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夜叉往来  作者: BUTAPENN
第七話 「幻を映すもの」
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第七話 「幻を映すもの」(1)




 10月中旬、市立T高校の2年生は、修学旅行に出発した。

 第一日目は、羽田から飛行機で広島入り。広島の原爆ドームや資料館などを見学する。

 二日目は、広島から神戸に至り、大阪のホテルに宿泊。

 三日目に京都入りし、ここではじめて班別の自由行動。

 四日目の昼に奈良に移動、クラス単位で主要観光ポイントを巡り、最終日にふたたび班別でユニヴァーサルスタジオジャパンや大阪市内を見学してから東京に帰る、四泊五日の行程だった。

 最初の二日で、クラス委員長の詩乃はへとへとになってしまった。

 初日は、各集合場所ごとにクラスの点呼。原爆平和公園では追悼の献花式を学年代表として仕切り、宿泊先の旅館では、食事・入浴の時間の連絡に各部屋に走り回る。

 2年D組は相変わらず団結意識が低く、ルールを守らないクラスだった。特に、詩乃を嫌っている三人組、朋美・理恵・ユキは、まるで彼女をあざ笑うかのように、ことごとく集合時間に遅れて、気をもませた。

「私はあなたたちを捜し回るために、修学旅行に来てるんじゃない。いいかげんにしてちょうだい」

 強い調子で抗議すると、

「また、矢上くんに抱きしめてキスしてもらえばぁ」

 神経を逆なでするような声で、きゃあきゃあ笑われる。

 二日目は姫路城の城内見学を経て、神戸の「人と防災未来センター」の見学。ここには震災の体験を記録する「防災未来館」と、ジオラマやシアターなどで自然を体験できる「ひと未来館」があるが、「やすらぎの部屋」の椅子にぐったりと座り込んで、香りや映像・音響で作られた癒しをいちばん満喫していたのは、詩乃だろう。

「弓月さん、だいじょうぶ?」

 心配そうに声をかけてくれたのは、家庭科クラブの山根と嶋田だ。彼女たちとは、あのT高の火事で詩乃が助けて以来、親しくなった。ふたりとも、もともと引っ込み思案な性格なので、表立って味方になってくれることはないが、こういう何気ないときに詩乃のそばに立ってくれる。

 修学旅行の班分けのときも、ふたりはいっしょの班になることを申し出てくれた。クラスではいつも統馬とふたり孤立していた詩乃にとって、これは何よりうれしいことだった。

 もうひとり同じ班に入りたいと申し出た人間がいる。超常現象同好会の神林だ。

「『前世の因縁ということばを、軽々しく使うな』と恫喝されたときに、僕は天啓を受けたような気がした。矢上こそ、ワンレベル高い霊的真理に覚醒した人間だとな」

 あの、文化祭での「ラブラブ相性診断」の席で言い負かされたことが、逆に深い感銘を与えたようだ。

「ぜひぜひ、修学旅行でもずっと同行し、霊の師として教えを垂れてほしい」

「じ、冗談じゃねえ」

 縦も横も自分より遥かに大きい巨体が、猫のようにすりよってくるものだから、さすがの統馬も逃げ腰だ。

「よいではないか。統馬の力に気づくということは、こやつもあながち霊力がゼロではないのかもしれぬぞ」

 白狐のマスコットに変化した霊剣は、詩乃手作りのオレンジの縞模様のチョッキを着せられて、彼女のリュックサックにぶらさがっている。

「今回の旅、少しでも霊力のある者を味方にしておくことは貴重じゃ。何が起こるかわからぬ。心せよ」

 草薙のことばに、詩乃も統馬も、黙ってうなずく。

 学生時代最大の思い出となるはずの、修学旅行。

 しかし彼らにとって、それは夜叉の将を追う困難な旅でもあったのだ。



「京都に入るには、細心の注意をもってしなければなりません」

 鷹泉ようぜん孝子は広いデスクの奥から、厳かにひとりひとりを見渡した。

 東京・霞ヶ関、内閣府本府庁舎内。

 他のありふれた省局にまじって、彼女のオフィスはある。表向きは平凡な調査室という趣だが、実際は夜叉との戦いの最前線司令部だ。

「そんな悠長なことを言っていていいのか。俺は今晩にでもひとりで行くと言ってるだろう」

 統馬は苦りきった表情で、ことばを吐き出す。ことが夜叉八将に及ぶと、彼は冷静になりきれない。体の奥底に流れる、彼らと同じ血がたぎるのだろうか。戦闘本能がむき出しになってしまうのだ。

 孝子は静かに首を振る。

「統馬ひとりで京都に行くことは、避けてほしい。奴らが感づく恐れがあるのです。

前にも言ったとおり、夜叉八将が同じ時代にふたり現れることは、かつてありませんでした。ですが、今回は違う。T市にはびこっていた下級夜叉の中に、統馬の顔を覚えて京都に通報する者がいないとも限らないのです。

