表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜叉往来  作者: BUTAPENN
第七話 「幻を映すもの」
36/63

第七話 「幻を映すもの」(3)



「矢上とは愛媛の高校でいっしょでね。俺は部活で二年先輩だったんだ」

 龍二がハンドルを握るワゴン車は、大原と鞍馬を結ぶ峠の山道をのんびりと走った。

「何の部活だったんですか?」

「へ? えーと、何だっけ。あ、そうだ、剣道」

「へええ。それで、矢上くんは片時も離さず、木刀を持ち歩いてるんですね」

 まだ間抜けな演技をしているが、不思議とT高の三人は、彼の言うことを真に受けているらしい。

 詩乃が最初に会ったときに比べて、髪もさっぱりと梳いてこぎれいな服装をしている大学生の龍二に、山根と嶋田のふたりはすっかりのぼせているようだった。もちろんその横で神林は、明らかに面白くなさそう。

「東京でも矢上は、全世界を敵に回してるみたいな顔をしてるんだろ」

「うわあ、当たってる。愛媛でもそうだったんですか?」

「ああ、おまけに年上の女キラー」

「きゃあっ。うっそぉ」

「マジマジ。こいつのせいで、生涯独身を通した女がふたりもいるんだぜ」

「え、ええ?」

 もちろん、鷹泉董子(久下)と孝子のことだろう。最後尾の席で、詩乃と草薙は腸がよじれそうになるほど笑った。

 三十分ほども走ると、車は鞍馬寺山門前に着いた。駐車場で降りたとたん、助手席で怒りに震えていた統馬は龍二の胸倉をつかんで、食ってかかる。

「なーにーが、同じ高校の先輩だ。もっとマシな嘘をつけねえのか、てめえは!」

「へん、実験レポートの〆切もほったらかして、わざわざ京都くんだりまで来てやってるんだ。あんたをからかうくらいの楽しみがないと、やってられねえぜ」

 相変わらず、このふたりは仲が悪い。

 門前通りの精進料理の店に入り、山菜蕎麦で腹ごしらえした後、6人は鞍馬寺の壮大な仁王門前の石段を一気に駆け上がった。

「いよいよ、チャネラーあこがれの地、鞍馬寺だ!」

 神林が相変わらず人目をはばからず、でかい声で叫んだ。

「え、鞍馬寺って何かあるの?」

「義経が鞍馬天狗相手に修行した、ゆかりの地でしょ」

「何を言う。ここの奥の魔王殿には、人類救済のため650万年前に金星からやってきた護法魔王尊が祀られているのだ。今でもUFOがたびたび目撃されている、神秘スポットなのだぞ」

「うわーっ。怪しすぎる!」

「なんだ、こいつは? ニューエイジ教か?」

 龍二は、さも胡乱と言わん目つきで神林をじろじろ見る。「だいたい、650万年前なんて文字もないのに、どうやってそんなことが記録できたんだ」

 神林も、「ふん、論理実証主義者め」と負けずに睨み返す。この組み合わせのふたりも、反りが合わないらしい。

 灯篭の立つ九十九つづら折りの参道をくねくねとしばらく登ると、だんだんと聖域という気配が漂ってきた。参道を一歩離れると鬱蒼と木々が重なり、チャネラーならずとも、なにか不思議なものがひそむ神秘の場所と言いたくなる。

 夜叉の将は霊の集うところを本拠地として好むという。なればこの鞍馬寺は、京都という狩り場を治めるには、うってつけの場所なのかもしれない。

 統馬は入山して以来、口も利かず、そばに級友たちも寄せつけない。今は全身で夜叉の気配を探ろうとしているのだろう。

 参道を登り切って、本殿の金堂に着いた。ここには三体の本尊が祀られている。

 鑑真の弟子・鑑禎が祀った、四天王の北方門の守護神「毘沙門天」。

 そののち藤原伊勢人が平安京の北方守護のため祀った「千手観世音」。

 そして神林が熱烈に信奉している「護法魔王尊」。

 本殿裏にある別館には、国宝の毘沙門天立像がある。甲冑をつけ三鈷戟を手に王城を守護する猛々しき軍神。

「この神さまが、人間の敵なんだ……」

 像の顔を見つめて、詩乃がつぶやいた。

 天界で毘沙門天が起こした謀反は、悠久の時を経て鎮圧された。

 毘沙門天が帝釈天と四天王の他の三尊によって、須弥山のふもとに幽閉されたのがおよそ一千年前。そのときに自分の力を八等分して、彼に与する強大な夜叉たちに与え、代わりに地上界を蹂躙するように命じたと言う。

 それが「夜叉八将」の起こりだ。

 詩乃が久下から聞かされたのは、そこまでだった。

 毘沙門天の像の脇には、妃だと言われる吉祥天と、子の善膩師ぜんにし童子が侍っている。唐風の衣装をまとっている小さな吉祥天像。その優しそうな表情からは、謀反の一味などとは想像もつかないのに。

