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ぐうたら剣姫行after02 ぼろ布ふたつ 01「連敗記録更新中」

本編の後日談です。

連作短編というかたちで、それぞれ独立したエピソードを連ねてゆきます。



性的描写あり。







 雨が静かに降っている。

 細かな水滴が降り注ぎ、草木はうなだれ岩肌は黒ずみ、灰色の世界にさらさらとした音が鳴り続けるばかり。

 動くものは、上から下へ落ち、あるいは地を伝い流れる雨水だけ。


 と、いきなり、天からの(しま)模様に、乱れが現れた。

 他のすべての場所と同じように微細な雨滴が落下し続けていた空間に、大きな円錐(えんすい)形が浮き上がった。


 (すそ)の広がった、枯草の束のような、ぼろぼろの、しかしまぎれもない布だった。

 木々の合間に大きな布で円錐形の天幕が作られており、それがわずかに動いたことで、存在をあらわにした。それまでは周囲に完全に溶けこんでいたのだ。


 布がさらに揺れ、左右に割れて、中から人間の顔が現れた。


 まだ幼いと言っていい、少女。

 雨だればかりの景色を好奇心いっぱいに見回すその面立ちは、暗灰色の山中に輝きをもたらす、まばゆいばかりの美しさ。

 人の世の良きものを目一杯集めまくって顔かたちとしたかのような、明るさと愛くるしさだけでできている、陽光を思わせる美貌だった。


 その上から、漆黒の長髪が垂れ落ちてきた。

 少女の真上に、もうひとつ顔が。


 大人の女性。

 およそ人間のものとは思えないほどに整った、女神というものがこの世にあらわれたならばこのようであろうという、美、そのものの顔かたち。

 ただしその美は輝きをもたらすものではない。逆だ。宵闇、夜、死。この女神は決して善神ではない。人を引きこみ、とらえ、そして戻れないところへ連れていってしまう、危険すぎる妖しい美しさ。


 上に闇、下に光。対称的なふたつの美貌が上下に並んだ。


「……まだ、やまないな」

 けだるげな声を、上の黒髪の美神が発し。

「明日まで上がらないかもしれませんね」

 甘く軽やかな声で、下の美少女が応えた。


「見つからないなあ」

「目立つ人たちではありますけど、何一つ手がかりがなく、この時代にいるのかどうかもわからないですからね。人目を避けて風まかせにうろついているだけで見つかる方が不思議ですよ」

「退屈していないか?」

「ご心配なく。ずっと昔ならともかく、今はもう、無為なら無為そのものを楽しむことを心得ていますし、この中だってなまじな高級宿より快適ですし…………何よりも、あなたがいてくださいますから」


 天幕がわずかに揺れた。


「困ったな。あいつらが見つからないままでもいいかと思ってしまいそうだ」

「少しくらいは、そういう時があってもよろしいのではありませんか? とりあえず、この雨が上がるまでは、私以外の方のことは頭から退()けておいていただきたいのですけど」

「わかった。この世界が水没するまで降らせ続けるよう、水神を脅迫しに行こう」

「リュース様を怖がらせる前に、私を幸せにしてはいただけませんか?」

「その依頼、引き受けよう、私のもの、我が奴隷、可愛いカルナリア」

「お願いします、私の持ち主、わたくしだけの剣聖、フィン・シャンドレン」

 明るい笑みに、官能的な闇がかぶさり――。

 雨滴を弾くことで輪郭を浮き上がらせているぼろ布の中に、ふたつの美貌は引っこんで。

 何もかもがひんやり濡れそぼる山中に、一カ所だけ、きわめて熱い空間が生まれた。




 濃厚すぎる熱気を冷ますべく、円錐形の一部が開かれた。


「……ひとつ、見つけました」

 流れこんできた冷ややかな空気を心地よく浴びながら、まだ火照った濡肌をした少女が言う。


「何をだ」

 こちらもまだ熱く上ずったままの声で、闇の女神が問うた。


 長身美麗な肢体が敷物の上に脚を広げて座しており、そこに小柄な体がすっぽりおさまり、なまめかしい上半身に背中をもたせかけている。


「いま、私はあなたの腕の中。この幼い姿ですから、あなたに抱きすくめられるとどうすることもできません。何をされても抗えず、あなたは私のどこをどのようにでも弄ぶことができる――はずなのですが」


