施主 2
サダは何も言ってこない。 俺を説得しろと命じられたのにも拘らず。 当日は勿論、翌日も、翌々日も、三日目の夕飯時になっても。 いつもなら来るなと言われていようと人の邪魔をしに来るくせに。
誰かに知恵を付けられた? しかし誰に?
一緒に缶詰にされた随行八人は全員サダより賢いが、入れ知恵するかと言えば、しないだろう。 俺を丸め込むなんて一度もやった事がないし、自分がやった(そして成功した)経験がない事をサダにやれと言うような無責任な奴らじゃない。
マッギニスなら入れ知恵しようと思えば出来る。 だが今までだってサダを自分の意のままに動かす機会ならいくらでもあったのに実際した事はない。 因みになぜしていないと分かるのか。 していたらサダが誰彼構わず、マッギニス補佐に言われたので、とバラす。 クポトラデル国王と重臣達への三つの質問だって、マッギニス補佐が短くしてくれたおかげで覚えられました、とサダが言っていた。
サダが蛇口の壊れた水道管である事は将軍も先刻御承知。 何か理由があって敢えて入れ知恵したのだとしても、それならサダが俺に言いに来る。 将軍から師範には無言を通せと言われたので、これからしばらく無言を通します、よろしく、と。
それにサダが言い間違えたり、思い違いでめちゃくちゃをしたり言ったりする事がよくあるから、ヴィジャヤンにこういう指示を出しておいた、とカルア補佐が念の為俺にも伝えて寄越す。
俺達十人の他に貴賓室担当の給仕や下働きがいるが、下働きであろうと身元が確認され身元保証人もいる者達だ。 下手に入れ知恵なんかしたら職だけでなく自分と身元保証人の首も失われる事を知っている。
一人で考えれば考えるほどイライラしてしょうがないが、このイライラはサダに会えないからじゃない。 退屈だからだ。 毎日タマラやアラウジョを相手に軽い打ち合いはしているが、この二人では俺に汗をかかせられない。 大隊長の仕事をやらずに済むのは嬉しいが、余った時間があまりに退屈で今すぐここから逃げ出したくなる。 勿論、本気で実行する訳にはいかないが。
師範になる前はしょっちゅうここの警備をしていた。 その関係で秘密の出入り口のありかを知っているから逃げる事は出来る。 だがすぐに追手が放たれ、出国はおろか北から一歩踏み出す事さえ無理だろう。 野宿が無理な季節になっているし、どこに泊まろうと北で俺の顔と名前を知らない奴はいない。
落ち着いて考えれば分かる。 仮に皇国から逃げ出せたとしても遅かれ早かれ捕まる運命だ。 皇国の追手にでなければ、瑞兆の血縁の伯父を人質にして身代金を絞り取るつもりの盗賊連中に。 寝込みを襲われるか数で圧倒されたら、いくら俺でも逃げ切れない。
身代金を誰が払うかは分からないが、笑って話を終わらせる奴じゃない事だけは確かだ。 身代金を要求した奴らとその背後を殺しただけでは収まらず、近隣諸国を巻き込んだ戦を始めるんじゃないか。
無関係な民を巻き込みたくないのなら逃げる訳にはいかない。 それは分かるが。 じゃあ副将軍になれば退屈しないのか? 副将軍が何をしているのか知らないが、俺がやりたくなるような事とは思えない。 軍の規律。 外国との駆け引き。 宮廷の思惑。 俺にとってはどうでもいい事ばかり。
まあ、それはサダにとってもどうでもいい事で、なのにやれと言われている。 つまりあいつでもやれる仕事、という事になるが。 実務をするのはどうせマッギニス、と見抜かれているのかもしれない。 でなけりゃサダなら断ると知った上で推し、その後なら俺に押し付けられると算段された? 全てはマッギニスに軍を指揮させるための茶番、とか?
