20
町に出てから、トゥーイが不在とはいえあまり帰りたくは無くてのろのろ歩く。
広場まで出ると、噴水のふちに力なく座った。
ぼんやりと膝に乗せた手を見つめていると。
「やあ、奇遇ですね」
朗らかに声をかけられて留衣は顔を上げた。
そこにいたのはリタリストで、留衣はすくっと立ち上がり歩き出す。
今は一人でいたいのだ。
けれどリタリストは無視をする留衣を気にした風もなく、後ろをついて歩きながら口を開いた。
「顔を見ないので心配していたんですよ。このあいだはせっかく来ていただいたのに、いつのまにか姿が消えてしまっていたので」
白々しい言葉に、留衣は足を止めなかった。
そもそも教会に呼び出されトゥーイが怪我を負わなければ、あんな顔をさせることはなかったのだ。
「フェスペルテ殿の屋敷に使いをやったのですが、あいにく追い返されてしまいましたしね」
ベロニカのことだろうかと思う。
(けど、あの人私を連れ戻しに来たっていうより、トゥーイさんに会いに来た感じだったけどな)
内心不思議に思ったが、たいしたことではないと気にしないことにした。
それにしても、いい加減鬱陶しく思い肩越しに半眼を向けると、ニィとリタリストは口を三日月にして微笑んだ。
その表情はいつかのベロニカと同じだ。
「ここに来た理由を知りたがっていましたね」
ピタリと足が止まった。
「けれど、それ以上に知りたくないですか?元の世界に帰る方法を」
留衣は弾かれたようにリタリストへと振り返った。
目を見開いて目の前の男を見ると、リタリストは悠然と笑みを浮かべている。
自分の立場が上だと確信している表情だ。
「……帰れるの?」
半信半疑でリタリストをねめつけると、彼はその態度に害した風もなくこくりとゆっくり頷いてみせた。
「帰れますよ、私の力でね」
「どうやって?」
「それは教会のトップシークレットなので、ここではお話出来ません」
「私に教会にいろって言ったのに、突然帰る方法を教えるなんて信じられない」
リタリストは留衣の言い分に鷹揚に頷いた。
「そうですな、でも考えてみてください。来ることを可能にしたならば、帰ることも可能だと。あなたに教会にいてほしいですが、やってほしいことはひとつだけです。それが済んだら帰しあげましょう」
「やってほしいこと?」
留衣は胡散臭そうに顎を引いた。
「それも、ここでは教えられません」
「信じられない」
「おや、そうですか。しかしこの世界はあなたには辛いのではないですか?泣いていたようですしね」
リタリストの揶揄を含んだ言い方に、留衣はバッと目元に手をやった。
熱を持っている瞼に、盛大に泣いたことが丸わかりなのだろう。
羞恥で頬が熱くなる。
「あなたには関係ないでしょ」
瑠衣のつっけんどんな物言いに、リタリストは肩をすくめてみせた。
「どんな理由で泣いたのかは詮索しませんが、この世界から助けられるのは私だけですよ。その気になれば、いつでも教会に来てください」
以前のように無理矢理に連れて行く様子はなく、それではとリタリストは背を向けて歩き出した。
その背中に。
「本当に、帰れるの?」
不安気に小さく問いかけると、リタリストは肩越しに振り返り。
「あなたが、望めばね」
笑って答えた。
リタリストの背中が見えなくなるまで、留衣はその場所から動けなかった。
その日、屋敷に帰ると、留衣はニーナに食事はいらないと言い自室に引きこもった。
ベッドに潜り込み、頭から掛布を被って考える。
「向こうの世界に帰る……か」
そうしたいと思っていたけれど、本当に帰れるのかは半信半疑だった。
でも、リタリストなら帰せると言った。
「嘘ついてるわけじゃなさそうだしな」
やってほしいことがあるということは、それが終わればお役御免ということだ。
それなら帰してくれるかもしれないと思う。
ただ。
「胡散臭い」
そう、ひたすら胡散臭いのだ。
無理矢理に教会に連れて行った前科があるので、あまり信用する気になれない。