 闇の女神からは豊かな髪と後ろ姿しか見えない、抱擁の中にいる華奢(きゃしゃ)な少女は、顔を見せないままふてぶてしく言った。


「この世で最もきれいで、最も強いあなたにもできないことを、私、見つけてしまいました」

「む。何だ。言ってみろ」

「私をどのようにいじることも泣かせることもできますけれど……今のあなたには、私に()()()()()をすることだけはできませんよね?」

「ぬう」


 黒髪が右に左に揺れ動いた。女神の美貌が少女の顔面をあちこちからのぞきこみ、麗しい手が少女のあごにかけられた。しかし姿勢を変えるのは『今の』という条件に反するし、無理矢理に細首をねじむけたり、少女の方からせがむようになるまで敏感な部位を責めさいなんでから行うのは、『甘い』という条件を満たすことができず、つまり少女の勝ちだった。

 ……このままならば。


「これは――『剣聖』の名にかけて、やってやるしかないな。お前の主人たる私は、めんどくさいから戦いを避けたり逃げたりするのはともかく、負けるところを見せるわけにはいかないのだから」


 人の世とは違うところの気配を、女神はその身から漂わせ始めた。


「あら、()()()の世界へ? 私をあちらへ連れていくのでは、もう『今の』ではありませんよ?」

「いや、条件を(たが)えることはしない。お前はこのままで、私も今のこの状態のままだ。だが」


 女神の四肢が、少女にからみついた。

 がっしり抱きすくめ、胴体を拘束し、片手であごを押さえ、頭頂部には自分のあごを乗せて、頭部を動かせないようにする。


「あの……?」

「…………」


 返事はなく、代わりに場の空気が変化した。

 大きなぼろ布が形作るふたりきりの空間が、この世のものではない世界とつながった。

 少女は目を丸くし、顔面を動かせないまま、何が起きているのか気配を探った。


 次の瞬間――。


「えええええええええええええええええ」


 驚愕の叫びが、開いた隙間から煙雨の向こうへほとばしっていった。


 宵闇の化身、漆黒の髪と夜そのものの美貌が――背後から少女を抱きすくめている人物の顔面そのものが、少女の目の前にあったのだ。


「!?」


 瞳がすごい勢いで上方へ動いた。

 自分の頭に乗っている相手のあごは、確かにまだそこにある。感触もそのまま。なのになぜ。


「今の私は、あちらの世界の住人だったのが、人の世にあるための体を苦労してどうにか形作って、それに宿ってここにいる存在だ」


 頭の上にあるはずの美神の顔が、少女の目の前で唇を動かし、上から発するものとまったく同じ声を発する。


「つまりこの体は私の意志でこしらえたものであり――自分の意志で作れるものゆえに、ふたつ作ることだってできる」


「な……!」


「ただし、私がふたり同時に存在する、ということはできない。心というものはどこまでもひとつきりだ。

 右手と左手で同時にまったく別々な文章を綴ることを想像してみろ。文字を書き連ねること自体は訓練である程度はできるようになるが、同時にふたつの文章を考えること、考え続けることはきわめて難しい。

 手だけでもそうなのに、ふたりの人間というものを同時かつ別々に存在させるのはそれよりさらに難しい。めんどくさいなんてものじゃない。私はやってみようとすら思わない。仮にできるようになったとしても、ふたりの私がそれぞれ独立した自分というものを持ったならば、その時はどちらの私も相手を斬ろうとするだろうな」


「………………」


「しかし、できないのは『私』を複数存在させることであって――()()()なら、ふたつ存在させることはできるんだよ」


「と、いうことは……()()()は?」


 少女はもぞもぞうごめいた。背後からからみついている長身は、それまで通りの感触ではあるのだが、彫像のように動かない。


「私の肉体ではある。だが中身はない。

 空っぽの人形というわけではないが――人は、簡単な動作なら、いちいち考えずにやっているわけでな。一歩踏み出すたびに足をこう動かすと考えているわけではないし、踊る時には、考えてではなく自然と動けるようになるまで稽古をくり返して『体におぼえさせる』だろう?

