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弓と剣  作者: 淳A
公爵家継嗣
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疑問  ヘルセスの話

 小隊会議が終わると同時にサダ以外の兵は夫々の持ち場へ行く。 さっと退室し、公爵家継嗣である私に話しかけて来る者はいない。

 下々の事情に詳しくはない私だが、第八十八隊に所属する兵士達はどこか普通とは言い難く、それを意外に思う事はなかった。 しかし会議室の外で私に話しかけようと待ち構える者が一人もいない事には少々驚いている。 侍従が追い払っている訳ではない。 そういった事があれば誰を追い払ったかについての報告があるはずだ。


 会議だけではない。 私の日常は予定が詰まっているとは言え、朝、弓の稽古をしており、その前後に休憩も挟んでいる。 的場だけでも相当数の北軍兵士が同じように稽古しているし、それ以外にも一般兵と共に行動する事もある。 話し掛けようと思えば掛ける機会などいくらでもあるのに、私が現れればちらっとこちらを見るだけだ。

 休憩している者もそちらこちらに見掛ける。 だがその休憩を中断して私に話しかけようとする者はいないし、それは私が休憩中であろうと変わらない。 平民軍の兵に遠慮も礼儀もあるまいと予想していただけに呼ばれなければ来ないという態度は意外だった。

 但し、北軍兵は礼儀正しいかと問われれば、そうは見えない。 サダへ話しかけると言うか、声をかける兵士なら数えきれないほどいる。 それどころか平の兵卒の分際で階級が上であるサダの背中をばんばん叩くという無礼を働く者さえいた。 サダは全く平気な顔をしているが。 いや、撫でられる時は嫌そうな顔をしていたか。


 最初は私の邪魔をせぬよう北軍中に将軍が通達を出したのかとも思ったが、私に関する通達や指示の類は上官の誰からも出ていないという。 これは以前から北軍に入隊しているヘルセスの息のかかった兵士の報告だから確かだ。

 因みに情報収集のための兵士は北軍に限らず、皇国全軍に送り込んでいる。 どの軍にどういう動きがあるのか正確に把握しておくのは当然の事。 他家の貴族軍にも戦略的に重要な所には全て何人か配置している。 もっともそれは公侯爵なら誰でもやっている事で、ヘルセス公爵家だけがやっている事ではないが。


 平民なら公爵を恐れる気持ちは分からないでもない。 けれどいくら平民軍と呼ばれる北軍でも貴族の子弟は相当数いる。 貴族の縁続きの者まで含めるなら二、三千はゆうに越えるだろう。 そのほとんどが第一駐屯地所属だ。

 伯爵以下の貴族にとって上級貴族と親しくなるのは滅多にない機会。 次代の公爵である私に近づこうと画策すると予想していたのだが。 以前からヘルセスと関係があった貴族を除けば接触らしい接触は全くない。 何故これ程までに無関心なのか?

 私は今まで常に衆目環視の中で暮らしていた。 見つめられ、目で追われる事には慣れている。 けれどここに来て初めて自分を追う視線がないという経験をする事になった。 ただ無関心という言い方は正しくない。 関心はあるのだろう。 何故なら私がそこにいる事を把握している。 そして故意に避けているのだ。


「近うよれ」と声をかけるのは私にとって下々の者に与える恩恵で、願いがあれば聞いてやろうという意思表示だ。 ここではその許しを与えたというのに誰も側に寄ってこようとしない。

 私は公爵家継嗣として諸外国の異なった風習、挨拶、しきたりを学んでいる。 所変われば敬意を表すやり方次第で無礼となる事も承知しているが、北軍は国内。 いくら新兵としての入隊とは言え私の爵位が無効になった訳ではない。 慣習も言葉も何ら変わらないにも拘らず、この敬遠は何故か? まるで言葉の通じぬ外国を訪れたかのような。

 皮肉な事に実際言葉の通じぬ外国を訪問した時には丁寧なもてなしを受け、このような敬遠は経験しなかった。 もっとも外国では言葉が通じないとは言え通訳がついているし、仕事で予定された面会をこなしているのだ。 敬遠されなくても当然だが。


 次代の公爵となる事が決まっていると予定されている面会以外にも、お伺いという名の陳情をしたい者が列をなす。 侍従を通じ、このような陳情をしてもよろしいでしょうか、という事前の打診はあるが、それでも会いきれぬ程の面会が申し込まれる。 予定に入れてもらえなかった者達は、もしかしたら移動の途中にお声がかからぬものでもないと期待するのだろう。 様々な場所で辛抱強く私が来るのを待っている者が必ずいた。

 万が一にも直訴などの暴挙に出ぬように、との配慮で護衛が付いている。 向こうから声を掛ける事は出来ないが、私の方から気が向いて声を掛ける事がないでもない。 勿論誰でも声を掛けられた事を非常に喜んだ。 たとえ私が望みを叶えてあげられなかった場合でも。


