18(※トゥーイ視点)
執務室で書類仕事がひと段落したので、トゥーイはマグカップを手に取り冷めたコーヒーを飲み干した。
今日の仕事はこれで終わりだ。
少し前に仕事を根詰めて前倒しで片付けていたせいで、今日は午後から休みなのだ。
それを最近一緒に住んでいる少女に伝えれば、昼食を作って待っていると言われた。
前衛的というか個性的な留衣の食事に慣れてきてしまったなと思い、思わず苦笑が漏れる。
最初に会ったときにはこんなふうになるなんて、思ってもみなかった。
幼い頃、自分の前に現れたフミ。
彼女にはとても世話になり、しかし恩返しも出来なかった。
まさかその孫が自分の前に現れるとは思わず、どんな運命だと自分でも思う。
初めて会った時は、ただの子供で面倒だと思った。
厄介事が舞い込んできたと。
本当なら異世界の人間などニッポリアに報告して保護してもらうつもりだったが、フミの孫ということで恩返しの意味も込めて屋敷に置くことにしたのだが。
最初はフミを思い出し懐かしさがあった。
屋敷の掃除をしたり、料理を作って待っていたり。
けれどそんな懐かしさは、すぐに無くなった。
フミのように食事を作り一緒に食べるため待っていた留衣に、哀愁を覚えたが壊滅的な料理の腕にすぐにそんなものはぶち壊された。
なのに、口ずさんだ歌がフミの孫なのだと確信させる。
ふう、とひとつ息を吐いてトゥーイは執務机に肘をついて頬杖をした。
「フミより大分騒がしい子ですけどね」
いつもクルクルと動き回る姿は、小動物を思わせる。
けれどニッポリアに会わせるために外見を整えてみたら、ちゃんとした女性なのだと認識させられた。
自分の魔力食いの能力もたいして深刻に考えずに普通に接してくる。
「危機感がないんですよね」
悪態をついてみても、その顔は柔らかい。
いつのまにか傍にいることが当たり前になった少女は、トゥーイの心を解きほぐしている。
なんの打算も恐怖もなく笑って、心配して、触れてくる。
「あんな子供に」
思わず口をへの字にしてしまうが、惹かれているのをトゥーイは自覚していた。
サラリと揺れた蜂蜜色の髪に目を落とす。
フミと同じように髪を褒められた。
瑠衣は知らない。
フミに褒められたからトゥーイが髪を伸ばしたことを。
そうやってフミを重ねたくなるのに、個性が強すぎて瑠衣を瑠衣としてしか認識できないようになってしまった。
ひとつ息を吐いてカタンと立ち上がり、執務室を後にする。
ニッポリアに今日の報告に行って帰るためだ。
ちっとも上達しない料理を作って待っている彼女は、今日もトゥーイが帰ってくるまで食事をせずにいるはずだ。
ニッポリアの執務室まで来ると、ノックをして名前を告げる。
入室の許可が出たので入ると、ニッポリアが執務机に向かったまま、にこりと笑みを浮かべた。
「今日の報告書です」
「うん」
持っていた書類の束を渡すと、ニッポリアがそれをパラパラとめくっていく。
「肩の具合はどうだ?」
「何の支障もありません。その節はありがとうございました」
「それはよかった」
パサリと書類を机に置くと、ニッポリアはふうとひとつ息を吐いた。
「しかし教会はやりたい放題だな。治癒魔法が使える人間をないがしろに出来ないとはいえ、権力も財力も持ち過ぎだ」
「市民は教会の教えに従うわけではないですが、無碍にはできませんからね」
トゥーイは軽く肩をすくめてみせた。
ニッポリアがそれを見て苦々しい表情を浮かべる。
「しかし尻尾は掴めてきてる。上層部の金の亡者の代わりに、下の人間が酷使されすぎて逃げ出している」
「ええ、騎士団でも何人も保護をしています。大体が強制で教会に集められた魔力が少ない人間ですね。証言通りなら死者も出ているかと」
トゥーイの報告に、ニッポリアが皮肉げに口端を上げた。
その顔は苦々し気だ。
「お布施とやらがもらえれば、いくらでも治癒するが働くのは下の者。裕福な者ほど使命感だけが強くて、下の人間は強制的に囲われている、と大変わかりやすいな」
「これ以上、教会が力を持つのは好ましくありませんね」
トゥーイの言葉に、その通りだとニッポリアが重々しく頷く。
「もう少し証拠が欲しいな」
「ええ、なにか尻尾が掴めないかと探ってはいるのですがね」
「おかげでベロニカ嬢と懇意にしているという噂が立っているからな」
ニッポリアが悪戯気に笑う。
トゥーイは思わず嫌そうに顔を顰めた。
「ははっそんな顔をするなよ。それとも、あのルイって子の方と懇意にしているのか?騎士団で話題になってるぞ。あの冷徹な団長に女の子がってな」
「懇意にしているのではなく面倒を見ているんです」
「彼女とは上手くいっているようだな」
しんなりとニッポリアが瞳を細めると、トゥーイは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
先ほどまでの重苦しい空気はすっかり霧散している。
「考え無しの子供で大変ですよ」
「お前が誰かと長い事住んでいる時点で心を許してる証拠だよ。たとえあの人の孫でもな」
ニッポリアが確信を持って言った。
トゥーイは当たらずとも遠からずなので、口を開かないことで肯定も否定もしなかった。
