68.爆ぜる疾風その後4-後編<サンドラ視点>
(……光の翼……これはまるで)
最高聖女を目にした感想は、まるで天使のようだと思った。
聖女という存在は人間とは異なる生物であるという事を以前から漠然と思っていたことがある。見目の美しさ、老化の無さ、聖痕の発現に伴う神聖術の絶大な効力。
ただ、ここまではっきりした人間との差異を目にした事は今までなかった。
四枚の光輝く翼。あれはもう、人間とははっきりと異なる特徴としか言いようがない。
最高聖女とは人間とは違う神性生物なのか、それとも聖女自体が少なからずそうなのか。新たな情報が視覚に飛び込んで来たサンドラは、しばらく思考を巡らせていたが、やがて畏れ多い事だと思い考えないように努めた。
「奴ら三名がそうか」
「はい。聖騎士レイモンドと聖女エリアの……」
最高聖女が口を開くと、大聖女ベアトリーチェが頷きつつ応答していた。
これからとんでもない事が起きようとしている気がしてならなかった。
「グレゴリー。立ちなさい」
ベアトリーチェがグレゴリーの名を呼ぶ。
「俺……?」
「いいから立て」
カルロに槍を突きつけられると、グレゴリーは恐る恐る立ち上がり、覚束ない足取りで最高聖女の元に向かった。
最高聖女の目の前に来ると、畏怖を覚えたのかグレゴリーは小刻みに震えだした。
「あ、ああ……まて、俺をどうするつもりだ!?」
グレゴリーの問いかけを最高聖女は無視すると、手を伸ばして頭を掴んだ。
「おい……何を、ぐぅ!」
頭を掴まれたグレゴリーが苦痛を感じたのか呻きだした。十数秒ほど、その体勢が続く。
「……聖騎士殺害隠蔽。そして聖女強姦の企て」
「なっ……まて、俺はそんな事は……」
狼狽するグレゴリーとは対照的に、最高聖女は妖しげな笑みを浮かべた。
「ミリア。カーラ。ナタリー。グレース……はて、何人居るのやら」
「なっ……!?」
「……貴様が手籠めにしてきた人間の女だ。忘れたのか?」
「……ま、待てよ。それは昔の事だろ!? それに聖王国とは一切関係ないだろうが!」
「黙れ」
グレゴリーの申し開きを跳ねのけて、最高聖女は冷徹な視線を送っていた。
(……まさか、今のは無理矢理、記憶を読み取っていたのでしょうか)
そうとしか思えなかった。そしてその行為は脳に負荷がかかっているようである。グレゴリーは頭を抑え苦痛で喘いでいた。
それを見たサンドラは小刻みに震えだした。聖王国には嘘を見抜く魔法道具があると噂されている。
だが、サンドラはその実物を一度も見た事がなかった。もしかすると、それは最高聖女が担っている事ではないだろうか。
グレゴリーの心証は最悪のようである。おそらくは聖騎士殺しよりも聖女に手出しをしようとした事が最高聖女にとっては最も悪い事なのかもしれない。
これからグレゴリーはどうなるのだろうか。サンドラは渇く喉を気にしながら、じっと待っていた。
「……こやつは聖王国の情報を知り過ぎている。盗賊か。生かしてはおけぬ。極刑に処す」
最高聖女がそう呟くと、ゆっくりとグレゴリーの身体が宙を浮かび始めた。四メートルくらいの高さで止まる。
ヴァレンティノもカルロも無言のままそれを見ている。やはり、この二人はこれを目にするのは初めてではないのだ。この中でサンドラだけが震えていた。
人の生き死にを目にした事は何度もあるし、自らが戦いにおいて関わったこともないわけではない。
だが、このような圧倒的な存在が、圧倒的な圧を持って、圧倒的にそれを成すのを目にした事がなかっただけだった。
そして、最高聖女の四枚の翼が大きく展開されると同時に、おびただしい光の束が一斉に放たれるのが僅かに見えた。
突然目の前が真っ暗になる。どうやら横に居たヴァレンティノが手で視界を覆ってくれたらしい。
