効果
ぎゃうっす、ぎゃわっす、ぐわわっ!
風がまだ冷たい四月。 的場で六頭杯設営担当のアラカ中隊長と観客席の配置についてああだこうだ話していると遠くから飛竜の鳴き声が聞こえて来た。 空を見上げたら遥か彼方からこちらへ向かって飛竜が飛んで来る。
「ヴィジャヤン大隊長、あれは何でしょう?」
「飛竜だ」
「飛竜! しかし、十頭いるのでは?」
「うん。 十頭いる」
俺の返答にアラカ中隊長の声が上ずる。
「一体どこが十頭も。 まさか、玉竜?」
焦るのも無理はない。 俺だってもしあれがほんとに陛下の玉竜だったら焦っちゃう。 まさか陛下御自身が乗っていらっしゃるとは思えないが、玉竜に乗れるのは祭祀長か、陛下からの使者に限られる。 どちらにしてもお迎えの時に不手際があったら後で大きな問題になるだろう。 事前の知らせがないからって、それがどうした、て感じ。
改めて言うまでもない事かもしれないが、玉竜から下りて来た陛下の使者を迎える儀礼なんて俺はまだ習っていない。 もっともこれに関してはブラダンコリエ先生だって知っているかどうか怪しいが。 スティバル祭祀長がお乗りだった時は、苦しうない、で済んだらしいけど。
玉竜でないなら西軍の飛竜軍団かも? それなら十頭一気に飛ばせるだけの飛竜を持っている。 だけど西軍の飛竜なら、なぜ東の方角から飛んで来たのか分からない。 どこかに立ち寄ってから北に来たとか?
もっとも東軍も西軍程じゃないが飛竜を飼っているし、たぶん十頭以上いると思う。 とは言え、飛竜を持っているからって闇雲に飛ばしたりはしない。 飛竜は結構寒さに強いが、飛べばすごく腹を空かす。 冬は餌が簡単に見つからない事を知っているからか、冬の間は自分の餌場から遠く離れた所へ飛びたがらないんだ。
飛竜の餌代は元々高いが、冬は更に高く付く。 その関係で飼い主も緊急事態とか余程の事があった時でもなければ飛ばそうとしない。 飛んでもせいぜい一日で戻れる辺りまでにする。
そりゃ北なら四月は「春」だ。 でもそっちこっちにまだ雪が残ってる。 北に飛竜はいないから、いきなり来られても飛竜用の餌を用意出来ない。 前にスパーキーが来た時は文句も言わずに北の魚や草を食べてくれたが。 本当なら何でも食べる訳じゃないんだ。
近衛軍や南軍も飛竜を持っているが、突然東から飛んで来る理由があるとしたら何だろう? うーん、あっと驚く何かがあったのかもしれないが、それより軍以外の飛竜である可能性の方が高い。 但し、個人で十頭も飼っているとなるとダンホフ公爵家だけだ。 ダーネソンがダンホフへ交渉に行ったし、飛竜が借りれるかどうかの返事を持って来たのかな? それにしても、なんで十頭?
この中から好きなのを選べ、とか? まさか。 選ばせてくれるにしても二頭寄越せば充分だろ。 金持ちの本気を舐めるな、と言われるかもしれないが、普通は飛竜を貸してくれと頼まれたからって、はい、どうぞ、なんて言わない。 安い乗り物じゃないんだから。 断られたって相手をケチとは思わないし、やっぱり、と思うだけだ。
向こうは結婚式に参列してもらいたくて、そのためなら飛竜を十頭だろうとお貸しします、と言いたいとか? 借りがあるのはこっちの方なのに?