サダか俺、どちらが副将軍になろうと、その後二年で将軍となる。 その時副将軍として選ばれるのはマッギニスだ。 現実問題としてサダも俺も実務はからっきし。 北軍の実権を握るのは彼と思って間違いない。 ただそれを実現するにはサーシキ大隊長を飛び越す必要がある。 現在特務大隊長で、来年ようやく大隊長になるマッギニスが副将軍に昇進するのは不可能とは言わないまでも、かなり難しい。
サーシキ大隊長なら今日副将軍の辞令が下りても断らない。 そして彼が将軍になった時、副将軍に指名されるのはサダでも俺でもマッギニスでもないだろう。 俺達三人はサーシキ大隊長に嫌われているから。
副将軍をやらずに済むのは有り難いが、サーシキ大隊長にとって俺達三人は自分の地位を脅かす不穏分子だ。 陛下と他軍の将軍に太いパイプがあり、影の将軍として北軍を思いのままにするつもりだと本気で思っている。
サーシキ大隊長が副将軍になった途端、俺達三人に異変が起こるだろう。 あまり有り難くないタイプの異変が。 それを考えると、サダに副将軍、そして将軍になってもらうのが俺にとっての一番の解決なのだ。
サダなら瑞兆の実父、伝説の英雄の再来、陛下の皇寵という強みがある。 年上の大隊長が何人いようと副将軍昇進に誰も反対しない。 本人以外は。
もっとも今や俺もサリの血縁。 だから昇進は可能だ。 反対はあるとしてもそれはサダを副将軍にしたい者達からの反対だからサダが説得すれば何とかなる。
もしやマッギニスが裏で手を回し、俺を副将軍にしようと画策している? とは限らないが。 マッギニスなら俺には無言の方が効くと知っているだろう。 それを知ってか知らずか、サダは毎日弓の稽古をしている。 あんな速射音が出せるのはサダしかいないし、同時に二つの事が出来る奴じゃないんだ。 つまり弓の稽古しかしていない。
随行員の中でサダの直属でないのはエットナーと俺の従者であるコシェバーだけ。 サダが何か言っていないか、俺が聞いたとしてもチクる奴はいないし、そもそも何も言ってないのだと思う。 つまり誰かに命じられた訳でもないのにだんまりを通している。 一体どういうつもりで?
それをマッギニスに聞いてもいいが。 あいつは俺よりサダを知らない。 たぶん賢過ぎてバカの気持ちが分からないのだろう。
タマラはサダの性格や好き嫌いならよく知っている。 しかしなぜそうしたか、という理由については今まであいつの解釈が当たったためしがないから聞く気になれない。
アラウジョもサダとの付き合いが長いから副将軍を受ける気がない事は予想していたと思う。 ただ断った後どうするかまでは予想していないはずだ。 本人さえ考えていない事を考えるのは単なる時間の無駄と知っている。
サダはいつも人の予想の斜め上を行く。 それはアラウジョに限らず、今回随行した奴ら全員知っている。 なにしろサダと直接話した事は一度もなかったエットナーでさえ一度話したらよーく理解していた。 理解が深過ぎて夢でうなされるくらい。
今回の毒殺事件にしてもこれほどすぐ解決すると誰が予想していただろう。 あり得ない結末を予想する事に長けたマッギニスでさえ即日円満解決を予想していたかどうか。 勝算はあると考えていたとしても五分五分か、四分六。 半年か一年かかる解決を予想していたのではないか?
数年かかっても未解決。 未解決のまま開戦。 事件は解決はしたものの開戦。 示談で解決。 あいつが考えたありとあらゆる予想の中には即日円満解決も含まれていたかもしれない。 だとしても万に一つの実現を期待するような男じゃないんだ。 まるで最初からこうなる事を予想していたかのようにクポトラデルへの要求を立板に水で列挙していたが。 あの程度の作文なら昼寝をしながらでも出来る男だ。
ただあっさり解決した以上、軍に戻れば副将軍の椅子が待っている事は俺でも予想出来た。 当然マッギニスも予想していたはず。 そしてサダが断る事も。 その次は俺にお鉢が回って来る事も。 マッギニスなら俺が断った後、誰に話が行くかも、おそらく。
順当にサーシキ大隊長か。 出し抜いてマッギニスか。 それを聞いた所で俺の気持ちが動く訳でもないから聞く気はないが。
今までのサダの行動から推測するならあいつは何も考えていない。 何をどうしたらいいか全く分からないから何も言わないでいるのだ。 でなければ俺をそっとしておいてあげようという気遣いか。
空気が読めない事で知られるサダがそんな気遣いするか? とは思うが、あいつは空気は読めなくても人の気持ちを読むのが上手い。 しかも人だけじゃなく、何が何だか分からないものの気持ちでさえ分かるようだ。 ロック、狛犬、海坊主、青い人、青竜、猫又。 数え始めたら切りがない。
ロックはこう思っていたみたいですとか、海坊主にバカにされて黙っていられないでしょ、と言われたって最初は全然信じていなかった。 ケルパやノノミーアの気持ちが読めたって、それは飼い主だから、と。
