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弓と剣  作者: 淳A
十剣
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軍師 6

 上京の途中、物流と人の賑わいを眺め、北が、そして皇国が、僅か数年で成し遂げた変化を実感した。

 年末から新年にかけて全貴族が皇都に滞在するこの時期になると、その準備に奔走する奉公人や業者で交通が混雑する。 それを改善すべく皇都と第一駐屯地を繋ぐ幹線道路が拡大整備され、荒野の獣道が第二、第三の幹線道路として開通した。 以前の道は街中を通っていたが、現在の幹線道路は街中を通過していない。 一番左の路線は高速専用。 馬や犬橇を停止させ、他の通行の邪魔をしてはならない事になっている。

 それに昔は替え馬が簡単に手に入らず、馬を休ませねばならない関係で、夏でも皇都へは片道二週間近くかかった。 今では幹線道路の両脇に替え馬を常駐させた休憩所が林立しており、冬でなければ皇都まで片道四日。 三日で到着する事も可能だ。

 にも拘らず混雑は少しも解消されていない。 交通容量が四倍になってもそれ以上の物流が押し寄せているから。 ただ今日はなぜか皇都方面と比べ、北方面へ向かう交通量が倍以上ある。 この時期は貴族だけでなく平民も出稼ぎに行く関係で皇都方面への交通量は北方面の五倍以上になるのに。


 私と同じ疑問を抱かれたらしく、馬車の窓から外を眺めていらしたモンドー将軍がお隣のカルア補佐にお声を掛ける。

「この混雑。 猛虎が施主になった噂がもう広まっているのか? それにしては少々早過ぎるような」

「重大事件が起こり、弓と剣が不在。 飛竜が使われた事は隠しようもない事。 行き先は秘されていようと諸般の事情を組み合わせればクポトラデルへ向かったと当たりを付ける事は簡単です。 二人が既に帰国した事も。

 元々秋の軍葬が間近でジンヤ副将軍の体調不良が噂になっておりました。 世間は弓と剣のどちらかが施主に指名されると予想しているのでしょう。 施主は次期副将軍。 副将軍への面会となると将軍への面会より叶いません。 ここで挨拶する機会を逃したら挨拶した貴族より大きく出遅れる事は確実。

 ですが、ほとんどの貴族は飛竜を所有していないか、所有していてもこの季節に北への飛行は不可能。 かと言って公式発表がないのに当代が北で待機し、陛下への新年の御挨拶に支障が出ては家名に傷が付く。 という訳で、どこも次代か名代を北へ派遣しているのではないでしょうか」

 カルア補佐は対向車線の貴族の一行を指差した。 護衛、馬車、馬具、至る所にカペシウス侯爵家の家紋が付いている。 別邸完成は来年秋と聞いているが、引っ越しでもする気か、と言いたくなる数の荷馬だ。


 モンドー将軍は渋面を隠そうともなさらない。

「軍葬が無事に済んでくれれば良いが。 タケオを施主にしてよかったのか、未だに懐疑が消せん。 副将軍はタケオとしても施主はヴィジャヤンにやらせたかった。 ヴィジャヤンなら侯爵の名前を呼び間違えようと笑って見逃される。 そもそもまともに施主が務められるとは誰も思わん。 失敗しなかったら本人も含めて仰け反るだろう」

「その場合、タケオ副将軍は昇進のためなら自分を慕う義弟さえ蹴り落とした冷血漢。 その義弟が居ればこその昇進であろうに、軍人の風上にも置けぬ恩知らず。 少なくとも世間の目にはそう映ります」

「あの二人を繋ぐ絆はそのような下らぬ誤解で断ち切られるような柔なものではない。 世間の風評などいずれ霧散するであろうし」

「いかに確固な絆があろうと副将軍は重責。 実体のない風評を追いかけ、一々訂正している暇などあるでしょうか。 それでなくても前例のない昇進なのです。 世間に要らぬ誤解を与える人事は避けるべきかと」

