約束
「お考え直し下さいますように」
北軍に残り、軍対出場剣士に稽古を付けるように、とヘルセスに命令された護衛の長は厳しい口調で猛反対した。
鬼神をびびらせる気迫の人。 名はキア・ノボトニー。 隙が全く見えない身のこなしから相当な剣士である事が窺える。
年の頃四十半ば? 若く見えるだけで、もっと年なのかもしれない。 ヘルセスの護衛として北軍に来る前は、なんとヘルセス軍の参謀総長をしていた人なんだって。
道理で師範がこの人を見た時だけものすごく鋭い視線を投げていた。 他の護衛はちらっと見て通り過ぎたのに。
ヘルセスがお出迎えに行くと知ると、ノボトニーは自分も同行すると言い張った。 因みに彼の上官というか、上司はヘルセス公爵であって継嗣のレイではない。 まあ、そうでもなければ上官の命令に反対するなどあり得ないけど。
「公爵閣下には我が命をかけて次代様をお守りする事を誓約致しました。 お側におらず、一体どうやってその誓約を果たせとおっしゃる? しかもその理由が軍対抗戦! 近衛と北、どちらが勝とうとどうでもよいではございませんか」
「お出迎えには北軍百剣のほとんどが同道するのだぞ。 我が身の何を心配する事がある」
「ほう。 では、そのお役目の最中何事も起こらないという保証でもあるとおっしゃる? 次代様と王女様のどちらかしか守れない事態に陥った場合、百剣は次代様の方をお守り下さるとでも?」
二人共無言で睨み合った。 視線を見る限りどちらも譲る気があるようには見えない。 俺にとって軍対での勝利は大事だけど、ノボトニーが軍対よりヘルセスの身の安全を優先する気持ちは分かる。 ヘルセスの護衛なんだから当然と言えば当然だ。
だけどノボトニー以外の護衛じゃ出場選手の稽古相手にはなっても師範の代わりにはなれないだろう。 なんとか折り合いを付けてもらわなきゃ。 それで俺は恐る恐るノボトニーに言ってみた。
「えーっと。 俺の弓はヘルセスを守るのに使うと約束しても、だめかな?」
部屋にいたヘルセス、ノボトニー、師範の三人が同時に驚きの視線で俺を見つめた。
「王女様には師範と百剣が付いている。 俺がいなくても大丈夫。 もし何かが起こったら俺はヘルセスを守る事を優先すると約束するよ」
皆あっけにとられた顔をしていたが、真っ先に我に返ったヘルセスがノボトニーに向かって言った。
「六頭殺しの若の弓なれば一弓当千。 よもや不満はあるまいな?」
その言葉にノボトニーが渋い顔を見せ、俺に聞いてきた。
「北軍兵士として王女様お出迎えの任務に命ぜられたのに部下の安全を優先するなど。 そのような約束が出来るものですか?」
「出来る。 上官が部下を守る事に問題はない」
「それでしたらあなたの部下は他に五人いると聞いておりますが」
「あの五人はどれも俺よりしたたかだ。 あいつらに守られる事はあっても俺が守ってやらなきゃいけない場面なんてない。 今回だけじゃなく、たぶんこれからもない」
これってきっぱり言い切っていいのかな? まるで自分は部下より弱い、と堂々と言ってるみたい。 でも戦いになったら仮に負け戦だったとしても、あいつらは何とか自分で自分の生き残る道を見つけられるような気がする。 安心して死ねるという言い方は変だけど。 俺がいなくともきっと大丈夫。
「それ程の御信頼、さぞかし強者揃いなのでございましょう。 それは重畳。 さりながらヘルセス軍にとって、即ち私にとって軍対抗戦の勝敗などに少しも関心がない事に変わりはございません」
そこで師範がノボトニーに向かって言った。
「己の剣が皇国軍の兵士と比べてどれ程のものか、知りたくはないのか?」
「皇国軍の剣の程度など比べるまでもなく知っております」
「では俺と手合わせしてみるか? 俺に勝てばお前達を皇国軍兵士の剣のじゃれあいに引きずり込まん。 だが負ければ稽古相手となる事を承知してもらう、でどうだ?」
師範の挑戦にノボトニーが無言で睨み返した。 ばしばしっと火花が散る。
こ、こえーっ。 火花でまつげが焦げそう!
その前にすたこら部屋から逃げ出したかったが、この状況でさすがにそんな真似は出来ない。
「すると私が勝った場合、お出迎えへ同行するという事でよろしいですな?」
ノボトニーの問いにヘルセスが頷く。
師範の挑発に乗った、と言っていいかどうか分からないが、こうしてノボトニーと師範の手合わせが決まった。
試合は翌日。 あの部屋にいたのは正真正銘俺達四人だけ。 俺は誰にも何も言ってないし、他の三人も誰かに言いふらしたとは思えない。 なのにどこからこの試合の事を聞きつけたのか、広い道場は押すな押すなの騒ぎになっていた。 一体みんなどうして分かったの?
それはともかく、審判はポクソン中隊長が務めた。 軍対抗戦の時使う刃を潰した鋼の剣で三本勝負の対戦だ。
がしーーーん!
試合開始と共に見た事も無い大きさの火花が宙に飛び散る。 息継ぐ間もない。 二振りの剣が次々と生み出す火花が狂ったように踊り、舞い、散って行く。
俺は喚声を上げる事も忘れ、見入っていた。 信じられない速さで剣が繰り出されては受け止められ、返される。 ひゅんひゅんと唸りをあげる剣。 師範の猛攻は容赦ない。 それを真っ向から受けて返すノボトニー。
だけど徐々にノボトニーは守りに追いやられて行った。 しばらく激しい攻防が続いた後、がいん、という鈍い音が響き、師範の渾身の一撃がノボトニーの胴に決まった!
がくっと片足を折り、ノボトニーが膝をつく。
「一本! タケオ中隊長!!」
ポクソン中隊長の審判が道場に響き渡ると同時に大きなため息が周囲から漏れた。 手に汗を握る熱戦で誰もが喜びの声を上げる事さえ忘れている。
次の勝負がすぐに始まったが、それはいくらも経たずに小手に決まった。 おそらく先の胴への一撃が相当効いていてノボトニーは回復していなかったんだろう。
「一本! 勝者、タケオ中隊長!」
ポクソン中隊長の審判が下ると今度は道場を揺るがす大歓声が湧き上がった。
防具を外した師範は滝の様な汗を流している。 下の道着がぐっしょり濡れ、色が変わっているのが見えた。 ノボトニーも同じだ。
ヘルセスがノボトニーに近寄って何事かを囁いた。 それにノボトニーが苦笑いで応える。
ノボトニーが本当に納得してくれたのかどうか分からない。 勝つ自信があったから師範の挑戦を受けたんだろうし。 でも約束は約束だ。
こうして北軍は師範代が務められる人を確保する事に成功した。