「うぐうううぅ!」
絶叫と共に、何かが地面に崩れ去る音がした。
何も見えないが、先ほどまで浮かんでいたグレゴリーが落下したのだろう。びちゃっという気色の悪い音だけが嫌な想像を掻き立てた。
血の匂い、そして何かが焼け焦げたような臭いがする。
「お……おい、グレゴリー……ああ、ああ、やめろ僕は死にたくない!」
「グレゴリー、安らかに眠れ。……俺様もすぐに逝く」
絶叫するローランドと、神妙なガンテツの声が聞こえた。
きっとグレゴリーは、もう見れたものではなくなっているのだろう。
「ガンテツ。立ちなさい」
続いてベアトリーチェによってガンテツが呼び出される声。
ヴァレンティノに視界は覆われたままだったが、相変わらず血と焦げた匂いが漂ったままである。
サンドラは今すぐにでも嘔吐して胃の中のものを出したい気分だった。
「……なるほど。コイツは保留としておこう。事によっては使えるかもしれん」
数十秒の後、最高聖女はこういった。
どうやらガンテツはこの場で処刑という事はなくなったようである。気分を害する情報がなかったという事かもしれない。
使えるという事は聖王国で再教育でもするつもりなのだろうか。
「ローランド。立ちなさい」
「……いやだ! 死にたくない! 頼む、何でもするから許してくれ!」
「いいから立てよ。突き殺すぞ」
往生際悪く喚くローランドに対し、カルロのうんざりしたような声が聞こえた。
そして、ローランドが悲鳴を上げる中、六〇秒くらい後に、最高聖女は言葉を紡ぎ始めた。
「……醜いな。こやつは情報量が多すぎる。……スレイという男は何者だ?」
「へ……ああ、ああ、スレイの奴がエリアを奪い去ったんだ。だから僕はね」
「貴様には聞いていない」
「……痛っ! あ、足がッ……!」
ローランドの悲鳴と共に崩れ落ちる音が聞こえた。何かで足を撃ち抜かれたのかもしれない。
「スレイは大灰色狼を従える錬金術師です。聖女エリアを救い出したのも彼かと。優秀な人材なので声をかけてみましたが、断られました」
ヴァレンティノが最高聖女に答えた。
「それはこやつの記憶の中で見た。……どうしてこのような人間風情に、聖女エリアが恋慕している」
「……それは、ぼくには分かりかねますが」
「聖騎士ヴァレンティノ。術師サンドラ。どうして聖女エリアを連れて帰らなかった」
突然振られた最高聖女の言葉に対し、サンドラは何も答えが思いつかなかった。どうして連れて帰らなかったのだろうか混乱した頭で考えてみる。
そういった状況ではなかった事は覚えている。聖女エリアはスレイが連れて来た大灰色狼を頼りにしていた。だが、それを素直に口にしていいのか。回答を間違えればグレゴリーのように殺されるのではないか。
「ぼくの指示ですよ、最高聖女様。連れ帰るのは不可能だった。エリア様にその意思がなかった事と、賢者ヘンリーや野薔薇ローザといった名うての護衛が居ましたから。引き渡しに協力して貰っている立場で敵対するのは得策ではなかった」
ヴァレンティノは饒舌だった。あらかじめ問いかけを予想し、用意していたのかもしれない。
そして暫しの沈黙。サンドラはヴァレンティノに塞がれた暗い視界の中、息を殺して最高聖女が言葉を紡ぐのを待った。
この配慮には助けられている。この場で最高聖女を目視していたら、緊張から嘔吐して粗相をしたかもしれない。サンドラはいざという時は死者甦生を行使するといったベアトリーチェの言葉を思い出していた。
「なるほど。……ならば聖女エリアの件は、これからどうにかするがいい」
最高聖女は一拍置き、さらに続ける。
「よく覚えておけ。聖女は全て聖女神の使いである。人けら風情には過ぎたるものだ」