「でも、帰れるなら帰らないと、トゥーイさんにいつまでも迷惑かけちゃ駄目だよね」
ころんと寝返りをして枕に頬を押し付ける。
長い髪がサラリとシーツを滑った。
「トゥーイさんに会えなくなる……」
そう考えると、酷く胸の奥が詰まった感覚になる。
素直じゃないけど優しいトゥーイの顔を思い浮かべて、思わずぽつりと呟いた。
「傍にいたいな」
言ってから、留衣は自分で動揺した。
思わず口を手で押さえる。
心臓の動きに押し出されるように零れた言葉に、自分が一番驚いた。
けれど、それが掛け値なしの自分の本心のようだ。
そして、ああそうかと気づく。
「トゥーイさんのこと、好きなんだ」
口にすればいやにしっくりと心に馴染んだ。
きらいだとあんなに口にしたのに。
ぎゅうと枕を腕に抱きしめて、ぐりぐりと額をこすりつける。
「馬鹿みたい、ただの義理で面倒みてくれてるだけなのに」
それに、これ以上ないくらい怒らせたばかりだ。
こんな気持ちを自覚してしまったら、ますますトゥーイに申し訳なく感じた。
結局その日はそのままベッドの中で丸くなり、眠れずに過ごした。
次の日も、食事を取る気になれなくてニーナに断り朝も昼も食事をしなかった。
夜になり、コンコンと扉をノックされたのでニーナだと思い、留衣はベッドで膝を抱えて座ったまま答えた。
「ごめんニーナさん、食事ならいらない」
断りを入れると、扉が無遠慮に開かれた。
慌ててそちらを見ると。
「トゥーイさん……」
不機嫌な顔をしたトゥーイがいた。
騎士団の制服を着ているので、帰ってきてからまっすぐ部屋まで来たらしい。
「昨日から食事も水も取っていないそうですね」
言われて留衣は顔をふいと背けた。
昨日帰ってから、部屋から一歩も出てないことをニーナに聞いたのだろう。
「当てつけかなにかのつもりですか」
言われて驚いた。
そんなふうに思わせたなんて、と首を振る。
「そんなんじゃない。ごめん、心配かけて」
「……心配したわけではありません。倒れられでもしたら面倒だと言っているのです」
面倒。
その言葉が胸に刺さる。
(やっぱり、傍にいたいなんて駄目だ)
自重気味に笑うと、トゥーイが訝し気な顔をした。
「あのさ、もう面倒かけないから」
「どういう意味です?」
留衣の言葉に、トゥーイの指がぴくりと微かに動いた。
それに気づかずに、トゥーイから視線を外し抱えた膝に落とす。
「教祖のリタリストさんが帰る方法がある、帰してくれるって」
「彼が何故そんなことを?」
「この世界に呼んだのあの人なんだって。来る方法がわかってるから、帰る方法もわかるって言われた」
そこまで言うと、トゥーイがベッド脇まで大股で歩いてきた。
「それを信じると?言ったでしょう彼らは金と権力に固執していると。慈善事業なんてやる連中じゃありません」
「でも、嘘言ってるように見えなかったし……」
やってほしいことがあると言われたことは黙っていることにした。
心配するかもしれないという淡い期待があったからだ。
自分の考えを浅ましいと感じながらも。
「私もいい加減帰りたいしさ。それにほら、義理で置いてもらっても息苦しいだけだからさ」
顔を見れなくてまくし立てた。
何も言わないトゥーイにおそるおそる瞳を向けると、なにかをこらえるように眉を歪めていた。
思わずその顔に手を伸ばしかけると。
「好きになさい」
くるりと踵を返してトゥーイは部屋を出ていってしまった。
バタンと扉を閉める音が無情に響く。
伸ばしかけていた手をぱたりとベッドに落として、留衣は下唇を噛んだ。
息苦しいなんて思ってない。
トゥーイといるのはずっと楽しかった、優しさが嬉しかった。
離れたくないと思うくらいに。
前衛的と言いながらも料理を完食する姿だとか、魔道具にキラキラと目を輝かせる子供みたいな眼差しだとか。
「なんだ、私トゥーイさんのことかなり好きなんじゃん」
脳裏によぎるその姿に涙が溢れてきて、留衣は嗚咽を殺してその晩泣いた。
教会に行って、トゥーイの前から姿を消そうと決意して。