猫又の件ではナジューラ義兄上に大変お世話になった。 飛竜を使ってタイマーザ先生を派遣してくれて。 あの時はノノミーアを殺せば済むという問題でもなかったし、登城は目前。 かなり切羽詰まっていたからナジューラ義兄上もおそらくその辺りを考えて下さったんだろう。
おかげで罰せられずに済んだ。 陸路だろうと式に参列するのは当然だし、これで借りがチャラになるとは思っていない。 しかも今回ダーネソンは飛竜を借りれるかどうかを聞きに行っただけ。 そんなの、はいかいいえで答えれば済む話だろ。 どっちの返事だって緊急事態じゃない。 こっちの交通手段が変わるだけだからダーネソンは陸路を使って戻るとばかり思っていた。 それだと早くて五月中旬か、五月末になるから準備は大変になるが。
飛竜は明らかに第一駐屯地を目指していて、俺達が立っている辺りを目指して下り始める。 滅多に見ない飛竜の一団がいきなり現れたから辺りが騒ぎ出した。
よくよく見ると、先頭は冬を越して一段と逞しくなったスパーキーだ。 という事はナジューラ義兄上が寄越した飛竜の一団で間違いない。 金持ちって、なんでこう、でーはーなの? 大きなため息が漏れる。
「アラカ中隊長、大丈夫。 あれはダンホフ公爵家の飛竜だ」
俺の言葉にアラカ中隊長はどっと安心した顔を見せた。 その気持ちはよく分かるが、本当に大変なのはこれからだ。
「はああ。 十頭かあ。 餌代いくらかかるんだろ」
俺は飛竜を見つめ、そんないじましい事を呟いた。 いや、俺みたいな貧乏人が、いじましいだなんて言っていい金額じゃない。 飛竜の餌なんていくらするんだか知らないけど、一頭だってすごく高いはずだ。 十頭もいたら一日どころか一食で俺の一ヶ月の小遣いがふっ飛ぶかも。 いつまでいる気か知らないが。 俺が払うしかないの?
え? お前以外、誰が払うんだ、て?
そ、そんなあ。 それでなくても次の子が生まれると分かって以来、トビが財布の紐をきつく締めているのに。 そりゃ俺だって子供の為に節約しなきゃ、とは思うさ。 でも今を楽しく生きる事だって大事だろ。 そんな泣き言を言ったってトビが小遣いを上げてくれる訳でもないから黙っているけど。
はい? 前借りしろ? 一年分前借りしたって足りないかもしれないのに? つ、つらいかもっ。
うう。 これは出来るだけ早く帰ってもらうしかない。 借りるのはスパーキーだけでいいと言っちゃおう。 わざわざ北まで来てくれたのにとんぼ返りさせるのは申し訳ないが。
でもその前に師範に試し乗りしてもらった方がいいかな? 飛竜は操縦士を選ぶが、乗客を選んだりしない。 だけど師範は一度も飛竜に乗った事がないらしい。 スパーキーじゃ小さくて嫌だと言われたら困る。 一応確認しておかないと。
あ、せっかくこんなに沢山飛竜が来たんだし、祭祀長からお預かりした竜鈴にどんな効果があるんだか、ついでに確かめておいた方がいいよな?
俺は側にいたアラウジョに言った。
「的場に来れるか、師範へ聞きに行って。 飛竜に試し乗りしてもらいたいから。 それと俺の執務室に置いてある竜鈴を取って来てくれ」
「了解」
的場に下りて来た飛竜達は賑やかな鳴き声をあげながら羽を激しくバタバタさせた。 最後にどこで休憩したのか知らないが、ダンホフ本邸からここまで飛んで来たんだ。 疲れているだろうに、それを感じさせない。
スパーキーは俺の姿を見ると、ようやく会えて嬉しいですっ! 僕の事、覚えてる? 忘れてないよね? 忘れちゃったなんて言わないでよっ、て感じで、ふうふう息を吹きかけて来る。 かわいいやつ。 そこでスパーキーが、ぶぶうっ、と更にでっかい息を吹き出したもんだから吹き飛ばされそうになった。
「ちょっ、ちょっとー、スパーキーったら。 そんなにがんばらないでよ。 それじゃ近寄れない」
俺だってスパーキーに会えたのは嬉しい。 好かれているみたいだから選んでもいいなら又スパーキーを頼むつもりでいるが、あんまり盛り上がられたら困っちゃう。 他の飛竜もなんとなく、俺に興味津々、て感じ。
的場の辺りは元々広々としているし、この辺りは競技会場とするつもりだから飛竜が下りるには便利だ。 とは言っても、的の他に小屋とか見物人用の庇もある。 次々舞い降りた飛竜が、それを片っ端からなぎ倒し始めた。
あっちゃー。 この修理代も俺持ち? 困るんですけどっ。
いや、困っちゃうけど嬉しい、のか? 飛竜の速度は飛竜の気分に大きく左右される。 飛ぶぜ、飛ぶぜ、どんどん飛ぶぜ、という時と、ちぇっ、飛ばせる気かよ、飛びたくないのに、という時じゃ速さにすごい差が出るんだ。 本番もこんな勢いで飛んでくれたら有り難い。 ダンホフ本邸まで二日で着いちゃうかも?