「ううむ。 しかし、これだから平民出身はどうの、出自がこうのと陰口を叩かれ、嫌がらせをされる事とてタケオにとっては艱苦。 軍葬終了後の実害がかなりあると思うぞ」

「これから何度も軍葬の施主をする事になるのです。 今から慣れておくに越した事はありません。 それに準備はともかく、軍葬自体は一日で終わる事。 多少の不手際はアーリー補佐なら誤魔化せるでしょう」

「とは私も思うが。 当代はともかく、タケオが個人的に知っている貴族の次代はダンホフ、ヘルセス、グゲン、マッギニスの他、数人だけなのが気がかりでな。 名代となると誰が来るか当日まで分からん。 ジンヤとアーリーにとっても初めて会う顔ばかりとなろう。

 例えば軍葬に潜り込もうとしたカペシウス侯爵名代と名乗る者がいて、本物とかちあわせたとする。 どちらが偽者か見分けられるか? それが出来るのはマッギニスだけだ。 そのマッギニスが皇都に釘付け。 しかもこの人出では席次や香典受付に関する苦情も山ほど来るだろう。 式後もその処理に追われ、副将軍の職務どころではなくなるのではないか?」


 施主ではなかろうとヴィジャヤン大隊長があり得ない失態をやらかし、タケオ施主の不手際など誰も思い出しもしないのでは、と思わないでもなかったが。 その後始末に奔走せねばならないのはタケオ施主と言うより将軍と私だ。 それが現実となった所で何の慰めにもならない事は言うまでもない。

 それに目下の急務はタケオ施主、そして彼の副将軍昇進への承認を得る事。 私の予想では陛下、テイソーザ皇王庁長官、マッギニス近衛将軍は根回しなしでも承認して下さる。 だが陛下のお許しがあれば臣下から不満が出ないかと言えば、そうとは限らない。

 ブリアネク宰相を始め、次期副将軍はヴィジャヤン大隊長と期待している者は多い。 宮廷内だけではなく、後宮にも。 私としては新年の舞踏会が終われば帰りたいが。 下手をすると丸一年、再来年の舞踏会まで皇都に釘付けとなるかもしれない。


 僭越ながらモンドー将軍に申し上げた。

「軍葬に関する御心配はもっともながら皇都での根回しは如何なさいますか。 ほとんどの貴族はヴィジャヤン大隊長贔屓。 タケオ施主と聞いて粛々とお悔やみを述べる方ばかりとは思えないのですが」

 将軍の瞳に諦めの色が浮かぶ。

「根回しをやらずに済むものではない事は承知しているが。 話せば分かる相手なら最初から文句など言うまい。 全員を納得させる事などとうに諦めておる。 言いたい奴には言わせておく」

 どうやら将軍は積極的に動いて下さらない。 おそらくヴィジャヤン準公爵も。 弓と剣、どちらも副将軍になりたくない事を御存知だ。 どちらか一方の肩を持とうとはなさらないだろう。

 つまりタケオ施主の指名を手放しで喜ぶのはグゲン侯爵とその親戚だけ。 だとするとヴィジャヤン派閥内でさえ弓派と剣派に分かれる事を覚悟せねばならない。 大半は喜びはしなくとも造反まではしないと思うが、少数の強硬反対派がどう動くか。

 レイ・ヘルセスの顔が思い浮かぶ。 彼なら当代だけでなく次代の動向も掴んでいるはず。 それを聞いてから根回しを始めれば大きな時間の節約となる。 ただ彼の領内でも話せば長いあれこれがあったらしい。 現在北へ向かっているとしても、すれ違ってしまえば皇都での根回しは一から始めるしかない。


 レイに会いたいという私の願いを天が聞き届けて下さったか。 宿に泊まった日の夜遅く、レイがお忍びで会いに来てくれた。 宿で働く給仕のお仕着せでの訪問だが、私に会うためだけに変装したのではないだろう。 北へ向かう貴族は大体この宿に滞在する。 第一駐屯地での滞在先が全員同じなはずはない。 ここで根回しした方が移動の手間と時間が省ける。

