若番 伝説が生まれるまで
若と一緒の時間帯の風呂に入れるのは入隊十二年以上の兵士が入会出来る「一周会」会員の特権だ。
二周会もあるが、二十四年以上となると大抵外に所帯を持っている。 兵舎に住んでいる奴はほとんどいない。 因みに平の兵士は五十歳で退役となるから三周会はない。
若目当てで入隊してきた新兵にとって風呂に入れるまで十二年も待つのかよ、と恨めしくなる話だ。 待てと言うなら待つが、待った所でそれまでに若が結婚か昇進で普通兵舎から出て行く可能性が高い。
古参兵が笑いながら言う。
「若番なら明日でもいいぜ」
若の指を守る番人。 それが若の番人、そして若番になった。
若番の始まりは若の寒稽古だ。 寒さに弱い御方だからその内止めるだろうと思われていた。 ところが極寒の季節になっても稽古を止めない。 いつまで経っても止めないので周りが心配しだした。 もし凍傷で指でも落としたら、と。
「的場近くの小屋にある暖炉の番をする奴が要るな」
「一緒に稽古して、適当な間隔で休憩を取るよう若に促す奴もな」
「うむ。 休憩は十分間隔で取らなきゃまずい」
「風が強い日は五分でもきついが」
「温石で懐と背中、足を武装していれば何とかなるかもしれん」
「側で射るのは常時二、三人でいいか?」
「ま、そんなもんだろう」
そこで気づいた奴がいた。
「これって風呂のローテ、そのまま使えるんじゃね?」
それにソノマ小隊長が深く頷いた。
「極寒を耐えぬいた奴こそ若と一緒に風呂に入るに相応しい」
上官の鶴の一声だ。 否応もない。 新兵が腹の中でざまーみろ、とほくそ笑んだ瞬間と言っていい。
しかしいくらもしない内に、新兵達は何かおかしいと気づき始める。
「おい、ロダ、お前、若と風呂に入れるってほんとか?」
「うん、バースチャッド上級兵が怪我をしてさ。 今日は風呂に入るなって言われたんだと」
「じゃ、若番も代わんなきゃいけないの?」
「いや、それはやらなくていいって言われた」
若と一緒に風呂に入る権利は、なんだかんだ都合で諦める奴が時々出るのに、若番を逃げる奴はいない。 それどころか若番になるのを心待ちにしている様子さえ窺える。
北の冬の寒さは格別だ。 特に一月から二月にかけての極寒は文字通り骨を凍らせる。 外に出る時は凍傷や凍死を防ぐための準備を充分にしているが、それでも長時間外に立つのは命がけだ。 いくら寒さに鍛えられた北軍兵士だって喜んでそんな危険を冒したい奴がいるはずはない。
「どうして皆、若番には文句も言わずに行くんだろ?」
「聞いたんだけどさ、あの百発百中の若が的を外しているんだって」
「へえー」
そりゃ若なら矢が外れるのは珍しい。 だけど矢が外れるのを見て、一体何が面白いんだ?
ただ、みんな行くのを楽しみにしている。 それが不思議で自分も見に行ってみたくなった。 寒いけど。
そんな好奇心が働き、若番ではない兵士も若の朝稽古を覗きに行くようになった。
「す、すげえな」
「うん。 俺、弓が冬に引き絞れるとは知らなかった」
「俺も」
そして気づくのだ。 若の稽古の厳しさに。 あの不世出の弓の才能は、その厳しさを耐え抜いて齎されたという事に。
確かに才能はあるだろう。 なければあそこまで到達するものではない。 だが才能だけではないのだ、と。 そこまで稽古に精進する、出来る、続ける。 それ自体が才能なのだと言ってしまえばそれまでだが。
吹雪の最中にさえ外さない。 六頭殺しの若の新たな伝説が生まれるまで、あと二冬。