スパーキーの背にはダーネソン、もう一頭の飛竜にはウェイド小隊長が乗っていた。 スパーキーから下りて来たダーネソンが報告する。
「旦那様。 只今戻りました。 着地場所をどこにしてよいか分からなかった為、どうせ御迷惑を掛ける事になるなら旦那様のお側近くがよいかと判断致しまして。 的場を選んだ事をどうかお許し下さい」
「うん、まあ、仕方ないよ。 自宅じゃいくら敷地は広くたって木に囲まれているから十頭が着地するなんて無理だし。 御苦労さん。
キーホン操縦士。 また世話になったな。 疲れただろう。 何も準備していなくてすまないが、飛竜の世話は部下にさせる。 休んでくれ」
キーホンが恭しく礼をする。
「お言葉、忝く存じます。 再度のお目もじが叶った事、望外の喜びであります。 飛竜貸し出しの件につきましては、全く問題ない、と我が主より言付かって参りました。 就きましては、どの飛竜がお気に召すか、準大公閣下にお選び戴けないでしょうか。 御試乗なされば長距離飛行に対する不安も払拭出来るのでは、と存じます。
今回お邪魔しております飛竜はどれも北とダンホフ間、及びダンホフとヘルセス間の道筋を習得しております。 お好きな飛竜を何頭でも御自由に御指名下さい。 又、乗客としてお乗りになりたいのでしたらそれでも構いません。 尚、餌代は全額当家が負担致しますので何卒お気遣いなく」
いやいやいや。 お気遣い、しちゃうから。 まさかそこまでしてくれるとは夢にも思わず、焦った。 そんなの、いつもすみませんね、と笑って受け取っていい額じゃないし。
「えーと、そ、それは恐縮、てか、そこまでしてもらってはあまりに申し訳ないと言うか。 あの、取りあえずスパーキーに試し乗りしてもいいかな? 師範と二人で乗って大丈夫だったら他の飛竜は帰ってもらっていいです」
あ、操縦士の皆さんに何かお土産を持たせなきゃ悪いかな? とか迷っていると、師範がやって来た。
いつも御機嫌とは言い難い人だが、今日は更に不機嫌だ。 これでも一生懸命不機嫌を隠してやってるんだぜ、と言わんばかり。
ダンホフの操縦士さんに見たままを報告されたらダンホフ公爵にどう思われるか。 だけど、その不機嫌、何とかしてもらえませんかね、なんて師範に向かって言えないし。 うう。
とにかく十頭もの飛竜を長々引き止めておく訳にはいかない。 俺は早速アラウジョが持って来た竜鈴を首に掛けた。 首に掛けられるよう、リネが丈夫な紐を編んでくれたんだ。
試しに少し鳴らしてみる。
りりりん
とても小さい音なのに、ぎゃあぎゃあ騒いでいた飛竜がぴたっと静かになった。
お。 結構効果がある?
