episode1-1
六つ星のパールに彩られし蝶よ
汝が手折りし薔薇を頂きに参ります
月の光に背いて――
LC
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空に浮かぶ大粒の真珠が闇へ柔らかな、けれど確かな光を降らす夜。街の中心部に程近いタウンハウスに次々と馬車が吸い込まれていく。馬車から降りる人の装いは輝きを纏って天空と似た星図を地上に描いていた。
エントランスでにこやかに会話を交わしたあと、人々は季節に沿った装いを解き、音楽の流れる室内へと誘われてゆく。室内楽団の奏でる音色に包まれた室内は、色とりどりの花が飾られ仄かに甘い香と微かなタバコ、そして甘い菓子の匂いがした。
ゲストたちの視線が新たに入ってきた馬車に集まった。まず背の高い婦人が降りてくる。
プラチナブロンドに鳶色の瞳をした美しい婦人に人々は注目する。美しい彼女は馬車を振り返り、その白い手を差し出した。それに引かれるようにして一人の女が姿を見せた。
清楚さを感じさせるオフホワイトのドレスに、艶やかな黒のグローブの対比が人目を引く。それ以上に、その白い面差しに並ぶミステリアスな菫色に人々の視線は奪われた。ヴァイオレットの瞳は柔らかな弧を描いて花開いた。
「まぁセシリア!よくいらしてくれたわね!」
「お招きありがとうございます、レディ・グレア」
女主人は満足げな笑みを浮かべてセシリアを出迎える。
「いいえ、あなたのおかげで場が華やぎます。さぁ、お嬢様方があなたの話を聞きたくてうずうずしているわ。これ以上引き止めてしまっては、わたくしが恨まれてしまうわね。では、今夜は楽しんでいらして」
「ええ」
纏っていたローブを侍女へ渡しクロークへと預ける。振り返ったときには、若い貴婦人たちがセシリアを待ち構えていた。
「ごきげんよう、セシリアさま」
「そのグローブは初めてお目にかかるわ。どうされたの?」
「ま、よく見るとレース地に覆われていますのね。それに貝ボタンがついてますの!まぁ、なんて愛らしい!」
「セシリア、お手をお貸しくださらない?もっと良く見せて頂きたいわ」
挨拶もそこそこに、彼女たちの興味はセシリアの両腕にはめられたグローブのことらしい。ミステリアスな魅力を帯びた闇色の腕をもぎ取りかねない勢いで、彼女たちはセシリアを取り囲んだ。戸惑う様子も見せず、セシリアはやんわりと微笑を返した。
「父の取引先にお願いして作っていただいたの。特注品なので今すぐ手に入るかは……」
「どちらのお店?」
「大丈夫ですわ!」
「手段なら幾つもありますもの!」
勢いの衰えない彼女たちを見て、セシリアの瞳が妖しく光った。
「セントアールストリートに面した仕立て屋で――」
ようやくご婦人方から解放されたセシリアは壁際でほっと息をついていた。
「セシリアさま、そろそろ……」
「マリー」
侍女のマリーは無表情で佇んでいる。それでも、ずっと彼女と共に育ってきたセシリアにはその心が手に取るように読み取れた。ふうと一息吐くと、短い休息とお別れをする。
「あなたは下をお願い」
短い言葉だけで意図を伝えると、セシリアは真の目的のために動き始めた。
真の目的――偵察だ。
セシリアが、夜食の並べられた隣室へ向かおうとしたとき、片手をあげて近づく紳士に気付いた。
「やあ、シシィ」
あっと声を上げる。
「ライオネル!あなたも来てたのね?いつ帰国したの、知らなかったわ」
赤毛にブラウンの瞳を持った青年は人好きのする笑みを浮かべた。
「つい最近ね。元気にしてたかい?」
「ええ。もちろんよ」
「だろうね。あの賑やかなご婦人方を相手にできるんだもんな」
「あら。なんだ見ていたの」
「きみはいつでも注目の的さ。次の夜会ではご婦人方の2本の腕のいずれもが闇色に染まっていることを僕は約束できるよ」
ライオネルはにやりと笑う。
――セシリアが身に着けたものは、必ず次の流行になる。
彼女が社交界に登場したのは一年前。
本来なら15歳でデビューするものを、セシリアは17歳を迎えるまで一切、公に姿を見せなかった。病弱で、カントリーハウスからなかなか出てこないという深窓の令嬢の噂は良くも悪くも人々の間に広まっていた。
そうして、ようやく現れた彼女はあっさりと人々の期待を裏切ってしまった。
「最初は、なんだっけ?」
「髪を下ろしてたの」
「ああ!そうだった」
強烈な個性を放つ存在。
