79.雨の中のフレデリカ
「ごきげんよう、スレイ。……あいにくの雨、といった処ですわね」
フレデリカは挨拶を終えると、深い溜息をついて、雨降り止まぬ曇天を見上げていた。
とても憂鬱そうな表情に見えたが、灰色の空と雨模様によく似合っているように思えた。
「一人で買い物か? 今日はクロエと一緒に居ないんだな」
「……常にクロエと一緒ではなくてよ。一人で買い物も出来ないように見えまして?」
「……いや、そんな事はないよ。ただ一緒に居なかったのを見るのは初めてだからな」
言い終えた後、二人は暫しのあいだ無言になった。強く降りしきる雨だけが周辺の音を支配している。
スレイは立ち止まったままフレデリカの様子を見た。余計な手荷物は持っていないようである。
「フレデリカお嬢様」
「……なんですの」
「この傘でよければ貸そうか?」
突然のスレイの提案に対し、フレデリカは少し迷った素振りを見せていた。
「スレイ。傘はそれ一つだけですの?」
「手持ちはこれだけかな」
「それならば遠慮しておきますわ。……何処かに用があるのでしょう。わたくしにお構いにならないで」
「いや、だったら今からもう一つ作ればいいさ。……俺の師匠が言っていたよ。変成術は万能の力だって」
スレイは手に持っていた傘をフレデリカに渡すと、空いた両手を広げた。
『接続』
亜空間部屋から、以前に使っていた予備の外套を引っ張り出して、右手に包むようにして構える。
左手には数十枚の銅貨を財布から取り出して、手のひらに乗せた。
「変成術。外套・青銅──雨傘」
変成術の発動後、しばらくすると青銅の貨幣は傘骨に、古い外套は傘生地へと姿を変えていた。
「……よし。見た目は傘っぽくなったかな」
スレイは変成術によって完成させた傘を、屋根の外に突き出して防水具合を確かめた。
傘生地の元となっているのは、防水がある程度効いた外套である。どれくらい持つかは不明だが、すぐに駄目になる事はなさそうだった。
「スレイは発想が豊かですこと。……いえ、わたくしが杓子定規なだけかしら」
呆れているのか感心しているのか、フレデリカは何とも言えない表情を浮かべた。
「今日はいつもの傘は持っていなかったのかよ。普段は晴れてる日でも傘を差していたのにな」
「……あれは日傘ですわ。もう必要な季節ではなくてよ」
フレデリカは続けて言葉を紡ぐ。
「スレイ、ありがとう」
フレデリカは憂鬱そうな表情を崩し、しおらしい様子を見せた。
「……礼はいらないさ。その傘はフレデリカお嬢様に貸しておくよ。今度会ったときにでも返してくれ。それじゃあ」
スレイは別れの挨拶を告げると、新しく作った傘で雨の中を再び歩き出そうとした。
「……スレイ」
「ん?」
「錬金術師のお仕事はどうですの」
「……ああ、停滞してたが、ようやく二つ目の依頼が終わりそうなんだ。今から品を届けに行く処だよ。……こんな体たらくにがっかりしたかな」
「いいえ、貴方の活躍を錬金術協会で聞きましたわ。……ルーンマウンテンで良質な魔素の源泉を発見したと」
「……ああ、あれは本当に偶然だったんだ。自分の功績と言われると少し違うなって思ってる」
あの源泉の発見が錬金術師としての功績だといった感覚はなかった。
発見に至った経緯が、あまりにも偶発的な要素が重なったというのが大きいかもしれない。
「……先ほどの亜空間制御の魔術。便利そうですわね」
「ああ、それについては随分と助かっているな。……魔術と変成術、両方習得している錬金術師も結構いるみたいだぜ。幹部のアルバートさんもそうみたいだし」
「……わたくしも、出来ればそうしたかったですわ」
スレイの言葉に対し、フレデリカは囁くような声で呟いた。
「四大公爵、流水と氷雪を司りしノースフィールド家。……でも、わたくしには魔術の才能がなかった。……生まれ持った魔力があまりにも低すぎましたの」
今度は、はっきりとした声だったが、少し震えているようにも聞こえた。
フレデリカはさらに言葉を紡ぐ。
「スレイは以前、冒険者パーティーで持たざる者だったと言ってましたわね」
「ああ、そう言ったかもしれない」
「わたくしも、家ではそう言われてきましたの。……いえ、貴方と同じというつもりはありませんわ。スレイなんかは、きっと不当な評価をされていたのでしょう。……魔術を重んじる公爵家では、わたくしは本当に駄目で、本当に暗い幼少期を過ごしてきましたわ」
溜息をつくフレデリカの表情が少し暗く見えた。
それはスレイの『爆ぜる疾風』に所属していた頃と同じく、思い出したくないトラウマがあるのかもしれない。
「フレデリカお嬢様」
「御構いなく。暗い事ばかりではないですわ。もしわたくしに兄様や姉様のような魔術の才能があれば、きっと錬金術師の道を歩む事もなかった。……その点は感謝しなくてはいけませんわね」
変成術は、魔術や神聖術と比較して魔力の大小の影響が少ない術式である。
彼女はそれに才能を見出して、変成術の能力を磨いてきたのだろう。
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