ところが、あの飛竜、バジルの匂いが嫌みたいとサダが言ったら、その飛竜の担当操縦士が、はい、この飛竜はバジルが嫌いでして、と言う。 珍しく言う事を聞かない飛竜にサダが、失恋したからってやけになるなよ、と慰めた時は単なる当てずっぽうと思っていたら、実は番候補の雌が他の雄を選びまして、と飛竜の世話係が教えてくれた事もあった。
人だって口があるから何でもペラペラ喋る訳じゃない。 特に上級貴族や上級将校になればなるほど本音を隠す。 無表情か、表情と本音が一致していない事が多い。 なのにサダは自分が誰に嫌われ、誰に好かれているか、結構正確に把握している。
サダがマルヘンセ侯爵に頼み事をしようとしていたので、なぜサダの実家のお隣であるクマー侯爵に頼まないのか聞いた事があった。
「俺、クマー侯爵には嫌われているから。 頼めばやってくれるでしょうけど。 すぐにはやってもらえません」
「マルヘンセ侯爵て、お前に会うと目を逸らす人じゃなかったか?」
「でもきっと俺の事、好きですよ」
マルヘンセ侯爵への頼み事は頼んだその日にやってもらえた。 一応クマー侯爵にも頼めば、と俺が言ったせいか、そちらにも同じ事を頼んだらしい。 やってもらえました、とサダから聞いたのは半年後だ。
サダが誰にでも好かれる奴で嫌われる事が珍しいから違いが分かる、とは言えない。 英雄だからかえって嫌われる事もあるし、儀礼がお粗末なために傲岸不遜と受け取られる事もある。 陛下の寵を恣にしている、とやっかまれたりもしているはずだ。 ダーネソンのように嘘が分かる訳じゃなくとも人の心の動きが読めるのは特技と言っていい。
そんな特技があると気付いたのはスティバル祭祀長と茶飲み話をしていた時だ。 サダに纏わりつかれて迷惑していると愚痴を漏らした事があって。 それをお聞きになった祭祀長がお口元を緩める。
「好きな人の側に居たいと思うのは人として自然な感情。 少々の邪魔は見逃しておやり。 ヴィジャヤン大隊長も其方に嫌われていない事が分かるから甘えるのだよ」
「私はサダを嫌っておりますが?」
「剣の動きは読めても自らの心の動きは読めぬか。 嫌いな者の頼み事を叶えてやる親切心など持ち合わせてはいないであろうに。 いずれにしても彼は其方に面と向かって苦言を呈する事が出来る者。 貴重な友人、と言えるのでは?」
そんなはずは、とその時は思ったが。 改めて考えてみると、俺はサダが巻き起こす面倒事が嫌なのであって、裏のない性格を嫌っている訳じゃない。 それにサダに苦言を呈された事なら何度もあった。 例えば儀礼の練習に付き合わされて堪忍袋の緒が切れた時。
「こんな時間の無駄に長々付き合わされる俺の気持ちがお前に分かるかっ!」
「師範だって分からないでしょ。 やってもやっても覚えられない俺がどんな気持ちかなんて。 お互い様、て言葉、知ってます?
こんな事、俺だってやりたくない。 やらずに済むにはどうしたらいいか教えて下さい。 その通りにしますから。 言えないなら、なんで俺だけ責められなきゃいけないんですか? 責めやすい人を責めたくなる気持ちは分かるんですけど。 それ、止めた方がいいですよ」
あいつがバカである事に疑いはないし、友人とは思っていなかったが。 俺に面と向かって言いたい事を言い、したい事をする。 そんな人は他にいない事も確かなのだ。
ポクソン補佐が毒殺された時だって、俺が復讐に燃えて血の雨を降らそうとしていると分かっていた奴はサダ以外にもいただろう。 だがその中に本気で俺を止めようとした奴がいたとは思えない。 将軍でさえ止められなかった所を見ているんだから。
無謀だ、止めろ、残される人の事を考えろ。 まともな事を言おうと思えば誰にでも言える。 まともじゃなくなっている奴が聞く耳を持つか?
でもサダは俺と一緒に行くと言った。 死ぬかもしれないのに。 もっとも行った先々で土産を買いまくっていた所を見ると、サダは自分が死ぬとは全然思っていなかったようだが。
それはともかく、サダの苦言にはいつも行動が伴う。 真摯で、分かりやすく、聞き分けられる。 そんな苦言はありそうで中々ない。
ポクソン補佐亡き後、聞く気になれる苦言を呈してくれるのはサダだけ、と考えると自分の未来を悲観したくなる。 第一、俺が副将軍になるよう責められているのはあいつが断ったせいじゃないか。 と言いたいのは山々だが。 もし俺がクポトラデルに単身で殴り込みを掛けていたら今頃とっくに死んでいる。
死にたかったんだ。 生きている事をサダに感謝する気にはなれないが、借りを作った。 おまけにレイ・ヘルセスにも借りがある。 賢いあいつの事だ。 俺が将軍になるまで借りを返せとは言わんだろう。
人間いつ死ぬか分からない。 これ以上借りを溜め、返せずに死ぬのも業腹。
脳裏にポクソン補佐が現れる。
「俺が副将軍だなんて。 負け戦を始めるも同然じゃないのか?」
彼は俺の質問に答えず、ニヤリと笑う。 俺以上に俺の勝ちを信じて疑わない。 軍対抗戦で近衛大将と戦う前の俺に笑いかけたように。
ため息と共に呼び鈴を鳴らし、顔を出した給仕に言う。
「将軍に伝えてくれ。 やる気が出た、と」