普通社交界にでる女性はきっちりと髪を纏め上げている。それが大人の女性の証であり、マナーでもあった。にもかかわらず。まるで、幼子のように長い黒髪を背に垂らして現れたセシリアに、人々は言葉を失くした。垂らされた黒髪が揺れるたびに真白の素肌が透けて見える。髪には小さなダイヤが絡められ、シャンデリアの明かりにキラキラと反射して輝いていた。
背中の大きく開いた大人を感じさせるドレスと、幼さを表す髪形のギャップが彼女の個性を強烈に印象づけた。
「型破り」
「ふふっ。色々言う人もいるけどね。でも、美しさは心を打つわ。美は全能なの」
いつもの口癖を言って笑ったセシリアの瞳は自身に満ち溢れている。そうだね、とライオネルは苦笑を含めて答えた。
もちろん初めのうちは、型破りなセシリアを批判するものが多かった。しかし、全くめげた様子も無く自分のおしゃれを楽しむセシリアの態度に次第に周囲が影響を受けはじめた。
最初は女性。少しずつ女性たちがセシリアを真似はじめ、その傾向は次第に顕著になっていった。今では、先程の光景よろしく、行く先々で女性たちの詰問の嵐に見舞われているのをよく目撃する。
そして、ワンシーズンを終えたころには、彼女は流行の牽引車となっていた。
「流行の先端を追う女性たちは美しいでしょう?」
「ああ同感だね。そして、ベイツ家の財布がまた膨らむんだろう?」
「あはは。それはどうかしら」
この状況をセシリアは嫌がるどころかむしろ喜んでいた。その経済基盤の大きさから上流階級に含まれているが、セシリアの生家は爵位持ちの貴族ではなくジェントリ階級の商家だ。食料品から鉱石、宝飾品関係まで扱うものは幅広く、懇意にしている商店も多い。当然彼女が身につける装飾品は、ほとんどをベイツ家の息のかかった店が手がけている。
セシリアのファッションがもてはやされるようになると自然にご婦人方はこぞって店を訪れるようになった。店側もそれを期待するようになり、セシリアが注文する品は同じものを複数作ることが暗黙のルールとなっていた。そして、店の仕入れ先であるベイツ家には利益が転がり込む……という。
可憐に笑う笑顔の下のしたたかさを思ってライオネルはやれやれ、と首を振ってみせる。
「きみの影響力はご婦人方に留まらずに僕らにも及ぶからね」
あれは、セシリアが大きく襟ぐりの開いたドレスに濃い色のチョーカーを合わせてきたときだ。その色彩に影響を受けた紳士諸兄が各々のクラバットを極彩色に染めてしまう、という事件が過去に起こっていた。
「そんなこともあったわね、あのときは流石にパパにも怒られてしまったわ。お前は伝統を壊す気かって」
シシィはうんざり、と肩をすくめた。
「つまり、きみが伝統の破壊者ってこと?笑えるじゃないか!」
「ライオネル、あなた馬鹿にしてるでしょう」
男の目から見ても、セシリアの美的感覚には驚かされてしまう。新しく奇抜でありながら繊細。かと思えば、古典的なデザインを取り入れて見事に彼女流に着こなしてしまう。
伝統に縛られた貴族からは敬遠されそうに思えるのだが、存外その伝統に嫌気が差しているのだろうか、すんなりと受け入れられているように思う。
「いいわ。妙な通り名に比べるとずっといい」
「ヴィオレッタ(菫色の婦人)?」
向けられた淡い紫の瞳に彼は苦い笑いを見せた。映す光によって微妙に変わる神秘的な色彩は、じっと見つめられてしまうとそのまま逸らすことが出来ずに、吸い込まれるような気持ちに襲われるという。
「やけに嫌うねその愛称を。きみのその菫色の瞳が人を魅了するのが悪いのさ」
「そんなの知らないわ」
まるで猫が毛を逆立てるように、セシリアはライオネルをきっと睨み付ける。そっと、その頭を柔らかい掌が掠めた。視線を上げると、労わるように微笑む瞳がそこにあった。
「もう!馬鹿にして!」
軽やかなリズムが耳に届いた。顔見知りとの他愛もないおしゃべりをするうちにフロアーからダンスの曲が流れはじめる。並ぶ男性に女性たちの視線が向けられるのがセシリアにも分かった。先程エントランスで受け取ったダンスカードにはまだ誰の名も記されていない。
「始まったね。どうする?僕と踊るかい?」
セシリアの視線に気付いたライオネルが言う。
「カドリールの一曲くらいならいいわよ」
「強気だね?今日は卒倒しないように」
また、からかいを見せるライオネルに睨みをもうひとつ向けてやる。
「大丈夫よ。今日は気分がいいの……満月の夜だもの」