 とは言え、招かれた訳でもないのに宿泊先を突然訪問したら世間の顰蹙を買う。 相手の爵位がどれ程自分より下であろうとヘルセス公爵家次代がしてよい事ではない。 又、ヘルセス公爵家次代が宿の中を歩き回って根回しをしていたと噂になるのもまずい。 他家の家紋入りの服を着るのも。 ここは平民が泊まるような宿ではないから家紋が付いていなければ良いと言うものでもない。 それで給仕服となったのだろうが。 あまりにお粗末な変装で、つい、時候の挨拶より先に酷評が口をついて出た。


「本物の給仕なら急ぎの仕事の途中でなくとも歩みがきびきびとして素早い。 そのような泰然たる歩みでは仮装舞踏会に給仕の服で現れた上級貴族。 変装をする意味などない。 もう少し考えた役作りをした方がいいと誰も指摘しなかったのか? 結婚して無思慮になったという噂は聞いていなかったが」

「結婚前から無思慮であったからであろう」

 レイは私の酷評をにこやかに受け流した。 この様子なら自領内での揉め事も既に解決したのか。 とは言え、たとえ背中に火が着こうと地面を転がったりはしない男だ。 地面を転がっていないから背中の火が消えたとは限らない。

 レイはすぐ本題に入った。

「積もる話は尽きぬが、互いに先を急ぐ旅。 猛虎が副将軍、でよいのだな? 次は誰かを知りたいのではない。 その線で根回しをした。 今のところ宮廷内で妨害の動きは出ていない。 だが彼以外の誰かであった場合、それが準大公であろうと揉めるだろう。 それを伝えておきたくてな」

「ポクソン補佐のための単独軍葬はタケオ施主が取り仕切る。 陛下のお許しがあれば、だが」

 私の返事にレイが軽く頷く。

「彼の早世は真に悼ましい。 とは言え、平民出身の副将軍誕生は皇国の再興を告げる吉兆。 なればこそ、天翔る光の竜が夜空を飾ったのであろう」

「オーロラが現れた? いつ?」

「其方らがクポトラデルへ旅立った日から数えて十日目の夜と聞いている」

「オーロラは現れるとしても極寒の頃なのだが」

「それ故か。 これは戦が起こる前兆。 不吉な知らせと受け取る者もいたらしい。 テーリオ祭祀長が民の不安を鎮めて下さった。 心が洗われるような初穂の儀で。 どこからともなく猿神が現れ、山車の上から民へ聖水を撒き、やんやの喝采を受けたのだとか。 来年は是非妻子と共に出席し、聖水の雫を浴びたいもの」

「では、キャシロ殿が懐妊?」 

 レイは微笑んで頷き、退室した。 毒殺事件の詳細をどこまで知っているのか聞きたくはあったが、目下の懸案はタケオ施主の承認。 それ以外は今ここで彼から聞き出さなくともよい。


 ヘルセス公爵家主導の根回しはモンドー将軍とカルア補佐を起こして伝える緊急情報ではない。 根回しがどこまで有効だったか現時点では分からないのだから。 翌朝伝えた時、お二人は無言で頷かれただけだ。 内心安堵のため息を漏らされたと思うが。


 晩秋の彩に包まれた皇都は美しい。 ただ数年前までは良く言えば静謐。 悪く言えば停滞を感じさせていた。 街並みも紅葉も私が幼い頃から変わっていない。 だが人々の動きは祭りの前夜であるかのような活気に満ちている。

 何より民が北軍兵士へ向ける視線。 以前なら将校であろうと注視の対象にはならなかった。 今では新兵でも振り向かれ、注目される。 将校となれば人気役者並み。 大隊長だと誰もが立ち止まり、歓声をあげる。 今回の上京はお忍びではないので、はためく北軍将軍の軍旗に興奮と好奇心丸出しだ。