 詩乃はふと、統馬が険しい表情でそれらを見つめているのに気がついた。

「矢上くん」

 呼びかけてもまるで気づかないほど、没入している。

 毘沙門天の旗の下に集った八人の夜叉のうち、最後のひとりが半遮羅。矢上統馬の、封じられた真の姿である。

 今、彼は何を思って見ているのだろう。自分がかつて仕えながらも裏切った敵将の像を。



 神林がどうしても「魔王殿」を見たいと主張したので、一行はそのまま奥へ向かう山道を進んだ。木立の中、かなり急な道が続く。

 このまま峠を越えると貴船神社へ降りる道だが、途中で引き返すことになる。ワゴン車まで戻って、龍二がそのまま宿泊先のホテルに送ってくれるというのだ。高校で決められた集合時間の5時までには、まだだいぶ余裕がある。

 昼なお暗いスギやツガの原生林が続く。彼ら以外、あたりに人影はない。

 木々の木漏れ日がまだらに染める暗い道を最後尾で下っていく詩乃は、先頭の統馬の背中を、ふと見失いそうな錯覚に陥った。

 今までのことすべては彼女の見た夢であり、矢上統馬という存在は誰も覚えておらず、T高のどこを探してもいない。そんなことがいつか本当に現実になりそうな気がして、突然の不安に胸を締めつけられた。

 途中、義経ゆかりの名所を過ぎると、木の根が地表を網の目のように這っている奇妙な光景に出くわした。

「すごい。これが、木の根道ね」

 詩乃が、旅行前に予習してきたことを思い出して言う。

「下は、すごく固い石灰岩の層みたいだ」

 龍二がうずくまって、地面を調べる。「だから、根が地面にもぐれずにこうなったんだろう」

「どうでもいい。あともう少しで魔王殿だ。急ぐぞ」

 嬉々として、神林が叫ぶ。

「ああん、歩きにくい」

 山根と嶋田は、音を上げている。

 そのときだった。

 原生林の斜面から何の前触れもなしに、落雷のような音をたてて岩が大量に転がり落ちてきたのだ。

「あぶないっ!」

「きゃああ!」

 ばりばりと細い樹木をなぎ倒し、どうと土煙を巻き上げながら行く手に立ちふさがる。気づくのがもう少し遅れていたら、6人は下敷きになっていた。

「だ、だいじょうぶ、みんな?」

 彼らが身体を起こして岩の落ちてきた先を見上げると、そこに立っていたのは数十名の人間だった。誰もが真っ赤な天狗の面をかぶり、手に槍や矛などの武器を持っている。

「ひええっ、ありゃ何だ」

「ニューエイジ教か?」

「あ、あやしすぎる……」

「しまった。敵に感づかれたぞ、統馬!」

 呆然と立ち尽くす一行の中で、草薙が詩乃のリュックサックから伸び上がるようにして叫んだ。

「くそぅ、何の気配も感じなかったのに」

 統馬は背負っていた袋から天叢雲を取り出した。

 相手が全員夜叉に憑かれていることを、一瞬で判断する。詩乃だけならともかく、この大人数は守りきれない。

「おまえたちは来た道を戻って、この寺から出ろ!」

 緑陰に銀色の光を撒き散らしながら、刀を鞘から引き抜いた。

「統馬、おまえは?」

「俺はここで奴らを食い止める。龍二、おまえが先頭を行け!」

「わ、わかったよ。めんどくせえけど」

 口とは裏腹に、龍二の顔にも見たことのないような張りつめた緊張が現れている。

「行くぜ、ガキども! 鞍馬山耐久マラソンだ!」

 龍二を先頭に神林、山根、嶋田、そして最後に詩乃と草薙が走り出した。



「ああん、どうしてこうなるの」

 山根が走りながら、半泣きになっている。

「きゃあっ」

 嶋田が足を取られて、つまずいた。木の根が彼らの行く手をわざと遮るように、地面から盛り上がっているのだ。

「かおり、怪我ない?」

「ああん、怖いよお。あいつら何者? 統馬くんも本物の刀抜いちゃうなんて。……ひええん、みんな死んじゃうの」

「おしゃべりする間があったら、走れ!」

 神林が怒鳴る。

 最後尾の詩乃は器用にひらりと根を飛び越えると、叫んだ。「ナギちゃん」

「よし、詩乃どのは金剛網、わたしは金剛炎じゃ。ふたりが結界真言を同時に唱えることで結護法の威力が倍加する」

「わかった」

「弓月委員長、こんなときにのんきな腹話術はやめてくれえ」

 一方、先頭の龍二は、革ジャンパーの内ポケットから数枚の細長い紙を取り出した。

「界!」

 叫びながら、傍らの木の幹に次々と紙を張る。みるみるうちに護符にかかれた梵字は吸い込まれるように幹の中に消えていく。そうやって、自分たちの行く道に夜叉の入り込めぬ空間を作るのだ。

