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夜叉往来  作者: BUTAPENN
番外編 「満賢の魔鏡」
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序の巻(2)

 ふたりの夜叉追いは、しばらく無言だった。

「此処に入りて、人、夜叉となるを自ら選ぶ」

 龍二は、鏡に刻まれた銘文をもう一度口ずさんだ。

「この鏡は人間を取り込んで、そいつの隠し持っている願いを解き放つ。欲望でがんじがらめにした挙句、夜叉へと変えて、元の世界に戻す。いわば夜叉変換装置なんだ。人間を夜叉に変えることで、鏡自体もますます強い妖力を蓄える。このまま人間を吸い込み続けたら、いったいどんなことが起きるのか想像もつかない。日本中の人間を夜叉に変えるだけの力を持つかもしれない」

 「くそう、満賢め」と、龍二は唾棄するようにつぶやいた。

「恐ろしい道具だ。俺はすぐさま庭に出て、納屋から斧を取り出して、この鏡を割ろうとした。だが、毛筋ほどもキズをつけることはできなかった。風呂の薪と一緒にくべてみたが、焼け溶ける気配もなかった。

こんな危険なものを実家に置いておくわけにはいかないじゃないか。東京に戻ると、俺は自分の働いている鉄鋼会社へ行って、溶鉱炉にこいつを放り込んだ。驚いたよ。摂氏1400度の熱に耐えやがった。

次は俺が卒業した大学の研究室へ行って、高圧ポンプ式破砕装置やら、プラズマやらウォータージェットやら、ありとあらゆる手段を試してみたが、とうとうこいつは壊れなかった」

 さっぱり理解できない説明だったが、統馬は辛抱強く聞いている。

「物理的な方法ではこいつは壊れない。そう悟ると同時に、俺はあることに気づいた。それはこの文字さ」

 鏡の背面にある、象形文字に似た四個の記号を、龍二はつるりと撫でた。

「今は、四つしかない。だが、俺が最初にこの鏡を見たとき、これは確かに五つあったんだ」

「……」

「俺が鏡の世界から戻って、この文字はひとつ減った。もしそうなら、これは、鏡の妖力を現すゲージなんじゃないかと思うんだ。魂を取り込めば、それだけ鏡は力を増し加える。五つの文字があるということは、今までに五人の人間がこの鏡の中に囚われ、夜叉に変えられたということなんじゃないか。しかし、俺が夜叉にならずに戻ってきたことにより、鏡は力を奪われ、ゲージはひとつ減って四つになった。ということは――」

「あと四人の人間が、この中から無事に戻れば、この魔鏡は妖力のすべてを奪われる、ということか」

 統馬は抑揚のない乾いた声で、言った。

「可能性はある。もしそうならないとしても、妖力が少しでも弱まれば、破壊するのが容易になるかもしれない」

「それで、俺にこの中に入れと?」

「あんたなら、きっと鏡の誘いに勝てると思う。なにしろ、一度満賢の魔鏡の中に入って生還してるんだ」

「断る」

 言下の答えだった。

「俺は、現実に夜叉となることを選び取った男だ。とすれば、この鏡の中でも、また同じことを繰り返すだけだ」

 統馬は、矢上村の惨事を思い出し、苦渋に唇をゆがめた。

「俺には、二度とあの過去を見る勇気はない」

「だが、統馬……」

「頼むなら、久下や草薙に頼め。俺はごめんだ」

 統馬はソファから立ち上がると、断固とした背中を向けた。

「久下たちは、あと一時間ほどで帰ってくる。それまで待っていろ」

「おまえはどこへ行くんだ?」

「腹が減った。飯を食ってくる」

「詩乃ちゃんの作った飯か」

 ちょっぴり羨ましげな声を、龍二は出した。「精進料理もいいが、一度くらいは、すき焼き食ってみろ。うまいぞ」

 返事の代わりに、大きな音を立てて閉まったドアを見て、やれやれと肩をすくめる。

 統馬が鏡に入ることをためらう気持はわかる。龍二とて、もう一度この中に入れと言われれば、まっぴらだ。

 満賢の魔鏡の中では、夢や幻と違って、すべてが現実そのものとして感じられる。そこから心身が受けるダメージははかりしれない。現に龍二自身も、衝撃から立ち直って、この事務所に来る気分になるまで二ヶ月もかかったのだ。

