悔しそうに拳を握りしめる。
「こないだも、佐久良をさらおうとしやがって。お前たちは何なんだよ!」
興奮した木下とは対照的に二人の女は冷静で、静かに木下と未希を見つめていた。
「木下くん、二人ともこないだ襲ってきた人たち?」
「ああ、そうだ。背の高いのが葛葉。火を使う。低いのが香住。あいつのスピットは誰よりも固い。二人ともかなりの使い手だ」
「葛葉と香住。ああ、だからクズカスなのか。口が悪いなーって思ってたんだけど違ったのね」
静かに立っていただけの二人が動き始めた。木下と未希は身構える。
「おい! それ以上近づくな。どういうつもりだ?」
木下が牽制するも、二人は意に介するなく近づいて来る。そして木下の間合いのギリギリ外の距離で立ち止まり、片膝をついた。
「主君、我が主君の未希様。先日はご無礼を致しました。緊急時とはいえ、乱暴な真似をしてしまいました。何卒お許しください」
「えっ? なに……?」
二人が急に未希に向って礼を示したため、未希は一歩後ろにたじろいだ。
「どういうこと? 何であなたたちはこんなことをしたの?」
片膝をついて下を向いたまま葛葉が答える。
「少し長いお話を聞いて頂かねばなりません。もしよければご足労頂けないでしょうか?」
「ふざけるな! 何でお前たちのところに行かないといけないんだよ。佐久良さん、危険だ。絶対に行ってはいけない」
木下は未希を庇うように一歩に出る。
「木下、邪魔をするな。後悔することになるぞ」
「なんでだよ! お前たちの言う通りにする訳ないだろ。この裏切り者が」
「裏切りとは心外だ。私たちは正しいことをやっている」
「どうやら、話は通じないみたいだな」
「それはお互い様だ」
木下がスピットを足に集中させた。葛葉と香住はその気配を僅かに感じた。二者の間に緊張が走る。
先に動いたのは木下だった。猛烈なスピードで足を二人を薙ぎ払った。が、読まれていたのか葛葉と香住は一歩下がってかわす。
「ちっ」
「先ほど一歩前に出て、こっそり自分の間合いに入ったつもりか? バレバレだぞ」
香住が木下を煽る。
「てめえら。二人で俺に勝てると思ってるのか? 思い出してみろ。お前たちが俺に勝ったことがあるか?」
木下が足を前に、腰を落として戦闘態勢に入る。
「ふん、そんな昔話をして。お前はじじいか」
葛葉は手を前に向けすかさず炎の塊を木下に飛ばした。猛スピードで木下に炎が迫って来る。
「木下くん、危ない!」
木下は足で炎を一蹴する。炎は散り散りになり、木下の周囲に舞い落ちる。
「おいクズ。何だ? このチンケな攻撃は」
その言葉を聞いて葛葉の口端が僅かに上がった。
「チンケなのはどっちだ」
「木下くん、上!」
木下が上を見ると、香住が自らの拳を振り下ろそうとする瞬間だった。




