27
青い顔をしていて、今にも倒れそうだ。
ベロニカは留衣に向かってポイと何かを放り投げた。
慌てて両手でキャッチすると、それは壊されたペンダントと同じ赤い石で。
「これ、あなたのじゃ」
「あたくしにはもう必要ないから、返すわ」
ベロニカは自嘲的に笑った。
「権力を笠に着て無理矢理貰ったものですもの。あたくしは……特別な人間になりたかった」
ニッポリアが言っていた。
特別な人間の特別になれたら、自分も特別になれる。
ベロニカにとってその特別はトゥーイだった。
魔力食いだと他人と違うのだと吹聴して、その特別なトゥーイの特別な人間になる。
「なんでそんなに特別にこだわるの?」
「あなたにはわからないわ。父親に魔力を魔道具に込めるだけの道具としか見られない子供の気持ちなんて」
ベロニカがくっと唇を噛む。
「トゥーイ様だって、親に捨てられたじゃない。それでも人と違うから、一人でも大丈夫なんでしょう?それは、自分が特別だからでしょ」
「……どいつもこいつもトゥーイさんのこと化物とか特別とか勝手に決めつけすぎじゃないの。特別なわけないじゃない」
瑠衣の言葉にベロニカが目を見張った。
トゥーイも何を言いだすのかといった表情を浮かべている。
「整理整頓が出来なくて、魔道具馬鹿で、微妙な料理を残さず食べてくれる人で、どこにでもいるただの男の人じゃない。誰も傷つけないように細心の注意を払ってる、ただの優しい人だよ」
それだけではない。
トゥーイの家にある小さな肖像画を思い出す。
「一人が平気な人なら、おばあちゃんの肖像画を今でも飾って、思い出を大事にしてるわけないじゃない」
フミのことを口にしたら、トゥーイの眼差しが一瞬伏せられた。
ベロニカが何度も睫毛を上下させる。
まるで瑠衣の言葉を咀嚼するように。
そうしてベロニカは俯き目を閉じて瞼を震わせたが、吹っ切るように顔を上げて留衣を見やった。
「石の機能が無事だったら、あなたの魔力を注いであたくしが帰すことが出来るわよ。あなたの魔力量だったら枯渇することなく満杯にできると思うわ」
「え……」
思わぬ言葉に、留衣は目を見開いた。
帰れる。
それを考えていたはずだ。
思わずトゥーイを見やると、彼は痛みをこらえるような顔をしていた。
その顔は、留衣が見たくないと思ったものだ。
「トゥーイさん」
「帰りますか?ルイ」
出てきた言葉はどこか途方にくれた子供のようだ。
留衣は視線をさまよわせて、なんと答えればいいのかわからない。
(トゥーイさんの傍にいたい、だけど)
ここにいたら迷惑になる。
きゅっと一度口を引き締めると、帰ると言おうとした。
「帰らないでください」
思ってもみなかった言葉に留衣は「え……」と言葉にならない吐息を吐き出した。
トゥーイは留衣から視線を外したままで、ぐっと傷だらけの手を握りしめる。
そこからポタリと一滴血が落ちた。
「……あなたを手放したくありません」
「……駄目だよ」
ふるりと留衣が頭を振る、トゥーイがそっと目を伏せた。
「だって迷惑かけちゃう」
続いた言葉に、トゥーイが瞼を上げてまっすぐに留衣を見やった。
その顔は驚きに満ちている。
「迷惑ではないと言ったら?」
「ッ」
「あなたに、傍にいてほしい」
懇願する言葉に留衣は嬉しかった。
トゥーイが引き留めてくれたことが。
けれど。
「もう、恩を返さなくても大丈夫だよ」
トゥーイはフミに恩返しをしているだけだ。
留衣自身を想っているわけではないと、首を振った。
不揃いな黒髪が、パサパサと揺れる。
「そんなものじゃありませんよ」
トゥーイが留衣の眼前で少しだけかがんで顔を覗き込んできた。
目の前に来た白皙の美貌を見上げると、心なしか青い。
