天罰
レイ・ヘルセスにはさすがは公爵家継嗣と感心したくなるような独特の雰囲気が漂っている。 何しろ着ている物からして一目で高級品と分かる代物だ。 色もデザインも他の新兵の軍服と全く同じなのに、布と仕立てが違えばこうも仕上がりに差が出るもの? 隣に立って見比べるとモンドー将軍から戴いた俺の軍服が安物に見える。 俺の軍服だって明らかに上物と分かる手触りだが。
ただあの雰囲気は服だけのおかげじゃない。 もし俺がヘルセスの軍服を借りて着たら、お、高級な服だ、と服に感心されて終わりだろう。 だけどヘルセスにはその服を着て当然と人に思わせる威厳があるんだ。
顔がいいから? まあ、整った顔立ちだと思う。 でも美男か、と聞かれると。 うーん、どうだろね。 振り返られる程じゃない。
平民だらけの北軍で、と意外に思われるかもしれないが、ここには俳優顔負けの美男が結構いる。 百剣とか皆きりっとした男らしい顔で女に騒がれているし。 五人しかいない俺の部下でさえみんな男前で明らかに女性からとしか思えない贈り物をよくもらったりしている。
ヘルセスにそういう人気はなさそう。 近寄り難い雰囲気だし。 怖いと言ってもいいくらい。 顔に微かな微笑みを貼り付けているので、きつい印象をちょっと柔くしているけど。
「貼り付けている」と言ったのは目が少しも笑っていないから。 能面みたい。
それで俺の故郷からちょっと離れた所にあるオエルキ村の祭りを思い出した。 その祭りには奉納舞があり、舞人は笑い顔のお面を付けて踊る。 ヘルセスの顔って、そのお面に似ているかも。
生きている能面と言うか。 だから怖いと思うのかな。 どこか不自然なんだ。
とは言え、サガ兄上の義兄。 つまり俺にとっても義兄だ。 それでなくても次代の公爵閣下だし、いくら新兵としての入隊だって全く新兵扱いする訳にはいかない。 だから俺の隊に入れられたんだろう。 自分の身内ぐらい自分で面倒見ろ、て感じで。
これ程高位の貴族は他の隊じゃ持て余すだろうし。 俺が知る限り、北軍には今まで公爵の縁続きさえ一人もいなかった。 侯爵家継嗣や伯爵家継嗣だっていない。 次代の公爵自ら入隊だなんて。 北軍史上初めてなんじゃないのかな。
よくよく考えてみれば近衛軍だって公爵家継嗣が入隊する事は滅多にないだろう。 父上からサハラン将軍は例外と聞いた事がある。 最初から将軍となる事が期待されての入隊だったから実現した事らしい。
なぜなら貴族は大なり小なり自前の軍隊を持っている。 公爵ともなれば確か数千人規模の。 だから近衛東西南北どこであろうと新兵として入る理由なんかないんだ。
もちろんどこの皇国軍にも上級貴族が入隊しているが、なにも継嗣を送り込まなくたっていい。 沢山いる庶子の誰かが入隊するんだ。 ヘルセス公爵に庶子はいないと聞いているけど、親戚はいるだろ。 甥とか弟の庶子とか。 だから俺もてっきり親戚の誰かが入隊しに来たと思ったんだ。 それならあり得るから。
それに継嗣とは言ってもレイ義兄上が公爵位を継ぐ事は決まっている。 ヘルセス公爵に正嫡子は三人しかいなくて、第一子のサイ様と第三子で俺の義姉上であるライ様はどちらも他家へ嫁いだ。 もしレイ義兄上に何かあったらすごく面倒な事になるだろう。 貴族だと養子は簡単にお許しが貰えなかったりするから。
じゃあ、なぜ北軍に来たの? 見学かなんか? 俺みたいに北の猛虎に憧れて、とか? それとも体験入隊より観光が目的? 実は二週間で帰る予定だったりして。
理由は分からないが、兵士として退役まで務めるはずはない。 それだけは確かだ。 爵位を継いだら本邸と皇都のどちらかにいないと。 北で雪に閉じ込められて陛下に新年の御挨拶が出来なかった、なんて事になったらすごくすごくまずい。
たとえ短い期間だろうと一緒に任務を果たす仲間だ。 同じ部隊のみんなに紹介しなくちゃな。 今日はいつもの小隊会議の日じゃないが、こういう事は早い方がいい。 それで臨時小隊会議を招集した。 俺はリッテル軍曹とマッギニス上級兵がどこにいるのか知らないが、フロロバがすぐ彼らを見つけてきてくれるので助かっている。
会議ではヘルセスにまず自己紹介をさせた。
「ヘルセス公爵家継嗣レイである。 良きにはからえ」
そう言っただけで席に着いた。 随分短いですね、と言いそうになったが、止めておいた。 公爵家継嗣ともなれば、こんなもんかも。 俺の事なんか何も言わなくたってもう知っているだろ、て感じ?