「正直に訳を話したら、久下さんや草薙だって協力を渋るかもしれないな」

 龍二は大きく伸びをすると、そのままソファの背に倒れこんだ。



 しばらく、うとうとしていたらしい。気がつけば、事務所のドアをノックする音が聞こえる。

 間延びした返事を返すと、ドアが開いて、隙間からぬっと若い男が姿を現した。

「おっす。師匠はいるか」

 元二年D組、超常現象同好会会長、神林修かんばやしおさむである。

 詩乃と同じ大学四年生。それも信じられないことに、将来は教職を志望して教育大学に通っている。ひとりでも多くの子どもたちに、二Dで自分たちが培った友情のきずなを味わわせてやりたいのだそうだ。

 相変わらず、超常現象やUFOやチャネリングに興味を持ち、統馬のことを「生涯唯一の師」として崇め、今もたびたび教えを請いに押しかけて来る。

 そして不思議なことに、統馬の側も、神林が訪ねてくるのがイヤではないらしい。

 結婚以来、統馬と詩乃が暮らす1DKの部屋には、元二年D組のクラスメイトたちが入れ替わり立ち替わり遊びに来ていた。

「統馬なら、いないぞ。飯を食いに家に戻った」

「なんだ、そんなら俺も……」

「こら、メシどきに人の家に行くな。それくらい礼儀だろ」

 龍二は、神林の耳をぎゅっと引っ張り、無理矢理ソファに座らせる。「ここで待ってれば帰ってくる」

「ちぇっ。じゃあ、茶くらい出してくれよ」

「そこにポットがある。自分で飲め」

 ぶつぶつ言いながら、自分で急須に湯を入れて、湯飲みに注いでいる神林を見ているうちに、龍二の頭に邪まな考えが浮かんだ。

 こいつに、満賢の魔鏡を覗かせたらどうなるだろう。

 神林は霊力など皆無の男だ。うまく行けば、受けるダメージも少なく生還できるかもしれないし、たとえ夜叉に変化して戻ってきても、しょぼい夜叉にしかなれないだろうから、あっというまに調伏できる。