「ひゃー、北軍将軍だっ!」

「おおっ! もしかして、もしかする?」

「あ、でも矢筒を担いでいる人はいないな」

「忘れたんじゃ?」

「ばか、んな訳あるか」

「えー。 ほんとにあった話らしいぜ」

「それな。 俺も聞いた」


 一行の中に誰の姿を探しての会話か、聞くまでもない。 私達の後ろを尾けて走る人が増え始め、カルア補佐が先頭護衛に行進速度を上げるようお命じになる。 そこに近衛一個中隊が出迎えに現れた。

 因みに予定された上京なら近衛兵の出迎えがあるのは祭祀長猊下だけで北軍将軍であろうと近衛兵が出迎える事はない。 これは陛下より即座のお目通りの御希望があったからだろう。


 皇王陛下の御前にはテイソーザ長官、ブリアネク宰相、マッギニス近衛将軍が控えていた。

 最初にモンドー将軍が毒殺事件について奏上なさる。 一部始終を簡潔にしただけで大筋に手を加える事なく。

 続いて私がクポトラデルでの詳細を奏上した。 報告書は提出してあるものの、準大公が下手人を特定した時の国王以下、同席していた重臣の反応までは描写していない。 そして事件を未然に防げなかった事に対する国王の謝罪を伝えた。 事件の解決を知ったクポトラデル王太子が陛下へ直接謝罪を申し上げたいと望んだ事も含めて。

 最後にモンドー将軍が締め括る。

「帰国後、弓と剣の両名は退官を撤回する事に同意致しました。 尚、ポクソン補佐の軍葬ですが。 ヴィジャヤン大隊長が施主を固辞した為、テーリオ祭祀長がタケオ大隊長を御指名になりました。 陛下はこれを御承認なさいますか?」

 陛下が誰にともなく呟かれた。

「やはりな。 サダは辞退したか」


 サダ? 陛下はたとえ実子であろうと名をお呼びにはならない。 興国の英雄トムジックと彼の三人の盟友は常に互いの名を呼び捨てにしたと伝えられ、名呼びは深い友愛の証とされている。 建国の頃から数代は名呼びの習慣があったらしいが、当時は陛下と臣下との間に厚い壁はなかったからだろう。

 名を呼ばれた皇王族や重臣の専横、陛下の寵を利用しての簒奪が企てられて以来、皇王族であろうと公式の席で名を呼ばれた御方はいらっしゃらない。 第一皇王子のようにお立場、臣下であれば姓、爵位、役職名のいずれかでお呼びになる。

 今まで陛下がヴィジャヤン大隊長の名をお呼びになった事があるとは聞いていない。 新年の時は準大公。 竜鈴鳴動後は青竜の騎士とお呼びになった。 お人払いなさったならともかく、臣下と書記がいるお席でしてよい事ではないはずだが。


 名呼びの重大性に気付かないはずはないのにテイソーザ長官は陛下を嗜めるでもなく。

「副将軍となれば北軍の為の軍務や諜報活動を優先させねばなりません。 天駆ける青竜の騎士に相応しいお役目とは言えますまい」

 マッギニス近衛将軍がテイソーザ長官の言葉に頷く。

「現在指揮している大隊は兵数も少なく、何かと身動きしやすいかと存じます」

 それにブリアネク宰相が付け加える。

「又、タケオなら青竜の騎士の護衛として申し分なき一騎当千の(つわもの)。 国外へ同行した場合、副将軍の肩書きの方が押し出しが効くでしょう」

 陛下が頷いておっしゃる。

「これでサダが皇都に顔を出す頻度が上がれば好ましい事このうえないが」

 お気持ちが込められたお言葉だ。 遠方へ旅立った我が子の帰りを待つ親のような。


 僅か一年前まで陛下から喜怒哀楽の感情が読み取れた事はなかった。 陛下の言動は最初から決まっている事がほとんどだから無理もない一面もある。 だが決まっていない時でもお変わりはないと聞いていた。 まるで陛下に生き写しの人形が玉座に置かれてあるかのように。

