89.月の輪亭の新人
月の輪亭の食堂には思いがけない人物がいた。
調理場には普段通り、主人のマーロックが入っている。しかしホールには普段見かける赤い髪をした看板娘の姿はなかった。
「いらっしゃいませ! ……あっ、スレイさんですかぁ」
ホールには学生エルフのクラリッサが居た。
魔法学院の制服ではなく、ジュリアと同じデザインの給仕服を着用している。
抜群ともいえるスタイルもあいまって似合ってはいたが、微妙に衣装のサイズが合っていない気がした。
「ですかぁってなんだよ。……クラリッサ、まさか退学して月の輪亭に就職したのか?」
「いいえ、学費を稼ぐ為のバイトです。魔法学院は意地でも辞めませんよぉ……実はジュリアさんの紹介で月の輪亭に住み込みで働かせて貰える事になりまして。……お隣の方は?」
「魔術剣士団のエリスです。どうも」
「……あっ、魔術剣士団の方でしたか。という事はエドガーさんの知り合いですね。私はクラリッサと言います。月の輪亭の第二の看板娘を目指しています」
目指すのは学院卒業ではないのかと思いつつ、スレイは黙ってエリスとクラリッサが挨拶をする様子を見ていた。
この二人は髪型の雰囲気がどことなく似ている。もっとも髪色はシルバーとサファイアで違うし、表情の明るさや耳の長さ、その他も違う部分はあった。
「クラリッサさん、パンケーキを四卓に持っていって」
「は~い! マーロックさん、今いきまーす! 少々お待ちを」
クラリッサは身を翻してカウンターに向かった。まだスレイたちのテーブルには水が置かれていない。
動きは身のこなしに長けたエルフらしく、一見軽快なように見えたが、ジュリアと比べて不慣れな為か、動作に無駄が多いように思えた。
「あっ!」
しばらく席でオーダーを取りにくるのを待っていると、叫び声と共にスプーンかフォークが地面に落ちる音が聞こえた。食器が割れる音ではなかったのは幸いかもしれない。
「……クラリッサの奴、先が思いやられそうだな。まあ、何事も慣れだとは思うが」
「そうですね。クラリッサさんは魔法学院の学生ですか。とすると、私の後輩に当たるのでしょうか」
「……そうなるのかな。確か三学年だったと思う。さっきの挨拶の様子からして面識はないんだろ」
スレイは先ほどの初対面のような自己紹介を思い出しながらエリスに聞いた。
「はい、初対面です。学年を考えると丁度入れ替わりだと思います。……苦学生ですか」
「去年までは特待生だったけど、打ち切られて大変だって言ってたな。……魔法学院って学費が馬鹿高いだろ」
「高いです。私は幸い特待生枠だったので、その点では苦労せずに済みましたが。……特待打ち切りと言っていましたが、クラリッサさんの魔術の認定ランクは?」
「Bランク認定だったかな。俺と同じだよ」
「そうですか。Bランク認定だと、打ち切られても仕方がない気がします。学生としては優秀ですが飛びぬけてもいませんから」
手厳しい意見だったがスレイもその意見に同意だった。こういう言い方は悪いが自分ですら独学でなんとか達成できたレベルである。クラリッサが魔術において、それなりの才能があるのは間違いないが、特待生の恩恵を受けるほどの天才ではない。
エリスは一〇歳から学院入りを果たし、Sランクまで魔術を修めた掛け値なしの天才である。彼女の目からしたら、打ち切りは妥当という事だろう。
そもそもクラリッサが特待生で居られたのは、教授の下心があったのではないかと聞いていた。
「でも、羨ましいですね」
「学費の工面が大変だろ。何が羨ましいんだ?」
「スタイルがです。看板娘としては有望だと思います。目の保養になりますね」
エリスはそう言い終えると、クラリッサを羨ましそうに眺めていた。
「ああ、そっちか。……どうも忙しそうだから、カウンターで水を貰ってくる。ちょっと待っててくれ」
スレイは忙しく動き回るクラリッサを見つつ、ゆっくりと席を立つと、マーロックの居る調理場の方へ向かっていった。
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