今は情報戦の世の中。奴らのやり方も昔とは変わっている。現に敵は用心深く、いくつかの拠点を持っているらしく、私たちはまだその一箇所をやっと探し当てたのみなのです」

「それは、どこですか」

 詩乃がたずねた。

「大原。三千院の近くの小さな庵です。それから、鞍馬寺にも怪しい気配があるという報告も来ています」

「大原と鞍馬。距離的には近いですね」

 久下尚人が考え込むように、拳を口に当てた。「だから、統馬が修学旅行生として現地に入るのが、もっとも良いというわけですね」

「そうです。集団の中にいるほど、個々の霊気はまぎれやすくなる」

「その上に、わたしが五種印明結界を張っておけば、まず大丈夫じゃろう」

 草薙も、その案に賛成する。

「だが、俺といっしょに行動すれば、それだけ危険にさらされる」

 統馬は不機嫌に、ちらりと詩乃のほうを見た。

 詩乃がますます霊力を高めつつある今でも、統馬は彼女が夜叉追いとして行動することを快く思っていない。まして、戦う相手が夜叉の将である可能性の濃い今は、なおさらだ。

「そのために、久下さんはもちろん、他の夜叉追いにも現地入りして、守りを固めてもらうつもりなのです」

 孝子はゆっくりと椅子から立ち上がり、意味ありげに唇を緩めた。

「それに、統馬。今回はどうしても、詩乃さんの助力がなければいけない理由があるのです」

「どういうことだ」

「敵の大原の本拠地は、――男子禁制の尼寺なのです」



 修学旅行三日目の朝。

 詩乃たちの班――詩乃、統馬、神林、山根、嶋田の5人――は、ガラスパネルの巨大な吹き抜けになっている京都駅ビルから秋晴れの戸外に出た。

「京都は結界都市として作られた」

 神林が目の前に見える京都タワーを、びしっと指差して叫ぶ。

「桓武天皇は新しい都を築くにあたって、魔界封じの仕掛けをほどこした。中国の風水思想によって王城鎮護をすることにより、悪邪神のもたらす悪疫、天災、戦乱などの災いが降りかかるのを防いだのである。

すなわち、北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎の守護神が宿ることのできる山地、河川、湖沼、大道のある地、「四神相応の地」として、京に都を建設したのである」

「神林くん、は、恥ずかしいよ……」

 山根と嶋田が真っ赤になってうつむいてしまった。気がつけば、道行く人がみんな彼らを見つめてクスクス笑っている。

「何を言う。せっかくチャネラーのあこがれの地、京都へ来たのに、いたずらに物見遊山の観光をして帰るわけにはいかないではないか。

ただひたすら研究と修行あるのみ。見ろ、こうして水晶玉やダウジングロッドなどの道具一式も持ってきたんだ」

「行くぞ」

 呆れ果てて、統馬がすたすた行ってしまう。

「あ、ま、待って。師匠!」

 神林がでかいバッグを肩にかついで、統馬の後を追う。そして山根たちふたりも。

 最後尾の詩乃はためいきをついた。ただの修学旅行だと思っているクラスメートたちと、夜叉を追うという真の目的を秘めている統馬と詩乃と。いったいどうなるのだろう、今日の班行動は。

 とにもかくにも、京都での波乱に満ちた長い一日が始まったのである。



 JR京都駅からバスに乗り北上すると、京都・洛北、大原に至る。

「わたしの生きていた頃からすると、京都も平和な都になったのう」

 草薙がバスの窓外に流れる景色を見つめて、目を細める。

「え、ナギちゃんのいたのは平安時代の中期でしょう。まだ平和だった頃じゃないの?」

「とんでもない、遷都してわずか数十年で、都は荒れ果ててしまったわい。特に右京はひどかった。昼は馬や牛が草を食み、夜は盗賊の巣という有様じゃった。風水なんてあてにならんものじゃ」

「ナギちゃんは風水が職業じゃなかったの」

「風水と陰陽道は似て非なるものじゃよ。わたしたち陰陽師は言わば、公家たちのタイムスケジュールの調整役だったんじゃ」

「相変わらず、弓月委員長は腹話術がうまいな」

 後ろの席の神林が身を乗り出してきて、感心したように言った。彼の隣の窓際では、統馬が寸暇を惜しんで寝ているのが見える。

「ほんと、マスコットがしゃべっているように聞こえるわ」

 左側に座っている女生徒たちも同意する。

「そのキツネ……私たちが燃やしたカバンについていたのよね」

「ごめんなさい、弓月さん。今でも、どうしてあんなことをしたのか……反省してる」

「いいのよ。気にしないで。こうして無事だったんだし」

 山根と嶋田は、夜叉刀に取り憑かれた家庭科の澤村教諭の邪気の影響を受けて、詩乃へのイジメに加担した。あのときはあれほど憎いと思ったふたりと、こうして修学旅行の同じ班で仲良くしゃべっている。神林にしても、少し前まではまったく話したこともない生徒だった。

 人のえにしというものはつくづく不思議だと詩乃は思う。歳月は、仇敵さえも和睦させることができる。

 しかし一方で、愛し合った者同士を憎しみ合わせてしまうこともある。人の心は良くも悪くも移ろいやすい。夫婦といえども、親子といえども。

「ああ。ずっとこのまま旅行が永遠に続けばいいなあ。家に帰る日が来なければいいなあ」

「詩乃どの……」

 悲しげにひとり、口の中でつぶやく詩乃。草薙は誰にも知られぬように、彼女の手の甲にそっと尻尾をすりつけた。



 一時間後、彼らは最初の目的地、大原に着いた。  



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