 陛下の感情の吐露だけではない。 お三方の発言が完全に一致している。 去年辺りからこのような一致が見られるようになったものの、それ以前は議題が何であれ皇王庁、宰相、近衛の利害関係が完全に一致する事は珍しいと言うか、まずなかった。 この件に関しては弓派と剣派に分かれると予想していたのだが。

 青竜の騎士の御意志が既に伝わっている? だとしても、それがこれほど簡単に認められるとは。 もしやこのお三方も青竜の騎士が生きた青き宝玉である事を御存知?


 唐突に陛下がおっしゃる。

「マッギニス特務大隊長。 円満迅速なる事件の解決、見事である。 其方の今後の活躍にも大いに期待しようぞ。 弓と剣を支えた稀代の軍師として後世に名を残すがよい」

 賞賛以外の何ものでもないお言葉だ。 儀式上おっしゃる美辞麗句でもない。 それだけにかえって胸に重くのし掛かる。

 事件が円満迅速に解決したのは準大公のおかげだ。 もし私が軍師として采配していたらタケオ殿の暴走を止められず、犯人を解明する事は出来ても開戦は避けられなかったであろう。 なのに陛下を始め重臣の皆様は、私が円満解決したと思っていらっしゃる。 犯人を特定したのは準大公と奏上しているにも拘らず。

 実は、そう思われても仕方がない事情がある。 準大公がお書きになった陛下宛の報告書というのが。

「事件がありましたので詳しくはマッギニス特務大隊長の報告書をごらん下さい。」

 なんとこれが全文。 この前には宛名。 この後に御自分のお名前が書いてあるだけなのだ。

 因みに「御覧」が平仮名なのは準大公の下書きの御覧が解読不能であったため、平仮名になさるよう私がお勧めした。 正直な所、草稿は私が書くとしても報告書は準大公に書いて戴きたかったが。 陛下宛となった途端、準大公が大変緊張なさり、元々読みづらい字が解読不能となってしまい、一体いつ書き終わるか予想出来ず、諦めた。

 勿論、私の報告書には準大公の指揮により解決したと明記してある。 だが報告書さえまともに書けない頭で難事件が解決出来るのか。 部下が考えた手順に従っただけでは、と思われたとしても仕方がない。

 私がここで、本当に準大公が御自分で考え、解決なさったのです、と重ねて奏上しても謙遜したと受け取られるだけだろう。 何しろ御本人が、あの質問を考えたのは私で、それで事件が迅速に解決したと思っていらっしゃる。

 陛下へ深く礼をし、申し上げた。

「忝きお言葉。 臣民オキ・マッギニスは皇王陛下の御期待を実現すべく、身命を尽くすでありましょう」


 名将軍、名軍師を輩出した家に生まれ、将来の近衛将軍を嘱望されていた私だ。 名軍師と呼ばれる事が身に過ぎるとは言わない。 けれど私が軍師としてどのような戦略を立てようと、それがそのまま実行される事は未来永劫ないだろう。

 なぜ私の筋書き通りに事が運ばないのか。 一分の隙もなく組み立てた戦略のどこに間違いがあるのか。 簡潔に言うならヴィジャヤン大隊長の目的と私の目的が一致していない事が原因だ。

 ヴィジャヤン大隊長は争い事を好まない。 言うまでもなく兵士とは戦うのが仕事。 戦えば死や重傷の危険もあるが、同時に功名をあげ、昇進する機会でもある。 開戦は兵士にとって必ずしも悪い事ではないのだ。

 軍にしても外敵の侵略に対する備えと言うのは建前。 本音は自領の拡張、利権の拡大を狙っているからどの国もどの貴族も軍備に金をかけている。


 争いを避けたいのに軍人になるとは、いくら北の猛虎に憧れたとは言え自らの性格を完全に無視した職業選択。 最初に違和感を抱いたのはいつだったか。

 ヴィジャヤン伯爵家の三男が一風変わった新兵である事は部下になる前から知っていた。 育ち、弓の才能、昇進速度、人気。 しかしそれ以上に普通ではないのがあの御方の選択。 と言うか、その選択をした理由だ。 最も争わずに済む、という理由で御自分の取るべき道をお選びになる。