 言葉も通じぬ外国の宮廷の方が北軍より余程分かりやすく馴染めた。 とは言え、私がここに馴染む必要など少しもないのだが。 私が入隊した理由など将軍を始めとする上級将校には既にお見通しだろう。 別に読まれて困る理由でもない。 ヘルセス軍は数ある公爵家の軍の中で、かろうじて最小ではないが最大でもない事は周知の事実。 今更隠すまでもない事だ。

 どこも軍備には金をかけているし、ヘルセス家も例外ではない。 それを惜しんでは秩序が乱れ、他に侮られる原因となるから当然だ。 しかし皇王室への遠慮がある。 無闇な軍備の拡張は世間の耳目を集め、痛くない腹を探られる事にもなるから金をかければ良いというものではない。

 それでなくとも所持する兵数は限られ、皇王陛下直轄の諜報機関に監視されているのだ。 数を頼まぬ精鋭部隊を維持するため、どこの公爵家も知恵を絞る。


 優秀な兵を集めるのに金のかからぬ餌もある。 その一つは名の知れた英雄が自軍にいるという事。 幸い実妹が六頭殺しの若の実兄と結婚した。 サダが入隊すれば彼を慕ってヘルセス軍へ入隊を希望する者が増えるだろう。 姻戚関係があるのだから陛下に対しても充分申し訳が立つ。

 英雄に相応しい厚遇で迎えられるのはサダにとっても悪い話ではないはず。 結婚式が終わり次第、サダの方からヘルセス軍に入隊したいと言って来ると思っていた。 ところがサダに移籍の意志はないという。

 父がサダの実父から聞いた所によると北の猛虎に憧れて北軍に入隊したので他に移る気はないとの事。 それなら北の猛虎ごとヘルセス軍に呼び寄せれば良い。

 英雄と呼ばれる程の兵士を皇国軍から引き抜くのは陛下の御勘気に触れる気遣いがあるから堂々とやれる事ではないが、私には年頃の従兄妹が幾人かいる。 その内の誰かを娶らせ、姻戚関係が出来てしまえば公爵邸内に住まわせる事など簡単だ。

 名目上タケオは相談役とし、サダを参謀総長に据える。 弓と剣が君臨するヘルセス公爵軍に歯向かう者はまずおるまい。


 父上は陛下の御不興を買う恐れがあるという理由で軍事力増強に興味をお示しにならないが、私とて露骨な軍拡などやるつもりはない。 やり様はいくらでもある。 そもそも何もせず、このままでどうしようというのだ?

 名門とは言えヘルセス領内には名だたる産物がある訳でもない。 公爵と言えば聞こえは良いが、領地も軍事力もあるだけに中下級貴族とは比べ物にならない程厳しく監視されている。 陛下の御機嫌を常に窺い、びくびく生きているのが現状だ。

 以前カイザー公爵家継嗣が謀反を企てているという噂を聞いた事があった。 程なく本人が死亡し、噂で終わったが。 公爵家継嗣ともなれば野望の一つもあって当然と思う。 せっかく持って生まれた地位と権力。 使わずして何のために生きている? 侍従に本日の予定を告げられ、諾々とこなすためだけに何十年も生きる必要があるのか?


 私にとっては煩わしいだけの爵位だが、他人にとっては価値がある。 特に下級貴族や将来貴族軍に入隊したい剣士にとっては継嗣である私の推挙は金や宝石より尊い。 だから私が北軍に来ればすぐさまタケオの方から接触を図るはずと予想していたのだが。 それはものの見事に外れた。 何故か?

 公爵軍は兵士の数こそ少ないが、北軍と比較するなら平の兵士にさえ給金は二倍出している。 小隊長、中隊長となれば三倍、四倍と跳ね上がり、将軍位にあたる参謀総長には北軍将軍の十倍の給金を払っているのに。 平民とはいえ中隊長に昇進したのだ。 それくらいタケオとて知らぬはずはない。

 そもそも皇国軍にとりあえず入隊し、鍛えて名をあげ傭兵になり、そこで知られるようになって、いずれは公爵軍に入隊するというのが多くの兵士の夢。 大半の者にとってそれは叶わぬ夢で終わるが、私に願えばそれを叶えてあげるなど容易な事。 将来の軍の指揮権と持参金付きの妻がなくてさえ私に近づく充分な理由があるというのに。


 タケオが貴族嫌いであるという噂は聞いていた。 他の公爵軍からの誘いを断ったのもそれが理由なのだとか。 しかし自らが貴族ではないから嫌うのだろう? 貴族の妻を娶り、自らも貴族になってしまえば何の問題もないではないか。

 サダが、私は新兵だの階級がどうのと言っていたが。 そのような下らぬ理由が原因で避けられているのではないはず。

 では何故北の猛虎まで他の北軍兵士のように私を敬遠しているのか?


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