 龍二は草薙と同じ防御・結界系の真言、しかも護符術法を得意とする夜叉追いだった。

「ああっ」

 突然、彼らの行く手にさっきと同じ天狗の面をつけた数人の追手が立ちはだかった。

 結界の破れをどこかに見落としたか。それとも、三人がかりの結界をも破るほどの強い妖力が相手にそなわっているのか。

 とっさに龍二が護符を数枚宙にまくと、すばやく真言を唱える。

「オン・トン・バザラ・ユク。ジャク・ウン・バン・コク」

 仕上げの「縛!」の声とともに、まさに飛びかかろうとしていた彼らは、とまどうように動きを止めた。

「あ、あんたも矢上と同じ、霊的覚醒者か!」

 神林の目に、みるみる驚愕と尊敬の色が浮かんだ。

「ようし、俺だって負けないぞ。これは護法魔王尊の与えたもうた、修行の場なのだ」

「神林くん、前に出たら危ないよ!」

「師匠いわく、霊力とは人が人を守ろうとする力! すなわち、愛に他ならないのだ!」

 神林は陶酔しきって叫び、背中に背負っていたバッグから水晶球を取り出すと、ためらわずにその豪腕で投げつけた。龍二の縛の真言で金縛りにされている天狗のひとりは、重い球をまともに食らって、うめき声もあげず地面に倒れた。

 ついで、ダウジングロッド。これも見事にクリーンヒットする。

「見たかっ。俺の霊力を」

「ぎゃはは、それがおまえの霊力かよ」

 龍二は、その横で腹を抱えて大受けしている。

「霊力の修行より、プロ野球に入ったほうが見込みあるぜぃ」

 皆がそちらに気を取られている隙に、草薙が叫んだ。

「ようし、詩乃どの、今じゃ。わたしをあいつらに投げつけてくれ」

「うん」

 草薙を結んでいた紐をはずし、詩乃は狙いを定めて思い切り投げる。

 とたんに、みるみる白狐は猛々しい白馬に化して、夜叉に憑かれた人間たちに襲いかかった。

 時は平安の世、この霊場に千手観世音を祀った藤原伊勢人が、白い馬に案内されてこの地に草庵を結んだという。それゆえこの寺は鞍馬寺と名づけられた。

 白馬はそんな由緒のある霊獣である。ただ、オレンジ縞のチョッキを着ているのが、いかにもおしゃれだ。

「ゆ、ゆ、弓月さん、何なの、あれは」

「あ、ああ。ほんの催眠術よ」

「あれがぁ?」

 山根や神林たちがポカンとして見つめる中、白馬・草薙は霊力によって、あっというまに敵全員の意識を奪った。

 マスコットに戻った草薙のもとに詩乃が駆け寄ろうとすると、龍二が一足先に拾って、彼女に手渡す。

「ほい、詩乃ちゃん」

「あ、ありがとう」

「さ、こいつらが目を覚まさないうちに、ふもとまで降りるぜ。……みんなぼやぼやするな!」

 今見たことの不思議さにまだぼうっとしている一同を、龍二が促した。

「待て、龍二」

 草薙が険しい表情で押しとどめた。「統馬が、危ないやもしれぬ」

「なに?」

「わからぬ。上位の夜叉の気配など今の今まで感じなかったはずなのに、あちらの方角から、かすかに薄皮一枚、尋常ではない妖気が漂ってくる」

「ナギちゃん、それって……」

 詩乃が青ざめる。「まさか、夜叉八将なの?」

「そこまで言い切れぬのじゃが……。龍二、おまえ統馬のところに戻れ。彼奴を助けるのじゃ」

「ちくしょ、またこの道かよ。出張手当のほかに特別手当もらうからな」

 大声で言い捨てると、彼はもと来た険しい道を駆けて戻っていく。

「ナギちゃん、私も矢上くんのところへ――」

「ならん、詩乃どのとわたしは残りの三人を守るのじゃ。この寺の聖域から完全に出るまでは油断めされるな」



 ざざと傾斜を滑り降りてきた天狗たちに相対し、統馬は片手で印を結び、彼が帰依する金剛夜叉明王の真言を唱えた。

「オン・バザラ・ヤキシャ・ウン!」

 大勢が地面を踏みしだく音、鋼の打ち合う音が、奥深い木々の重なりにこだまする。

 統馬は四方を敵に囲まれながら、何のためらいもなく、足元を邪魔する木の根にも最小限の足さばきで目の前の敵を切り伏せる。前後から左右から同時に攻撃されたと見るや、跳躍した。

 軽やかに、周囲の枝葉にまぎれ、そして雷撃のように急降下して敵の頭上に襲いかかる。それはまるで、翼を持つものの動きだった。

 二十人以上いたはずの敵は、みるまに地面に敷石を作った。



 そのとき、ちりんと何処ともなく、鈴の音がする。



 統馬は、目の前に忽然と現れた巨大な影に、驚愕して刀を止めた。

「半遮羅。我らに逆らう『夜叉追いの統馬』とは、おぬしだったのよな」

 すべての生きとし生けるものをあざ笑う、倣岸な眼差し。

 さすがの彼も、その眼差しに射すくめられ、内臓をえぐる恐怖に顔色を失う。

「毘沙門天……さま」

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