 入隊して歳月を経れば軍人として鍛えられ、考え方も変わるもの。 彼もいずれ、と思っていたが。 大隊長になっても彼の根本は妙に頑固で変わらない。 それは大隊の予算配分にも表れている。

 普通、大隊長は何をさておいても武器を購入し、そこで金が尽きたら他は来年度予算からの借入かそれ以外の支出を削減する事で対応する。 ヴィジャヤン大隊長の場合、兵士の食料、給金、燃料費を最初に取り、次に傷病保証や福利厚生。 武器はそれらの後、予算に余裕があれば購入している。 そんな優先順位を付けているのはヴィジャヤン大隊だけだ。

 そのうえ他の大隊とも仲良く連携しようとする。 今までそんな事をしようとした大隊長は一人もいなかった。 予算には限りがある。 他の隊が多く取れば自分の隊の取り分が少なくなるのは自明の理。 それ故自分の分が他より上回るよう、それが無理なら他より少なくならないよう知恵を絞る。 元々が大隊長同士で争う仕組みになっているのだ。

 味方と言う名の敵。 その前提で立てた私の戦略が他の大隊と仲良くしたいヴィジャヤン大隊長によってめちゃくちゃにされるのは当然の帰結と言える。 彼の根本は今後も変わるまい。 たとえ私が副将軍、そして将軍になろうと。 北軍の指針を定めているのはヴィジャヤン大隊長だから。

 つまり私は名ばかりの軍師。 それで終わる事が受け入れ難く、ヴィジャヤン大隊長の軍師としての才を認めようとしなかったのかもしれない。


 陛下が御退席になり、モンドー将軍がおっしゃった。

「マッギニス。 奏上は上首尾で終わった。 私とカルアは本日出発する。 後の事はよろしく頼むぞ」

 私は即座に決断した。

「将軍。 根回しの緊急性は減少したと申せましょう。 今は軍葬での名代受付を優先すべきかと存じます。 御一緒させて下さい」

「そうしてくれるか。 では、そのように」


 名ばかりの軍師であろうと使い道はある。 私がいなければ世間はヴィジャヤン大隊長に群がり、情報を引き出そうとするだろう。 私がいてもいなくてもヴィジャヤン大隊長が何も知らない事に変わりはないが、世間はヴィジャヤン大隊長が何も知らない事を知らない。

 ヴィジャヤン大隊長は大樹。 大樹はただその根と枝を伸ばし、大地を支え、豊かにする。 何も知らなくとも良い。 いや、何も知らないから誰も、御自分さえ想像しなかった未来を齎すのだ。

 ただ群がる害虫からこの大樹を守るには強い北軍将軍が要る。 彼の姿を見ただけで大樹に近づく事を諦める程、強い将軍が。

 もしやポクソン補佐もその必要性を認識し、その実現のために自らの命を捧げたのか?

 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。 私は私に課せられた役割を果たすのみ。


「十剣」の章、終わります。

これをもちまして、「弓と剣」の完結と致します。

長い間の御愛読、どうもありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
お疲れ様でございました。終了とのことですが、これからもまた何度も読み返すことでしょう。 本当に感謝いたします。 ありがとうございました。
一気読みして寝不足になりました。 剣と弓と氷さんと、昔のトップフォーに準えるならあと一人は誰なんだろう?とそれが分かりませんでした。二人との親しさと登場頻度から行くとレイなんですけど。
何度読み返しても、没頭できます。 ここで終わるのは大変残念です。まだまだ先はあると、想像できます故。 長い間、破綻すること無く、緻密に構築されたお話にわくわくしました。ありがとうございます。
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