 それと同じように、そちらの体には、考えなくてもできる簡単なことのみをさせるようにして、考える方の私をこうして、こちらに出現させたというわけだ」


 闇の女神の唇が、少女の唇を狙って近づいてきた。勝利を確信した笑みをうかべて。


 だが少女は青ざめて声を張った。


「あ、あのっ、それは、それ自体は、とてもすごいことですし、驚いてますし感心してもいますけれど! お顔()()というのは! ものすごく怖いです!」


「ふむ」

 と、女神の『生首』が困惑気味に言った。


 長い髪は垂れ下がっているものの、首から下はこの世界に現れておらず、つまりは()()()()()()なのだった。


「元々は、めんどくさい相手とやりあう時に、体は対面したまま剣と腕だけを背後から出現させれば楽に斬れるのではというところから思いついたやり方なのだが――まあ、甘いことをするには確かに、首だけは無粋だな、少々めんどくさくても……」

 またこの世のものとは違う力が広がり――次の瞬間には、少女を捕らえている背後の長身美麗な姿とまったく同じ肉体が、肩から足先まですべてを備えて、目の前に出現していた。


「!」


「これなら、文句あるまい?」


「!!!!」


 少女はまさに考えるより先に全力で肯定した。目は限界まで見開かれ肌が一転して燃えあがるようになった。


 唇を狙って迫っている女神の麗貌は、小柄な上に座りこんでいる少女の顔面と同じところまで低く下がっており――その向こうに現れた長身は、一糸まとわぬ姿で、顔を低いところに置くために、獣のように両手両脚を地につけた姿態だったのだ。


 その四つんばいの裸身の大半は、布が作る円錐空間の外にあり、みるみる雨に濡れてぬめりを帯びてゆき、すばらしくくびれる背中に長い黒髪が張りついて、この世のものではありえない官能美の極致。

 見た目と違い常人の倍以上の年月を生きている少女をもってしてもこれまで味わったことのない衝撃と賛美の雷撃が襲い、完全に言葉を失った体に牝獣がのしかかってきた。


 押されるまま背後の長身も倒れこんでゆき、少女は上と下から愛しい相手の熱肌にはさみこまれるかたちになった。


「私の勝ちだ。文句は…………ないな?」


 返事より先に唇を重ねられた。

 理性も思考も何もかも蒸発した。



 円錐形から外に突き出していた、完璧な造形美を見せつける女性の下半身が、中に消えていって、合わせ目が閉じられた。

 しかしぼろ布の円錐形は、布地自体が持つ隠蔽(いんぺい)効果を発揮することなく、そのまま存在をあらわにし続けた。

 なぜなら――布地の揺れが止まらなかったから。

 内側からはくぐもってはいるが甘い悲鳴、いや絶叫が幾度となく湧き起こる。静かになったかと思うと今度はすすり泣きが漏れ聞こえてくる。

「ああそうか、『傀儡(かいらい)息吹』の要領で、同じ動きをするようにすれば、ふたり同時でも――左右対称くらいなら問題なく同時にやれるから……つまりお前をはさんで、左右から――()()か」


 耳っ、それっ、そんなっ、だめですっという甲高い悲鳴が、すぐ意味をなさない叫びの連続となり、狂おしいあえぎとなり、理性を失った濁った笑い声となっていった。雨音とは違う水音。円錐形は高さを減じ、横に広がり、その中でさらに激しくうごめく体、繰り返される布の揺れ。けだものの熱い吐息。獲物をむさぼる至高の時。むさぼられる至福。



       ※



 ――雨に濡れる草の上に、淡い光が出現した。

 小さなともしびのようなそれが、上下に伸び、頭部と手足ができ、人の形となった。


 明確な顔かたちはなく、人体とわかるだけのそれが、揺れ続ける天幕を前に、肩をすくめるような動作をした。


「……探してる人が、ひとりこっちに戻ってきたみたいだって伝えに来たんだけど…………これ、下手に割って入ったら真っ二つにされるやつだよね……天候操作で雨とめても一生怨まれること間違いなし。

 向こうとこっちの両方に存在を置いたまま激しくされると、聞こえるどころか、向こうにも影響あるから、控えてほしいんだけどなあ…………実年齢はともかくあの子供の姿に大きなのが二人がかりって絵面は犯罪的すぎるし、昔からの知り合い同士がそういうことしてるのもきつい。見たくなくてもあっちに関わってるから伝わってきてしまうしなあ………………なんでぼくがこの年でこんな目に。ハァ」


 雨はまだ、しばらくやみそうになかった。




解説は、活動報告の方でいたします。


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