と言ってもこの王子殿下は好意的にとらえるのだろうけれど。
「女性として意識してないのか?」
ニッポリアの質問に、今度こそトゥーイはあきれたように嘆息した。
「殿下、相手は子供ですよ」
「好きになったら関係ないさ」
軽く言ってくれる。
「お前は慎重すぎるからな、感情表現はしっかり相手に伝えろよ」
にししと笑う。
「今日はせっかくの半休なんだ、さっさと帰ってやれ」
しっしっと手を振るニッポリアに、トゥーイはなんとも言えない思いだった。
ニッポリアに言われる前から、留衣の元へ早く帰ることを考えていたからだ。
以前との変化に内心とまどいながらも、頭を下げて退室した。
そしてトゥーイは普段に比べて早いスピードで帰路についたのだった。
屋敷の玄関を開けて中に入ると、白く広い玄関ホールの中ほどに、見慣れた姿が横たわっている光景にトゥーイはいぶかしげに眉根を寄せた。
ついで全身が目に入り、思わずぎくりとする。
横たわった体。
黒いつむじ。
それから。
それから血のような赤に埋もれた細い体。
一瞬思考を停止してしかけて、らしくなく速足でその人物へと近づいた。
隠したくてもよく響く靴音が、焦燥をあばいてしまう。
近づくにつれて歩調がゆるまり、トゥーイは一つ息を吐いた。
つま先わずか数センチの所に落ちているのは、血のように赤い花びら。
横たわった体をまるで覆い隠すような、ローテローゼ。
内心で小さく舌打ちしながらトゥーイは髪をかき上げた。
「こんな所で何をしているんです」
「うーん」
見下ろした先には目を閉じたままの留衣の顔。
返事が返ってくるということは、起きているらしい。
このままボールのように踏みつけてやろうかと、一瞬危険な思想がトゥーイの脳裏をよぎっ
た。
「見事な薔薇ですね」
「ニーナさんと買い出しに行ったら花屋のおばあさんを助けて家まで送ったの。そしたらお礼に沢山貰っちゃった」
「それで?どうしてここであお向けになっているんです?」
赤いローテローゼは留衣の胸元を中心に、花びらが床の上へと散らばっている。
ちらりと漆黒の瞳が、一瞬バツが悪そうにトゥーイを見上げて閉じられた。
「ニーナさんに買い物まかせて、早く水にいれてやらないとって急いでたら、滑って転んだ」
「豪快ですね。そのまま力尽きたわけですか」
あきれたように言ってやれば、力なく笑う。
「持てるだけ持たされて歩いたから起き上がれなくて。無理やり起きたらせっかくの花が潰れちゃうし、ニーナさんが帰ってくるの待ってた……トゥーイさん半分持ってよ」
軽口を言う唇にも、小さな花弁がくっついていて、ひらひらと留衣が喋るたびにひらめいている。
ときおり開いて瞬く髪よりも濃いまつげが蝶々の羽ばたきのようだと、トゥーイは自分でも馬鹿みたいな考えが浮かんでいた。
ローテローゼに埋もれたままの留衣は、邪気なくトゥーイを見上げている。
助けてくれると一片の疑いもない眼差しで、それがどうにも面白くない。
「そうですね。貴方も花びらまみれですし」
しゃがんで伸ばされた、手袋越しの形良い指が留衣の黒い髪に埋もれた花弁を一枚つまむ。
それを目で追う留衣に気をよくして、トゥーイはそのまま顔をうつむかせた。
蜂蜜色の髪が涼やかな音をたてて、重力に従い顔の横を流れていく。
驚いている漆黒の目を舐めてやったらどんな反応をするだろうと思いながら、留衣の唇についた血のように赤いローテローゼの花弁へ舌を這わせ、薄い前歯でかじりついた。
そのまま顔だけ上げれば、足元。
逆さに見える留衣の顔が、火を吹くように赤くなっていく。
「ばっ!なっ!く、くちにいまっ」
「口じゃありませんよ。花びらですから」
べっとわざとらしく舌に乗った赤いそれを見せてやれば、反論できずにぐっとつまる声。
「触るなって自分で言ったくせに!」
「触ってないでしょう、一ミリも」
言われて確かにそうなのだがと、ぐぬぬと憤りをありありと顔に浮かべている。
「意地悪だ!そーやって私をからかって楽しんでるんでしょ」
「そんなんじゃありませんよ」
にっこり笑っても、足元の顔は疑い顔。
本当にそんな意地悪のつもりはなかったのに、と内心苦笑のトゥーイだ。
ただ、ちょっとした意趣返しのつもりだったので、やっぱり意地悪だったかもしれない。
最初に見たバラに埋もれる姿が。
ローテローゼの血のように赤い色が。
嫌な想像をかきたてて、らしくなく動揺した。
だからこれは、ほんの少しの報復だ。
こんな子供に心を動かされている自分がらしくなくて、普段なら絶対にしないような事をした自覚はある。
これではニッポリアの言う言葉を否定出来ないと思ってしまう。
留衣の胸元にある大量の薔薇を持ってやれば、ようやく彼女は起き上がった。
まだ赤い顔は、ローテローゼにも負けていない。
「あ、そういえば」
「何です?」
思い出したように留衣が声を上げたので、聞き返すと。
「おかえりなさい、トゥーイさん」
満面の笑顔を浮かべてみせる。
その表情は最近は見慣れてしまったものだけれど、やはり心へ何かが灯ったような感覚を覚えてしまい。
「ええ、戻りました」
本当に自分でもらしくないと思いながら、留衣が来てから口にするようになった言葉を唇に乗せた。