だけどせっかくみんなを呼んだのに。 こんなにすぐ終わっちゃうとは予想していなかったから内心焦った。 仕方がない。 続いて他の隊員達に自己紹介させた。
最初にリッテル軍曹。
「ガス・リッテル軍曹だ。 ふうん。 公爵家継嗣ねえ。 ま、公爵だか子爵だか知らんが、新兵は新兵だ。
いいか、新兵というのはな、お前の家で言えば新入りの下男だ。 俺には新入りの下男の気持ちも、どう振る舞っていいのかも分からん、とか甘えた事言ってんじゃねえぞ。 分からなければ聞け。 だが俺にじゃない。 俺は言うなればお前の家の執事って立場だ。 下男ごときが直接口をきいて煩わせてもいい人間じゃないんだからな。 聞きたけりゃマッギニスに質問しろ。 上級貴族同士だ。 よろしくやれ」
俺は思わず、ひえーっと心の中で絶叫した。 一体この暴言をどうフォローしろと?
そりゃリッテル軍曹が公爵家継嗣にびびるとは思っていなかったが、これじゃびびらなさ過ぎだろ。
俺だって爵位を気にした事はない。 そんなものを気にしたって弓がうまくなる訳でもないし。 とは言っても公爵領は下手な小国よりでかい。 伯爵領なんかとは比べものにならないくらい。
俺はヘルセス公爵領に行った事はないし、広けりゃいいってもんでもないだろうけど、公爵ともなれば金も権威も影響力もある。 気に入らないという理由で下っ端の首を飛ばす事くらい、やろうと思えば簡単に出来るくらいの。 いや、理由なんて何もなくたって。 いくら北軍は皇王陛下直属で、公爵家の私兵じゃないとは言ってもさ。 将軍だって公爵家継嗣に文句を言われたら無視出来ないだろう。
その御方を掴まえて下男呼ばわり。
慌てて、質問があったら何でも俺に聞いてくれ、と言って誤魔化そうとしたが、俺じゃ聞かれたって何も答えられないという事に気付いた。 咄嗟に視線でマッギニス上級兵に縋る。 侯爵家次男のマッギニス上級兵なら何とかこの事態を収拾してくれるはず。 俺の儚い希望はこんな風に打ち砕かれた。
「オキ・マッギニス上級兵は私だが、聞くべき価値ありとの確信がない限り質問などという時間の無駄はせぬ事を推奨する」
俺ってほんと、学習能力ないよな。 縋った所で何かしてくれる人(外)か? この言い方じゃ平民の兵士に向けて言った最初の自己紹介の言葉よりきついんじゃないの? まさかヘルセス家に恨みでもあるとか?
俺はがっくり肩を落とした。 こうなったら他の奴らの常識に縋るしかない。 マッギニス上級兵の隣に座っているのはリスメイヤー。 どんな時にもクールな男だ。 彼ならまともな自己紹介してくれるはず。 そんな甘い事を考えていた俺はすぐさま厳しい現実に直面した。
「ケマ・リスメイヤーだ。 薬師をしている。 毒薬が欲しいなら相談に乗るよ」
ぎゃーっ!
「ルア・メイレ、医者です。 死期が分かるので知りたければ診察料は三割引にしてあげます。 同じ隊になった誼ですし」
ひえーっ!
「パイ・フロロバと申します。 金庫の鍵をなくしても俺が開けてあげますよ。 無料で。 御安心下さい」
やーめーてーっ!!
目の前が真っ暗になったような気がした。 そりゃこいつらがちょっと変わっているという事くらい先刻承知さ。 でもこれはないよな? 公爵家継嗣と聞いてびびるふりをするくらい誰にだって出来ると思い込んだ俺が悪いのか?
だけどマッギニス上級兵以外は全員平民出身なんだぜ。 それに俺は本心からびびれと言ってる訳じゃない。 びびるふり、だ。 それぐらい上官に命令されなくたってやれるだろ? 俺なんか貴族出身だって心の底からびびっているのに。
自分の部下がどういう奴らか知っていながら何の根回しもせずに紹介した事を心から後悔した。 が、後悔先に立たず。 無礼すれすれと言うより無礼にどっぷり浸かった顔合わせになってしまった。
恐る恐るヘルセスの顔を窺う。
「苦しゅうない」
ヘルセスは一言みんなに向かって言い、軽く頷いた。 そして俺に向かって厳かに宣う。
「少数精鋭、大変結構」
思わず安堵のあまり、へへーっ、ありがたきお言葉! と言いそうになったが、そこはぐっと堪える。 堪えられた自分を密かに褒めてあげた。 子供の頃は、堪え性のない、と叱られた事がよくあったから。
ふー、あぶない、あぶない。 マッギニス上級兵の前だというのに。
ヘルセスは何を考えているか読めない顔をしている。 ただ怒っている様には見えない。 本人から文句を言われていないんだ。 何も問題はない、と自分に無理矢理言い聞かせた。 会議の後で文句を言われるかもしれないが。 まあ、その時はその時だ。
それにしてもいずれ部下が増えると言われていたから新入りがある事自体には驚かない。 でもなぜそれがよりにもよって公爵家継嗣?
ひょっとして、これは普通っぽい部下が欲しいと願った俺に下された天罰? ヘルセスに比べたら今いる五人だって充分普通だろ、と天が教えたかったとか?
自分が迷信深いとは思わないが。 もう何も欲しがりません、これ以上の天罰は勘弁して下さい、と心の中で密かに祈った。 祈った所で天が俺の祈りを叶えてくれるとは思えないけど。