りりりん りりりん りりりん
すると飛竜が一斉に俺に向かって頭を下げた。 これって、乗ってもいいですよ、という飛竜からの合図だ。
おお。 すごいじゃん。 飛竜は操縦士以外に頭を下げたりしないのに。 これってどう見ても竜鈴のおかげだよな。
改めてよく見ると、どの飛竜も茶竜のスパーキーより大きくて速そう。 黒竜は茶竜の二倍は早いと言われている。 ただ黒竜や赤竜は元々戦闘用だから荷物運搬用のスパーキーより気性が荒いだろう。 速いのは嬉しいが、大人しくしろと言う俺の命令を素直に聞いてくれるとは限らない。 その点スパーキーなら俺が何も言わなくても暴れたりしないから安心だ。
「じゃ、ちょっとそこら辺、一周してみるから」
そう言って、俺と師範はスパーキーに乗り込んだ。 スパーキーに声を掛ける。
「よろしくな」
操縦席に座ってもう一度竜鈴を鳴らしたら、スパーキーがいつもと全然違う鳴き声を上げた。
ヒョオオ、ヒョオオ、ヒョオオ
何だかスティバル祭祀長が皇王城正門から入る時、神官があげた呼びかけの声に似ている。 辺りにいた飛竜が合唱するみたいに応えた。
ヒョオオ、ヒョオオ、ヒョオオ
スパーキーが元気に飛び始める。 うん、中々いい調子。
どんどん速度が上がっていく。 すごい。 茶竜って、こんなに速かったっけ? 冬の間に相当体を鍛えていたのかな? と呑気に感心していたら、はっと気が付いた。
「あれ?」
「おい、どうした」
「いや、その。 こっちって、西、ですよね?」
「お前が西に飛べと言ったんだろ?」
「何も言ってません。 よろしくな、と言っただけで」
「飛竜にとってそれが西に飛べという意味だ、て事じゃないのか?」
「そんなばかな。 まあ、ちょっとこの辺りを飛んだら戻るから、どっちに飛んだっていいんですけど」
「ふうん。 じゃ、どうして他の飛竜が付いて来ているんだ?」
「はい?」
師範にそう言われて振り返ったら、九頭の飛竜がスパーキーの後に続いている。 操縦士が乗っていないのに。
「あれれ?」
師範の顔が険しくなった。
「お前のせい、だよな?」
「そ、そんな。 俺、何もしてません」
「しただろ。 竜鈴を鳴らしただろうが」
「それは、鳴らしましたけど。 鳴らしたらどうなるか誰からも聞いてなかったし。 鳴らせば西に向かって飛ぶとか、他の飛竜も付いて来るだなんて知りませんでした」
「知らないなら、なぜ鳴らした」
「だって鳴らしてみなきゃ、どんな効果があるか分からないでしょう?」
「どんな効果があるか分かってよかったな。 俺がいない時に試してくれたら、もっとよかった」
そこで師範に、嫌みな奴、と言い返す勇気は絞り出せなかった。
ともかく遠くまで飛ぶつもりはない。 でもスパーキーが思ったより早くて。 あっと言う間に第一駐屯地が見えなくなった。 いい加減にして帰らないと、どこへ行くか誰にも言ってないんだから心配されちゃう。
「スパーキー、戻れ」
俺が命令するとスパーキーは、ぐわっ、ぐわわわっ、ぎゃあっすっ、と返事をした。
御心配なく、どこへ行くんだか分かってます、任しといて、と言うかのように。 いや、たぶん、そう言ってる。
ちゃんと俺の命令が聞こえているんだ。 なのに第一駐屯地の方向に変えようとしない。
どうして言う事を聞いてくれないんだろう? 以前乗った時は方向も離着陸もすぐ俺の言う通りにしてくれたのに。
スパーキーの機嫌が悪い訳じゃない。 それどころか御機嫌だ。 気合いさえ感じる。 ここでがんばらなきゃいつがんばる、みたいな?
そして西へ西へと飛んで行く。