「おい、おまえ。顔にゴミがついてる」

 ソファに腰を落ち着けた神林の真向かいで、龍二はちょんちょんと頬の辺りを触って見せた。

「え、取ってくれよ」

「そんなにきび面、触りたくねえ。そこに鏡があるから自分で見てみろ」

 神林は疑いもせずに、テーブルの上の銅鏡を取り上げた。

「なんだよ。この鏡、全然見えないじゃん」

 と言いながら、目を細めて鏡面を見る。

 じっと覗く。

 覗き込む。

 そして、魔鏡をぽとりと手から離し、そのままソファの上で、へなへなと横たわった。

「よっし!」

 龍二はガッツポーズをした。

「悪いなあ。せめて、ここで守護の真言を唱えながら見守ってやるから」

 神林は、最初の数分は身じろぎもしなかった。呼吸も深くゆるやかで、死んでいるようにさえ見える。

 突然、眉をしかめ始めた。瞼の裏でしきりに眼球を動かしている。レム睡眠中の人間と同じだ。

 ときおり、にへらーと笑ったりする。そばで見ていると、気持悪いことこのうえない。

「護法魔王尊さま」

 ぶつぶつと、うわごとまで言い始める。

「うわっ。こいつ、どこの時代まで遡っていやがるんだ」

 確か、護法魔王尊は人類救済のために650万年前に金星からやってきた仏であったはず。その手の電波系が大嫌いな龍二は、悪寒に身震いした。

「護法魔王尊さま。ようこそ地球へ。我ら一同お待ちしておりました」

「おっ、起きろ。起きろぉ!」

 いきなり寝ている男の胸倉をつかむと、バシバシと顔を平手打ちする。

「ほえ?」

「起きろ。そんなおぞましい世界を体感するな! 二度とまともな人間に戻れなくなるぞ」

「ああ、せっかくいい夢を見てたのに」

 神林は起き上がり、目の焦点を合わすのにしばらくかかっているようだった。

「とにかく、すげえんだ。修学旅行で鞍馬寺に行ったら、林の中でいきなりワープゾーンを発見してだな。そこから650万年前の――」

「わかった、わぁーった。それ以上しゃべるな。想像しただけで、さむいぼが出てくる」

「ちぇっ。論理実証主義者め」

 ちなみに「さむいぼ」とは、愛媛の方言で「鳥肌」のことである。

 龍二は吐息をついて、ソファにぐったりと沈み込んだ。満賢の魔鏡の裏の文字は四つのまま、全く減っていない。

「今のは、ノーカウントだな」

「なんだよ、ノーカウントって」

「なんでもねえよ」

「しかし、リアルな夢だったなあ。まるで現実の体験してるみたいだった」

「そりゃあおまえ、憑かれて、じゃなかった、疲れてるんだ。今日は統馬に会わずに、まっすぐ家に帰れ」

「えー、そんな。今日こそ師匠に、霊的覚醒への道しるべを……」

「あきらめろ。それにいいかげん腹も減った。何か食って帰るぞ」

 とたんに神林は目を輝かせ、巨体を揺らして立ち上がった。「え、あんたがおごってくれんのか」

「給料日前だ。せいぜい駅前の蕎麦屋だからな」

 龍二は、何も知らぬ彼を危険に巻き込もうとしたことに、ちょっぴり罪悪感を感じているらしい。

 神林の背中をドアの方向に押し出すと、テーブルの上の鏡を、丁寧に袱紗に包み直した。

「ここなら誰も触らないだろう」

 と、久下所長のデスクに付いている引き出しの奥に、そっと入れる。

「久下さんには、あとでメールでも入れるとするか」

 そうひとりごとをつぶやくと、久下心霊調査事務所を後にした。



「やれやれ、すっかり遅くなってしまいましたね」

 それからほどなくして、久下尚人が静まり返った事務所に帰ってきた。

「ほんとじゃのう。これなら、最初から統馬を連れていけばよかったわい」

 肩に乗っていた白狐の草薙が、ぴょこんと飛び降りる。

「毘沙門天の五太子、徐々に活動を活発化させているようですね」

「五太子は夜叉八将と違って、それぞれの狩り場というものがない。兄弟同士互いに結託されると、まことに厄介じゃ。早いことひとりでも、調伏しておきたいものじゃのう」

「来週あたり、鷹泉ようぜんのお嬢さんや、統馬と詩乃さんも交えて対策会議を開きましょう。できれば龍二くんも都合がつくといいのですが」

 ついさっきまで、この事務所に龍二がいたことを、神ならぬ身の久下は知る由もない。

 彼は所長デスクの片隅にしつらえたふわふわクッションの寝床の上に草薙を運ぶと、小さな毛布をかけてやった。

「疲れたでしょう、草薙。今晩はもう事務所を閉めましょう。統馬には僕から連絡しておきます。ゆっくりお休みなさい」

「おぬしもな、久下。よい夢を」

 久下は出て行くときに事務所の灯りを消して鍵をかけた。白狐は暗闇の中でふうと溜め息をつきながら、毛布に具合よく包まって眠ろうとする。

 しかし。

「さ、寒い」

 数分もすると、ぶるぶる震えながら起き上がった。

「今夜は冷えるのう。毛布一枚では眠れんわい」

 鋼のくせに寒いのかと言うなかれ。

 確かに、草薙の真の姿は、霊剣・天叢雲の刀鍔つば。しかし暑さ寒さも痛さも、人の心の機微もきちんと感じることのできる鋼なのである。

 しかし、暦はまだ9月。それほど寒いというのも確かに不自然である。草薙を身震いさせたのは、きっと気温以外の何かだったのだろう。

 この白狐がひとりで動けるのは、せいぜい1メートル四方である。しかたなく、可愛い後ろ足を使ってデスクの引き出しのあちこちを開け、何か毛布代わりになるものをと物色し始めた。

 そして見つけたのが一番下の引き出しの奥にあった、紫の袱紗である。

 ないよりマシと袱紗を広げたところ、中から一枚の円い銅鏡がころがりでてきた。

「なんじゃろう、これは。鏡のようじゃが」

 見つけた袱紗や、厚地の綿でできたマウスパッドなどを寝床に敷き詰めた後も、草薙はその鏡に心を魅かれた。

 龍二の言うとおり、満賢の魔鏡は、過去になんらかの後悔を抱えている人間を誘う力を持っている。

 無人の事務所の闇の中。

 草薙は知らず知らずのうちに鏡に近寄り、そのおもてをじっと覗き込んだ。

   


                  序の巻  了


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