魔力を使い過ぎたせいだろう。
「私が、あなたを好きだからです」
一語一句言い聞かせるようにトゥーイが口にした。
それが信じられなくて、何度も目を瞬く。
「うそ……」
「嘘じゃありません」
身をかがめて留衣の目を覗き込んでくる鳶色の瞳をじっと見返す。
その瞳は真摯で、嘘なんて言っているようには見えなくて。
「ほんとに?」
「本当です。あなたには迷惑かもしれません。私はフミを殺してしまった人間で、本来ならこんなことを言える立場じゃないのはわかっています」
その贖罪の言葉に瑠衣は眉を下げた。
殺してしまった。
ずっとそう思っていたのだろう。
でも瑠衣は違うと思いふにゃりと笑った。
「トゥーイさんが殺したんじゃない。お婆ちゃんがトゥーイさんを守っただけだよ」
瑠衣の言葉に、トゥーイが口元を引き締め今にも泣きそうな顔をした。
その顔は以前見た迷子の子供のようだ。
そんな顔をさせたいわけじゃない。
「……迷惑なんかじゃない」
小さく呟く。
嬉しさでじわじわと目の淵に涙がたまっていくのを、留衣はこらえられずにぐすりと鼻をすすった。
「私も傍にいたい、好きだよ」
ありったけの想いで言う。
覗き込んでいるトゥーイの表情が、今まで見た事もない優しい顔をしていた。
そして屈めていた体を戻すと、ベロニカに向き直る。
「そういうわけです」
「わかったわ」
こくりと頷くと、ベロニカは二人に背を向けた。
一度肩越しに振り返りトゥーイを見ると。
「魔力食いだなんて言いまわったこと、ごめんなさい」
ポツリと零して立ち去って行った。
それを見送り、トゥーイの手を見下ろして瑠衣は慌ててポケットからハンカチを取り出した。
血だらけの手に巻こうとしたけれど、下で保護した治癒者に頼むから必要ないと言われてしまった。
止血くらいはした方がいいのではと思うけれど。
ならばさっさと下に行こうと、扉のあった方へ体を向ける。
「髪」
「え?」
「短くなってしまいましたね」
「ああ」
片側は腰まであるのに、反対側は肩のあたりにまで切られているので、かなり斬新な髪型になっている。
「あの教祖野郎にね」
「……綺麗な髪だったのに」
悔やむような言葉に、そんな風に思っていてくれたのかと嬉しくなる。
そういえば香油を買ったときに、女性にとって髪は大事なものだろうと言っていたなと思い出した。
「気にしないで。ちょっと勿体ないけど、また伸びるし。それとも髪の短い私は嫌?」
悪戯っぽく笑うと、トゥーイがいいえと首を振った。
「じゃあしばらくは髪の短い私で我慢して」
ほら行こうと促すと、トゥーイが小さく口を開閉したあとでぐっと瑠衣を見据えた。
「あなたこそいいんですか?まともに抱きしめてもやれない男ですよ」
トゥーイの方へ向き直ると、どこか自嘲した笑みだ。
そんなことは、大したことじゃないのに。
留衣は手に持っていたペンダントを首に下げた。
「私、二回とも死ななかったわ」
「だから何です?」
突然の言葉にきょとりとしたトゥーイに、留衣は自分の頬が赤く染まっていくのがわかった。
言いにくそうにあーだのうーだの声を出したあとに。
「察してよ。一瞬なら平気だよってこと」
耳まで赤くなっていくのを自覚しながら自分の欲求を口にすれば、トゥーイはますます鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたあとに、鳶色をしんなりと細めた。
そして、一瞬だけ留衣の唇に唇で触れる。
途端に何が起こったか察した留衣の顔がゆでだこのように、可哀想なくらい赤くなった。
「抱きしめるより、一瞬でしょう?」
両手で唇を押さえた留衣に、悪びれもなくトゥーイは笑っていた。




